駿府城址公園


静岡市葵区所在

輪郭式平城。

徳川家康が天正13年(1585)から築城し、天正17年完成。

慶長12年(1607)改築。

明治2年(1869)廃城。

遺稿  石垣、堀、水路。



にまの徒然な日々

駿府城の外堀。


にまの徒然な日々

外堀にかけられた橋。城代屋敷跡にかけられた。



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二の丸のお堀。



にまの徒然な日々


復元された巽櫓。

中が資料館になっていて、お城の説明があります。

人質時代の家康公の書斎(再現)は必見。

チケット売り場に名城スタンプあり。



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歴史


室町時代 今川範国が駿府国の守護に任ぜられ、

今川氏館が築かれる。天文18年(1549)松平竹千代は、

人質として12年間、駿府で暮らす。(永禄3年まで)

今川氏から武田氏へ、その後、天正10年(1582)武田氏を滅ぼした

徳川家康が天正13年に築城。家康関東移封後は、中村氏が城主となる。

慶長12年(1607) 家康が江戸から駿府に隠居。城を天下普請により修築する。

度重なる失火で城内は消失。天守閣は1度再建されるも、

寛永12年(1635)以後は再建されなかった。安政元年(1854)大地震により

駿府城内外、建物倒壊。安政5年に(1857)修復。

明治2年(1869)廃藩置県により廃城となる。

昭和24年、静岡市に払い下げられ城址公園となる。

平成元年 巽櫓復元。平成8年 東御門復元。

 

(東御門辰巳櫓パンフ参照)


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おなじく復元された二の丸東御門。


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敷地は、枡形になっていて、塀には狭間がある。


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丸いのが鉄砲、方形が矢のための狭間。



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御門を入ったところの一際大きな石垣の石

家康の天下普請により、名古屋城と同様に

武将の家紋入りの石で作られている。


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櫓の資料館にあったオリジナルの鯱。


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これは、現在の二の丸内、城址公園となっている。

プールのような二つが残った本丸を囲む堀跡。


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元来の駿府城。3重の堀で守られていた。

外堀と二の丸の堀を囲む敷地は今は

市街地となっていて県庁もあります。

外堀は少し残っている。



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池のような本丸の堀跡。

明治期に軍営地となったため、堀は埋められてしまいました。汗


にまの徒然な日々


わずかに残った石垣。


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本丸の堀跡から見えるりっぱすぎる建物は県庁庁舎。

三の丸の堀内にあります。


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二の丸の堀から本丸の堀へ水をひく水路


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本丸内にあった家康公の銅像。

鷹狩りがお好き。音譜


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傍らにあった家康公お手植えのオレンジの木。

樹齢何年じゃ。



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御台所の跡地に作られた庭園。



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築山

富士山を模したのでしょうか。富士山


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涼やかに飛沫のはねる滝


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紅葉の径お月見

暑い中うちわなど、貸し出してくれ一時江戸に戻って

涼んできました。また茶室もありました。

家康公も隠居後はこのような庭で風雅な一日を

お過ごしになったことでせう。