山崎 雅弘 @mas__yamazaki 2分
安倍晋三首相が30日、アジア安全保障会議(シャングリラ対話)で自身の靖国神社参拝について「国のために戦った方に手を合わせる、冥福を祈るのは世界共通のリーダーの姿勢だ」などと語り、会場が拍手に包まれる一幕があった
(産経)http://on-msn.com/1gNdY3Q
産経らしい記事。
首相が靖国神社参拝を正当化する説明を行った際「会場が拍手に包まれた」と書いているのは、今のところ産経だけ。
見出しにも「会場に賛同の拍手」とあるが、拍手したのは誰なのか、会場にいた首相周辺の人間なのか否かを示す記述はない。
少なくともホスト国のシンガポールの人は、拍手はしないだろう。
シンガポール外務省の報道官は(2013年12月)29日、安倍晋三首相の靖国神社参拝(26日)を「遺憾だ」とする声明を出した
(産経)http://on-msn.com/1hp0pGS
「旧日本軍は1942年、英国植民地だったシンガポールを占領。多数の中国系住民を殺害したとされる」
産経が書いている通り、日本軍の第25軍は1942年2月15日に英領シンガポールを占領したが、植民地からの解放はせず、地名を前日の2月14日付で「昭南島」へと一方的に変更し、昭南特別市として終戦まで日本の軍政統治下に起き続けた。
そして日本軍の記録では数千人、シンガポール側の記録では数万人の中国系住民を殺害した。
このシンガポールでの「華僑大虐殺」は、日本軍に抵抗した疑いのある人間だけでなく、英植民地時代の公務員や地方議員などの「知識人」も殺害の対象として選別しており、構図としてはナチスドイツがポーランド等で実行した知識人虐殺と共通する一面もある。
インド独立運動を支援したことで知られる「F機関」の藤原岩市少佐は、辻政信中佐の命令で行われたシンガポールの華僑大虐殺を知ると「このような野蛮な行為は逆にアジア民心の離反を招く」と第25軍上層部に抗議した。
戦後は辻政信が行方をくらましたため、現地で警備司令官だった軍人が処刑された。
日本の首相が「安全保障問題を討議するため」シンガポールを訪問して、こうした歴史的な事実に全く触れようともしない。
首相は「旧敵国」の仏パリと英ロンドンで「無名戦士の墓」を詣でて「靖国神社に参拝するのも同じだ」と論点のすり替えを図っていたが、シンガポールでは犠牲者記念碑を訪れたのか?
(一九六〇年当時)辻政信参院議員(終戦後しばらく経って帰国し当選)は「集団とか個別というのは自衛の手段にすぎない。自衛の本旨を認めているなら手段も当然、認められるべきだ。それを否認するなら条約を作る必要はない」と政府を問い詰めた(東京)http://bit.ly/1kaKXjn