韓国人と政治や歴史の問題で議論したことがある人には分かると思うのですが、私のような思考方法をする人間にとっては、韓国人相手の議論はとてもやりにくいんです。“ウリナラ(我らが国)”という発想を私は持ち合わせていませんから。
「私たち日本人は~」なんて言ってしまう人なら良いのかもしれませんが。
それに、私よりも先に相手のほうが戸惑ってしまうみたいなんですよね。

朝鮮史 (講談社現代新書 460 新書東洋史 10)/梶村 秀樹

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“新興官僚はイデオロギー面では、きわめて整然とした体系をもつ中国の封建イデオロギーである朱子学を導入し、これを武器として古い仏教イデオロギーに闘争を挑んだ。
朱子学は、上は国王から奴婢にいたるまで天命によって身分が定まっており、各人がその分に応じた道徳を守るべきだという「名分論」を基本とする哲学であるから、国王といえども敬虔・厳粛にその天分を果さねばならず、かならず朱子学者である官僚の名分論的批判には耳を傾けねばならないことになる。
こうして国王をもしばることで、恣意的収奪や寺院造営などの濫費によって、支配の基盤を自らほりくずすことを防ぎ、支配の永久化を保障しようとするところに、朱子学の仏教に対する支配の武器としての優越性・強靱さがあった。”


この部分なんですが、同じように南宋の滅亡を目にし、南宋からの亡命者を受け入れて朱子学を輸入した朝鮮半島と日本列島。
“元寇”から鎌倉幕府は衰亡し、後醍醐天皇による幕府転覆と建武の新政が始まるのですが、幸か不幸か、日本では後醍醐天皇による帝王を中心とする中央集権国家樹立の企ては失敗し、地方分権的な性格を持つ武家の連合体ともいえる足利幕府が勝利するのです。そのため、官僚制度は根付く間もなく消えてしまったのです。

足利義満による南北朝時代の終結は1392年。李成桂が朝鮮王になるのは1393年ですから、ほぼ同じ時期に日本と朝鮮の方向性が確定していることになります。

メモ垣露文

“たとえば「事大主義」(大国につかえることを重視する考え方)についていえば、それは多分にこの時期の朝鮮をとりまいていた厳しい国際条件に規定されており、それに対処すべく選択した主体的外交姿勢であった。
とくに明王朝はその初期の流動的な事態の中で、李朝とモンゴルとの関係に猜疑を燃やし、その意味でもとりわけ高圧的な態度をとった。これに公然と対抗する姿勢をとるならば、軍事侵略やいっそうの政治介入を招きかねないとみた両班官僚は、「大国に事(つか)える」国是を自らうちだすことで介入を防ごうとした。
そしてそれが朱子学体系の一環として、かれら自身を律する価値観に内面化されていったのである。
しかし、いったん形成された観念は、一人歩きして逆に政治経済の現実を規定しはじめ、やがて歴史発展を制約する条件になっていくのである。

メモ垣露文

~(中略)~
一方、両班にとっての民衆は、生産を担わせるべき不可欠の存在であると同時に、教化の対象でもあった。
朱子学の名分論は、民衆にも分相応の徳目を要求した。
民衆は、生産さえあげればどんな無軌道な生活をして自滅の道を歩もうが放任される奴隷ではなく、支配を甘受すべき人間として位置づけられ、それにふさわしい教化を施すべき対象とされた。
「農者天下之大本也」という言葉はそんなニュアンスをもっていた。”


各地に武力を保持したままの大名諸侯が存在している足利幕府が特定の思想を押し付けることなど出来ません。それどころか、幕府としての政策を日本列島津々浦々に届かせることだって難しいでしょう。
言うなれば、中央集権国家の官僚と、地方分権の独立企業家たちの連合体が外交交渉をして、海賊なり密貿易商なりを取り締まろうとしても、両者の間に共通の概念が存在しないのです。

“侵略を受ける側からみれば、いつどこから不意討ちしてくるかわからない無統制な倭寇は、ある意味では正規軍より始末が悪く、朝鮮側に「沿海数百里の地、人煙を絶ち荒野となる」状況を生じさせた。
物産豊かな沿岸地帯で生活していた人々が、山奥へ避難せざるをえなくなったのである。
こうした史実が、「何の物産もない貧しい海島中に住むがゆえに、すきあらばがつがつと襲いかかってくる油断のならない連中」という蔑視を含んだ「倭奴(ウェノム)」観を朝鮮側に形成・継承させる遠因となったのである。
植民地統治下のある民話風創作童話の描写では「対馬島(テマド)」に住む賊の額のまん中に角が一本生えていたくらい、倭寇のイメージは強烈であった。”

メモ垣露文

中央集権国家、しかも朱子学でガチガチに縛られた官僚から見れば、自由に境界を越えて、海賊行為も含む経済活動を行なう“倭寇”を理解できないのです。しかも、その倭寇が日本列島では賊として扱われていると同時に企業家としても認識されていることに。
しかも中央政府であるべき足利幕府が、応仁の乱で力を失えば、そこは戦国時代の始まりで、ほぼ無政府状態になり、下剋上で序列カーストも吹き飛べば、取り締まりのために誰と外交交渉すべきかも分からなくなってしまいます。

そうなれば、海という境界を理解しようと悩むよりも、内陸に逃げ込むほうが簡単な話です。あとは境界の向こうに住む島人は獣のような野蛮人だから、話し合うだけ無駄で、たまに獣に餌を与えるように米でも渡して懐柔しておけば良い、と。



久しぶりにビヨンセを聞いたら、けっこう面白いですねぇ。ということで彼女の「Run The World (Girls)」をリンクしてあります。