メメント・モリ、死を想う。人間には鳥に、犬に、食われる自由もある | Good morning. Art life

メメント・モリ、死を想う。人間には鳥に、犬に、食われる自由もある

$GALLERY MORNING-三条通りの夕焼け
藤原新也さんが、切り取ってきたインドの風景に

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」の一枚がある
ガンジスだろうか。広い広いガンジスの川辺、砂浜に流れ着いた死体を食う犬たち。かつて写真週刊誌に載って話題になった

http://www.fujiwarashinya.com/main.htmlのMemento moriをクリック

今日、叔父を見舞ってきた。骨と皮の彼を見続けるのは厳しかった
命はしっかり、その場にある
しかし、生きる道具としての身体は、ほとんど機能を失っている
気はしっかりと巡っているのだと思った。

しかし
体は、病院のベットに横たわり、点滴が続く。はたして彼は再びお気に入りの散歩道を歩くことができるのか


医療は発達し、平均余命はどんどん伸びて
病院には手厚い看護が存在する
時には、他人の臓器を移植することもできる

じぶんの死を想った。




遺伝子を共有する叔父の姿をみながら


普通に動かない右手首、でも回復に向かっている今の状況・・・
揉む左手が感じている。チャンと動く手首、何と複雑で絶妙でパーフェクトであったのかを

もむことで、再度、右手首が作り直されているように思う。なかなか、うまくは行かないけれど
右手首以外の身体はちゃーんと動いている。それだけでとってもスゴイコトだと言うことが、分かる

病院に横たわる身体、からだ、カラダ、すべてがどこかがうまく行っていない人々を縫うように、健康じゃない僕が歩く、健康なときの僕よりも

それぞれの気持ちがちょっとだけ深さを持って伝わってきたのかもしれない
生老病死・・・

でも結局は、自分の問題としてしか「その自由」は受け入れられない


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