始まり

大地を持ち上げるオーディン、ヴィリ、ヴェー。『巫女の予言』におけるミズガルズの創造。
大地を持ち上げるオーディン、ヴィリ、ヴェー。『巫女の予言 』におけるミズガルズ の創造。

北欧神話によれば、生命の始まりは火と氷で、ムスペルヘイムとニヴルヘイムの二つの世界しか存在しなかったという。ムスペルヘイムの熱い空気がニヴルヘイムの冷たい氷に触れた時、巨人ユミル と氷の雌牛アウズンブラ が 創り出された。ユミルの足は息子を産み、脇の下から男と女が一人づつ現れた。こうしてユミルは彼らから産まれたヨトゥン及び巨人達の親となる。眠っていた ユミルは後に目を覚まし、アウズンブラの乳に酔う。彼が酔っている間、牛のアウズンブラは塩の岩を嘗めた。この出来事の後、1日目経って人間の髪がその岩 から生え、続いて2日目に頭が、3日目に完全な人間の体が岩から現れた。彼の名はブーリ といい、名の無い巨人と交わりボル を産むと、そこからオーディン、ヴィリ、ヴェーの3人の神が産まれた。

3人の神々は自分たちが十分に強大な力を持っている感じ、ユミルを殺害する。ユミルの血は世界に溢れ、2人を除く全ての巨人を溺死させた。しかし巨 人は再び数を増やし続け、すぐにユミルが死ぬ前の人数まで達した。その後神々は死んだユミルの屍体で大地を創り、彼の血液で海・川・湖を、骨で石・脳で雲 を、そして頭蓋骨で天空をそれぞれ創りだした。更にムスペルヘイムの火花は、舞い上がり星となった。

アスクとエムブラの創造が描かれた、フェロー諸島の切手。
アスクとエムブラ の創造が描かれた、フェロー諸島 の切手。

ある日3人の神々は歩いていると、2つの木の幹を見つけ、木を人間の形へ変形させた。オーディンはこれらに生命を、ヴィリは精神を、そしてヴェーは視覚と聞く能力・話す能力を与えた。神々はこれらをアスクとエムブラ と名づけ、彼らのために地上の中心に王国を創り、そこを囲むユミルのまつ毛で造られた巨大な塀で、巨人を神々の住む場所から遠ざけた。

世界樹ユグドラシルの下で、運命の糸を紡ぐノルン。
世界樹ユグドラシルの下で、運命の糸を紡ぐノルン

巫女はユグドラシルや三人のノルン (運命の女神、それぞれウルド (ウルズル)、ヴェルザンディ (ヴェルダンディ)、スクルド という名で、各々は過去、現在、未来を司る)の説明に進む。巫女はその後アース神族とヴァン神族の戦争と、オーディンの息子でロキ以外の万人に愛されたという、バルドル の殺害について特徴を述べる。(まだ若かったヤドリギ 以外、この世に存在する全てのものは、バルドルを傷つけられないと約束されていた。しかし、ロキはこの唯一の弱みを利用し、ヤドリギ の槍を造ってオーディンの息子でありバルドルの兄弟でもある盲目のヘズ を騙して、槍を使わせバルドルを殺すことに成功する。ヘルは九つの世界にいる全ての人々が嘆き悲しむのであれば、彼を蘇らせようと言った、という内容の物語である。)この後、巫女は未来への言及に注意を向ける。

[編集 ] 終局(終末論信仰)

