10月2日は、友達の誕生日。

同い年の女性。

早くに結婚してしまったので・・・

以降はそれほど会ってないけど(旦那も友達)、、、

大学時代は、本当によくいろんなトコに遊びに行ってた。

そんな彼女と会えない今がさびしいのではなく・・・

会えない今でも、会えば笑って話せる関係が何よりもうれしい。

数少ないが・・・

男女問わず、そういう友達が何人かはいる。

心からいい人に出会えたなあ、と思う。


去年のこの日も、毎年のようにおめでとうメールを送った。

その程度ではあるが・・・

ボクにとって、年の中で心地よい日の一つだった。

ところが。。。


その日は夕方から協力会社の方が来て、勉強会が行われていた。

めずらしくボクがいろいろと質問をし、予定より勉強会の時間は押していた。

その間、携帯がなっていたが・・・

気づかなかった。

もちろん、気づいたところで状況的に返事はしなかったと思うが。。。


18時を過ぎ、勉強会は終わった。

本来、ボク程度の役職であれば、同行する必要もないのだが・・・

そこは気を遣ってくれ、その後の会食に呼ばれた。

あわただしく帰り支度をしている時に、母からの着信に気づく。

もし、もっと前であれば・・・

その着信の意味がわかっていただろう。

しかしながら・・・

時が経ち、いつしかそういう電話がかかってくることはないと思ってたところがあった。

ゆえに、その着信にあわてることなく、折り返しの電話をかけた。

電話をかけた母は至って冷静ではあったが・・・

内容を聞いた後だと、かなり悲しみをこらえた声だったように思える。

電話の内容は・・・

祖母が危篤、とのこと。

持って今夜までとのことで・・・

貴重な時間を用意してくれた人たちには悪いが、、、

そんなことも言ってられない。

祈るような思いで病院へと急いだ。


最寄駅に着き、タクシーに乗る。

それまで電車で移動していた時に感じなかった思いがこみ上げる。

9月に祖母は骨折し、手術を受けた。

施設に入って、3度目の入院。

その一つは心不全で・・・

どちらかというと、それでの入院の方が心配だったが、それは以前からもあったので、

他の家族は比較的落ち着いていた。

1度目の入院も骨折が原因。

部屋で・・・転んで骨を折ったらしい。

施設に入って、間もない頃だった。

施設に入れることに迷いはあったが・・・

きっと、総合的にはみんなが幸せになれる!

そういう思いがあって入居させたのに・・・

本当にあの日も辛かった。

それでも、元気に見送ってくれる祖母の顔が・・・

その時はうれしかったけど、、、

今となっては、すごく辛い。

寂しがり屋の祖母の・・・

でも、負けず嫌いの祖母の、精一杯の意地だったに違いない。


1度目の骨折の手術は、無事成功した。

正直、病気の手術ならともかく・・・

怪我の手術で生命に危機が訪れるなど、想像したこともなかった。

しかし、若い人にはそれが普通でも・・・

高齢の人には、それがものすごく負担だと言うことを2度目の手術で知る。

2度目の手術の前の日、母と二人で祖母を見舞いに行った。

その時も元気で・・・

ホントは居て欲しい癖に、強がって、、、

「さっさと帰りな!」

と言っていた。

・・・はっきりとした意識の中では、これが最後の会話になった。


いつもなら・・・

手術が終わった後、電話をかけてくるはずなのに、、、

この日はいっこうにかかってこなかった。

かけてくると、

「(電話は)何か(悪いことが)あった時にしてよ。」

と言ってたボクだが・・・

この日は、めずらしくかけてこないことにいらだっていた。

そこで、こちらから電話をかけた。

・・・(母の携帯には)つながらない。

そこで、自宅にかけてみた。

父が出た。

電話に出なかったことにもいらだっていたので、少し怒り口調で

「無事終わったんだったら、電話くらいしてよ。」

と言うと・・・

「いや、実は無事ではなくて。。。」

との返し。

えっ?!

想像もしてなかった結果に、一瞬、目の前が真っ白になった。

考えてみると・・・

普段滅多に家の電話に出ることのない父が受話器を取ったということは、、、

それだけでいつもと違うと感じ取らなければいけない事態だった。

骨折の手術は無事終わったが・・・

その後、心臓が止まり、、、

いろいろな処置が行われたらしい。

一命は取り留めたものの・・・

数日後、祖母の元へ行くと、、、

そこには、ドラマの中だけかと思うくらいな状態で集中治療室で眠る祖母の姿があった。

弟は必死に祖母に声をかけていたが・・・

ボクは声が出ず、、、

早々にその場を立ち去った。


以降、意識が戻ることはあっても・・・

会話をできる状態ではなかった。

だから、いつ、携帯に訃報が届いてもおかしくない状況だったのに・・・

少し落ち着いたことで、覚悟がなくなっていたのだろう。

タクシーを降り、走ってはいけない廊下を・・・

可能な限り足早に病室に向かった。

この日も一度心臓が止まったようだが・・・

医師達の手厚い看護により、ボクが到着した時にはまだ命はあった。

もはや、ボクの声は届かないと思ったけど・・・

この時はできるだけ多くの声をかけた。

この日は病院に泊まる覚悟でいたが・・・

どうすることもできない中、こちらまで何かあってはいけないと、伯父や母に言われ、、、

その場を後にした。


家に着いて間もなく、電話がなった。

・・・幸い、それは訃報ではなかった。

祖母は、またも一命を取り留めた。

以降.、忙しい中ではあったが・・・

できる限り、祖母に会いに行く時間を作った。

ただし、無理して行ったのでは祖母も喜ばないと思ったので・・・

あくまで自分の時間を大切にしつつ、、、ではあるが。

もちろん、祖母に会いに行くという時間も大切な時間の一つではある。


一つ違う意味を持つようになった10月2日。

選べる検査日の中、ボクはこの日を選んでいた。

思えば・・・

祖母の誕生日も検査日に選んだ。

それに深い意味があるわけではないが・・・

その日に対する特別な思いがあったのは確かだろう。

検査(血液検査)の結果は・・・

ちょっと芳しくないかな?

数値の限界値で見ると、ほとんどの数値はその範囲におさまってるが・・・

A1Cの値は、、、

今でこそ基準値が6.2に上がったらしが、当時なら糖尿病予備軍と判断される5.8という値。

γGTPも・・・

範囲内ではあるが、その数値がだんだんとあがってきているのはあきらか。

NGなのは・・・

尿酸値。

・・・微妙に感じる指先の痛みは、、、このせい?

医師には、

「薬を出しましょうか?」

と言われたが・・・

とりあえず、今回は控えてみた。

ボクは、とにかく水分をとらないので・・・

そこに少し原因がある気がする。

それで、少しでも改善されるのか否か。。。

次も血液検査をすることで、診てみることにした。

もちろん、水分以上に・・・

食事制限の方が大切なんだろうけど、、、

ま、そこはボチボチ。。。(^▽^;)

とにかく・・・

この日(10月2日という日に)深刻な意味(悪い日という印象)を持たなかったことを、、、

とりあえずは、よしとしよう。。。あせる