ここまで長々と日本人の名前について説明してきました。
“通名”というのは通称名のことで、本名を呼ばない東アジアの伝統に則った名乗りのことです。武田信玄を源晴信とは呼ばないのが普通です。

現代の私たちでも考えてみれば、本名を呼び合う機会というのは少ないのではないでしょうか。
例えば、会社の社長が野田佳彦という名前だとします。社長を呼び止める時に「ヨシヒコさん」なんて呼びかけはしませんよね。「ノダ社長」と苗字と階級名で呼ぶのが普通なはずです。
女性の名前が歴史的に伝わりにくいのも同じことです。清少納言とか菅原孝標女というのも別に女性差別で名前が伝わっていないのではなくて、女性の本名を呼ぶのは失礼だという感覚は私たちにもあるはずです。
このブログを読んでいただいている女性の方でも、突然に親しくもない人から「ユイ」とか「リツコ」と呼ばれるのは、馴れ馴れしいと感じて不快に思いませんか?
例え上司や教員であっても「平沢さん」や「田井中部長」と呼ぶのが普通だと思いますが、どうでしょう。

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通名というのは、こういった伝統に根ざす文化でして、ネットで溢れる“ザイニチの通名がぁ!”というのはなんだか困ってしまいます。

メモ垣露文

麻生太郎なんて名前は、完全に通名形式で構成されていますね。彼の妹は親王妃なので、たぶん本名はあると思いますし、カソリックでもあるので、キリスト教名も持っているはずです。
このポートレートは、父親の麻生太賀吉ですが“太郎”というのは、麻生太賀吉の長男との意味でしかありません。

通名というものが、在日コリアン独自の特殊な名乗りではない、ということをくどくどと説明してから本題に入ります。

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在日コリアンの青春小説「GO」を書いた金城一紀の“苗字”の金城は、たぶんですが、クラン名がひとめで分かるように付けられた苗字です。
金城を名乗るのは、慶州金氏のクランのはずです。慶州は新羅王の‘金’氏が王‘城’とした土地なので、慶州という地名そのままではなく金城という雅名から苗字化したと言われます。

メモ垣露文

私は“創氏改名”という言葉に違和感を持っています。“氏”というクラン名は生まれながらの属性なので変化しようがないのですから。
もちろん、名乗りとしてクラン名を使いたいというのならば使えば良いでしょう。漢字文化圏ではクラン名名乗りがマジョリティなので。でも、金城も苗字としてちゃんとルーツを確かにした名乗りなので、これをまるで何かを隠しているかのように扱うのは間違っていると思っているのです。

ペ・ヨンジュンは漢字で表記すると裵勇俊と書くようです。
この記事を書き始める時の枕に使ったこの裵氏の苗字はどうなるでしょうか。たぶん武本という苗字になります。裵氏のリニエージ上の祖は武烈公裵玄慶という人物なので、この‘武’烈公を‘本’とすることから武本と苗字化させました。

平壌に住む全氏は、高麗王朝の王氏の末裔です。高麗滅亡の後に王氏は“創氏改名”して全氏になっていますから、これが正しい使い方ですね。全氏は‘高’麗王国の首都だった‘松’都を併せて苗字は高松になります。

また、金海金氏が金海、玉山張氏が玉山、などクラン名やリニエージ名をそのまま苗字化したものもあります。
他には朴氏が新井という苗字になったのは、祖先の赫居世とその妻のどちらもが井戸に関わる土地で生まれた伝説に因んでのものです。他に井上や藤井という苗字を名乗る朴氏の一族もいますが、どれも井戸にまつわる名前です。

関北水原崔氏は、地名に因んで吉原という苗字を設定しましたが、この地名が日本ではちょっと変な意味が付随するからと、崔をサイと日本語読みしたうえで佐井という音からきた苗字もあわせて使うこととしています。

もちろんサッカー選手の李忠成やソフトバンクの孫正義のようにクラン名をそのまま苗字としている人たちもいますね。

こうして事例をあげていくと“在日の通名”と呼ばれているものには、ちゃんと歴史が込められていて、苗字として名乗ることに問題はないと思うのです。
クラン名の金氏も、苗字の金城も、どちらも名前です。在日の子ども達に「本名を名乗るべきだ!」なんて迫ってアイデンティティを混乱させたりする必要はなく、どちらも異なるシステムの本当の名前なのだと思うのです。
逆に自分のクラン名を知らない日本人に、「えー、そんなことも知らないのー、自分の名前なのにー」って言えるように教えた方が良いのになぁ、なんて。

中国や韓国でもフランス式の苗字名乗りを独自に導入しようという考えは近代に入る頃にはありました。この方が便利なので。ただ、これは日本との関係上、第二次大戦後にはナショナリズムや民族主義(エスニシズム)を強烈に刺激するため議論はタブーとなっています。

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ちなみにこれを書いている私自身の苗字は、福岡の麻生さんと同じリニエージに属しています。
この2冊の本も資料として使いましたが、いわゆる創氏改名やいわゆる通名に批判的な書き方です。でも、通名批判って日本人の名前そのものに帰ってきてしまうので、あんまり宜しくないな、なんて思うのです。
無駄に対立を煽る結果になってきたのが、これまでのことですから。