バルドルの死から、世界の終末が始まる。
バルドル の死から、世界の終末が始まる。

詳細はラグナロク を参照

古き北欧における未来の展望は、冷たく荒涼としたものであった。同じく北欧神話においても、世界の終末像は不毛且つ悲観的である。それは、北欧の神 々がユグドラシルの他の枝に住む者に打ち負かされる可能性があるということだけでなく、実際には彼らは敗北する運命にあり、このことを知りながら常に生き ていたという点にも表れている。信じられているところでは、最期に神々の敵側の軍が、神々と人間達の兵士よりも数で上回り、また制覇してしまう。ロキと彼 の巨大な子孫達はその結束を打ち破る結果となり、ニヴルヘイムからやってくる死者が生きている者たちを襲撃する。神々の見張り人であるヘイムダルは、角笛 ギャラルホルンが吹かれると共に召喚される。こうして秩序の神族と混沌の巨人族の最終戦争ラグナロクが起こり、神々はその宿命としてこの戦争に敗北する。 これについて既に気づいている神々は、来たる戦争の日に向けて最高の勇者エインヘリャル を 集めるが、巨人族側に負け、神々と世界は破滅する。この中でも2つの楽観的な点がある。ラグナロクでは神々や世界の他に巨人族もまた全て滅びるが、廃墟か らより良き新しい世界が出現するのである。オーディンはフェンリルに飲み込まれ、トールはヨルムンガンドを打ち倒すがその毒のために斃れた。最後に死ぬの はロキで、ヘイムダルと相打ちになり、スルトによって炎が放たれ、九つの世界が海中へと沈む。

このように神々はラグナロクで敗北し、殺されてしまうが、ラグナロク後の新世界ではバルドルのように蘇る者もいる。

[編集 ] 王と英雄

ラムスンド彫刻画に描かれている、ヴォルスンガ・サガの一節。
ラムスンド彫刻画 に描かれている、ヴォルスンガ・サガ の一節。

この神話文学には霊的な創造物達もさることながら、英雄や王たちの伝説にも関連している。物語に登場する氏族や王国を設立した人物たちは、実際に起 こったある特定の出来事や国の起源などの例証として、大きな重要性をはらんでいるという。この英雄を扱った文学は他のヨーロッパ文学に見られる、叙事詩と 同様の機能を果たし、民族の固有性とも密接に関連していたのではないかと考えられている。伝説上の人物はおそらく実在したモデルがあったとされ、スカン ディナヴィアの学者達は何代にも渡って、サガ における神話的人物から実際の歴史を抽出しようと試みているのである。

ヴェーランド・スミス(鍛冶屋のヴェーランド)とヴェルンドシグルズジークフリート 、そしておそらくはベオウルフ と ボズヴァル・ビャルキなど、時折ゲルマンのどの世界で叙事詩が残存していたかにより、英雄も様々な表現形式で新たに脚色される。他にも、著名な英雄にはハ グバルド、スタルカド、ラグナル・ロウドブロック、シグルズ・リング、イヴァル・ヴィドファムネ、そしてハーラル・ヒルデタンドなどがいる。戦士に選ばれ た女性、盾持つ処女も著名である。女性の役割はヒロインとして、そして英雄の旅に支障をきたすものとして表現されている。

[編集 ] 北欧の崇拝

[編集 ] 信仰の中心

ガムラ・ウプサラ - 11世紀後期に破壊されるまで、スウェーデンにおける信仰の中心地だった。
ガムラ・ウプサラ - 11世紀後期に破壊されるまで、スウェーデン における信仰の中心地だった。

ゲルマンの民族が現代のような神殿を築くような事は、全く無かったかもしくは極めて稀なことであった。古代のゲルマンおよびスカンディナヴィアの人々により行われた礼拝の慣例 ブロト(供儀) は、聖なる森で行われたとされるケルト人バルト人 のそれと似通っている。礼拝は家の他にも、石を積み上げて作る簡素な祭壇ホルグで行われた。しかし、カウパング、シーリングサルとも)やライヤ(レイレとも。)、ガムラ・ウプサラ のように、より中心的な礼拝の地が少ないながら存在していたように見える。ブレーメンのアダムは、ウプサラにはトール・オーディン・フレイの3人を模った木像が置かれる、神殿があったのではと主張している。

[編集 ] 司祭

聖職のようなものは存在していたと思われる一方で、ケルト社会における司祭ドルイド の位ほど、職業的で世襲によるものではなかった。これは、女性預言者及び巫女達が、シャーマニズム 的伝統を維持していたためである。ゲルマンの王権は、聖職者の地位から発展したのだともよく言われている。この王の聖職的な役割は、王族の長であり生贄の儀式を執り行っていた、ゴヂの全般的な役割と同列である。

