生きることに関する雑感3つ | がんフーフー日記

生きることに関する雑感3つ

ダンナです。




本日はふと真剣につぶやいてしまった

生きることに関する雑感3つ。





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昨日、ギテー(30歳・独身)が見舞いに来てくれて、

病室で顔を合わせた。


ヨメと24日の手術の話などをしていると、

感に堪えたように、ぽつりとつぶやいた。


「ぺ~の力はすごいな」と。


「おれだったら、子どもがいないから、

そこまで薬飲んだり、器具をつないだりしてまで

生きようとは思わないかもなぁ……」



なにかが、少しひっかかった。



私は、ぺ~がいるからヨメに生きてもらいたいと思っているのだろうか?

ヨメは、ぺ~のために生きたいと思っているのだろうか?


では、ぺ~がいなければ、「ま、しゃあないか」と

簡単に現世を諦められていただろうか?



この件に踏み込んでいくと、尊厳死の問題につながってくるが、

「もし私だったら~」という仮定はやはり頭を離れない。




私なら、たぶん、どんな手を使ってでも、生きたいと思う気がする。

それはぺ~がいるとかいないに関係ない。




ギテーの歳の頃はそう思わなかったかもしれない。

もっと「きれいな人生」を目指していたのかもしれない。


しかし、今はいろんな人たちに対して、はっきり「恩」や「借り」がある。

受けてしまった愛情は、がっちり肌に沁みこんでしまって離れない。



それがあるうちは、勝手にくたばるわけにはいかない気がしている。



愛情のせいで人は生きなければいけないのなら、

せいぜい私も、生あるうちに愛情をばらまくだけである。




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腸閉塞&点滴のせいで、まったく口にものを入れられないヨメである。


もう、10日くらい口からモノを食べていない。

ちょっとだけ水は含めるようになったようだが、

ほとんど口が「食べる機能」を果たしていない日々が続いていた。


腹の張りが落ち着いてからは、とにかく食べ物のことばかり話すようになった。

テレビを見ていても食べ物のアップでリモコンを止め、

雑誌をめくっていても食べ物の写真を食い入るように眺めている。


「いいぞいいぞ」と私は思う。


そして、その勢いをさらに増すべく、

図書館で食べ物関係の本を借り、ヨメの食欲を煽ることに専心する。




「食べたい」ということは、「生きたい」ということだろう。

「めちゃめちゃ食べたい」とは、「めちゃめちゃ生きたい」ということと

きっと同義だろう。


ヨメは、退院したらビーフシチューとホルモンが食べたいと言っていた。

「ビーフシチューを食べたいから生きたい」とは

なんてプリミティブで力強い「生きる理由」であることか!



世の中で「生きる意味がわからん」とか言いがちな、

若者やら通り魔やらに聞かせてやりたいくらいだ。



ビーフシチューが食べたいから生きるのだよ諸君!!!!!!





そんなヨメは、先日見舞いに来てくれた友人のコンソメスープを

ちょこっとだけもらって飲んだとき、



ンマイイイイイイイイイイイイ!!!!!!!



と、天国的な味覚体験をしたと私に語ってくれた。


これが「生きる歓び」ってやつか。

不謹慎ではあるが、ちょっとうらやましいくらいである。





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ということで、昨夜はギテーが我が家に泊まり、

数週前の結婚式の映像を見せてくれた。


映像といってもこれがなかなか凝ったもので、

式の模様や出し物作成時の写真などをスライドショー的に並べ上げ、

さらにその上になんだか感動的な音楽をかぶせて、

PV風のドキュメンタリームービーにしてしまっているのだ。


これが感動的なデキで、出ているのは自分たちであるにもかかわらず

ついついウルッとしてしまう。


おそらく、「スナップ写真をランダムにスライドさせ、

その上に感動的な音楽をかけるとグッとくる映像になってしまう」

というのは鉄板の法則としてあるのだろう。



にしても、出てくるのは自分やら知り合いばかりなのに、

ましてや自分がつい2週間前に目の前で見た結婚式なのに、

それを見ながらウルウルしてしまうというのは、どうなのだろう?

ほとんどアホのナルシストではないか。





実に不思議なことである。


私は10代~20代にかけて、

常に「ここじゃないどこか」を求めていたように思う。


故郷を捨て、東京に夢を探し、

自宅を捨て、各地を気ままに放浪し、

周囲になじめず、映画や小説や音楽や

遠いフィクションの世界に自分の真の居場所というものを

求めていたような気がする。



しかし、今は考え方が180度変わってしまった。




今、生きているこの場が一番美しい。




口に出すのも恥ずかしいが、

そういう瞬間的な「きらめき」の中を通り抜けている感が

今はどうしても消えないのである。