母の思い出

私が、4年生から小学校を卒業するまでの担任は、40歳くらいの、いつも身ぎれいで,凛となさっていた女性のR先生でした。算数だけは、ほんの少し苦手なようでしたが、他は、わかりやすい見事な授業だったと記憶しています。

私は、どういうわけか、低学年から、数に興味があって、まあ、算数だけは、得意でした。家に帰っても、「母に向かって、ねえ、
その洋服ダンスいくらしたの?」と私、「9800円」と母 更に、「家、いくらくらい貯金あるの?」「いい加減にしなさいよ、あんたはいつもお金ばっかし」実際、家計が心配だったのでした。

ある算数の時間、「この山小屋から、頂上まで1.5時間ということは、1時間25分かかるということね------」とR先生が、言われた。おそらく、先生は、時計の文字盤の5という数字が長針の25分を示すので勘違いなされたに違いありません。余程、30分ですと手を挙げたかったのですが、何か、授業を根底から壊してしまう気がして、思い留まったのを今でも、覚えています。
 
社会の時間は、当時、斬新なグループ学習に徹していました。例えば、班ごとにテーマを決めて、研究成果が、書き込まれた模造紙が、班のメンバーによって黒板に張り出され、班のリーダーが説明していくという進み行きです。まだ、ミサイル装備されていなかったキューバについてなら、砂糖の生産量を示すグラフなどが書かれていたのかも知れません。

他の生徒からの、質疑応答を経て、最後に、R先生が、まとめの感想を述べられます。
「よく,
細かい所まで調べたわね。できれば、日本との関係まで調べれば、もっといいものになっていたでしょう」お説ごもっとも。
 
Aさんは、ほとんどの教科が、1~2番の女王様のような存在で、発表もすばらしく、江戸時代以降の郷土の偉い人というテーマで、彼女のグループは、江戸時代、埼玉南部、志木市から所沢市にかけて、野火止用水を、今でいうインフラ工事を経て、苦労して作り上げた、安松金右衛門について見事な発表をしました。

「本当に立派な発表でした。先生も知らないことばかり、勉強になったわ。」と最高の賛辞を述べられました。家に帰って、私は母に、「やっぱりAさん凄いや。安松金右衛門 だって市内の本屋をまわっているからかな。」と私。「やっぱり、Aさん偉いのね」と母。意外な勘違いで次のような事態が起こったことは。まだ誰も予期できませんでした。
 
 
 
野火止用水................... 安松金右衛門兄弟........   江戸時代の土木工事
 
母は、結構、私の教育に熱心で、必ずテストは、チェックするし、学校のことでもよく、尋ねて来て、おまけにPTAの役員もしています。母は、保護者会で、次のことをR先生に向って発言したそうです。「Aさんが、社会科ですばらしい発表をしていることを、息子から伺っております。私どもの家庭では、参考書まで買う余裕はちょっと」
 
すると、R先生は、「正博君のお母さん、少し誤解があるようですね。Aさんは、参考書などを買ってはいません。郷土の事に詳しい、本屋の店主さんに、自転車で訊きまわっていただけですよ.」誰が穴に入りたくなったのかは、言うまでもありません。
 
母が、83歳で亡くなって、早、6年、このエピソードは、一番、思い出されます。あまり物怖じしない愉快な母でした。曲は、ポールサイモンの、母と子の絆。
 
  

       Paul Simon sings Mother and child  reunion

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