米国北部が奴隷制を否定したのは、何も人間としての優しさに目覚めたからではありません。
国際貿易のなかで奴隷制を敷いたままでは貿易する時にダンピングなどと思われて不公正だと思われることを避けたかったりもあるのですが、一番の大きな理由は国内に滞留する安い労働力を南部の農園から北部の工場に吸い上げたかったからです。

メモ垣露文

ジョン・ブルに窮状を訴える黒人奴隷のイラストです。米国の新聞のものですから冷淡に描かれていますが。

個人資産を一切持たない奴隷をそのままにしては経済的には非効率なんです。どうせなら安い給与ででも働かせながらも物を買わせるほうが経済には良いのですから。それと将来に希望を持たない労働者というのは、労働環境を整えたり、自ら工夫して成果を上げるなんてこともしません。どうせ、全部奪われるのだろ、なんて思っているかぎりは。

私は、個々人の性善説は信じますが、それが集団化すると失われることが多いことを否定しない・・・というよりも集団化することによって悪を為しやすくする、そんな風に考えています。

メモ垣露文

これは奴隷オークションの光景。母とばらばらに売られることが決まった幼い娘がすがりつく様子と、それを囲む白人奴隷主たち。
こうした光景を個人として見るならば悲しい情景だと感じるのが普通の人間だと思うのですが、ここに経営者としてのフィルターをかければ、値段の問題になってしまいます。
ん、別に経営者が冷酷だと言うのではないですよ。言葉としては冷静と言い換えておいたほうが中立になるかな。

メモ垣露文

リンカーンとしても、思想信条とは別に、政治家として戦争を勝ち抜くために奴隷制を廃止することを決断したのですから、逆に、個人を越えて社会がより善なることを強要することだってあるのです。
這いつくばる黒人奴隷と慈父なるリンカーンという構図で、時代を越えた英雄になれたのですから、リンカーンにとっても悪い話じゃあなかったでしょう。

メモ垣露文

ただ、北へと向かった黒人たちですが、ここで良かった良かった、とハッピーエンドに終わらないところが現実のお話です。

もともと、北部の資本家たちが南部の奴隷を解放したのは、安い労働力を南部に吐き出させるためだったのですから、工場などで解放された黒人たちが労働者の列に加わると、当然ながら白人も含めた労働単価が低下を始めるのです。また、待遇改善を求めたストライキなどの労働運動に、組合に所属しない黒人労働者でもってスト破りをさせるなんてことも行なわれました。

メモ垣露文

そうしたことは、結局は白人と黒人の貧困層が互いに対立し不信を強めていくこととなり、より善なるもののはずだった奴隷解放が、結局は人種差別の問題に深刻化していくこととなってしまいます。

メモ垣露文

ただ、資本主義の判断としては奴隷制撤廃は正しかったのです。米国南部は、奴隷制という鎖が外れたことで、かえって経済的にはプラスとなり、それをイメージさせたのがこのイラストで、米国南部の擬人化女性が経済発展を誇っています。
そしてその一方で、やつれて工場で黒人とともに働くミス・コロンビア。

奴隷の鎖は、社会全体に重荷をかけるんじゃないかな、なんて思っています。一見、安くて便利に見えるものかもしれないけれど、実際には奴隷ではない自由民をも傷つけていくのでは、とも。
現代の日本でも奴隷制を肯定する連中っているんですよ。以前までは新自由主義とか名乗っていましたが、最近では名前を隠して動いているようですけどね。彼らの語るのは“経済”ではないのは確かな話でしょう。



リンクしてあるのはPublic Enemyの「By The Time I Get To Arizona」。

きっと、個々人としての新自由主義者や差別主義者にだって、ちゃんと性善説的な人間としての心があるはずですから、ちゃんと圧力をかけて、こっちのほうが気楽だし経済効率としてもお得だよ。本当かどうかはひとつひとつ調べてみませんか?だって冷静な現実主義者って自認しているのでしょ、って誘導してあげたらどうだろう、なんて思ってます。


と、まあこんな話でした。