シャーマニズム的考え方を持っていた巫女達も存在してはいたが、宗教そのものはシャーマニズムの形態をとっていない。

[編集 ] 人間の生贄

ガムラ・ウプサラでのドーマルディ王の生贄。カール・ラーション作、「Midvinterblot(冬至の生贄)」、1915年。
ガムラ・ウプサラ でのドーマルディ 王の生贄。カール・ラーション 作、「Midvinterblot (冬至の生贄)」、1915年。

ゲルマンの人間の生贄を見た唯一の目撃者の記述は、奴隷の少女が埋葬される君主と共に自ら命を差し出したという、ルス 人の船葬について書かれたイブン・ファドラーン の記録の中に残っている。他にも遠まわしではあるが、タキトゥスサクソ・グラマティクス 、そしてブレーメンのアダム の記述に残っている。

しかし、イブン・ファドラーンの記述は実際には埋葬の儀式である。現在理解されている北欧神話では、奴隷の少女には「生贄」という隠された目的が あったのではという理解がなされた。北欧神話において、死体焼却用の薪の上に置かれた男性の遺体に女性が加わって共に焼かれれば、来世でその男性の妻にな れるであろうという考え方があったとも信じられている。奴隷の少女にとって、たとえ来世あっても君主の妻になるということは、明らかな地位の上昇であっ た。どちらの宗教的な考えもインド・ヨーロッパ族の伝統であり、イブン・ファドラーンの記録にあるような生贄の記述を、ヒンドゥー教サティー の儀式と混同してはならない。

ヘイムスクリングラ では、スウェーデンの王アウン が登場する。彼は息子エギル を殺すことを家来に止められるまで、自分の寿命を延ばすために自分の9人の息子を生贄に捧げたと言われる人物である。ブレーメンのアダムによれば、スウェーデン王はウプサラの神殿でユール の 期間中、9年毎に男性の奴隷を生贄としてささげていた。当時スウェーデン人達は国王を選ぶだけでなく王の位から退けさせる権利をも持っていたために、飢饉 の年の後に会議を開いて王がこの飢饉の原因であると結論付け、ドーマルディ王とオーロフ・トラタリャ王の両者が生贄にされたと言われている。

知識を得るためユグドラシルの樹で首を吊ったという逸話からか、オーディンは首吊りによる死と結びつけて考えられていた。こうしてオーディン式に首つりで捧げられたと思われる古代の犠牲者は、窒息死したのちユトランド半島 の酸性を帯びた泥炭 へと棄てられるのだが、その土壌が完全な遺体の保存状態を作り出したため、近代になって見つかった遺体が考古学的な支えとなっている。この一例が、地中に長らく埋まっており顔まではっきりとわかるミイラ、トルンド・マン である。しかし、他の目的もあったと思われるこの首吊りの原因について、明確に翻訳された記録は未だに誰も所有していない。

[編集 ] キリスト教との相互作用

829年、ハウギのビョルン王により、スウェーデンに招かれるキリスト教の宣教師、アンスガルの1830年の描写。
829年、ハウギのビョルン 王により、スウェーデンに招かれるキリスト教の宣教師、アンスガル の1830年の描写。

北欧神話を解釈する上で重要なのは、キリスト教徒の手により「キリスト教と接触していない」時代について書かれた記述が含まれているという点である。『散文のエッダ 』や『ヘイムスクリングラ』は、アイスランドがキリスト教化されてから200年以上たった13世紀に、スノッリ・ストゥルルソンによって書かれている。これにより、スノッリの作品に多くのエウヘメリズム思想が含まれる結果となった。

事実上全てのサガ文学は比較的小さく遠い島々のアイスランドから来たものであり、宗教的に寛容な風土ではあったものの、スノッリの思想は基本的にキ リスト教の観点によって導かれている。ヘイムスクリングラはこの論点に興味深い見識を備える作品である。スノッリはオーディンを、魔法の力を得、スウェー デンに住む、不死ではないアジア大陸の指導者とし、死んで半神となる人物として登場させた。オーディンの神性を弱めて描いたスノッリはその後、スウェーデ ン王のアウンが自身の寿命を延ばすために、オーディンと協定を結ぶ話を創る。後にヘイムスクリングラにおいてスノッリは、作品中のオーラヴ2世 がスカンディナヴィアの人々を容赦なくキリスト教へ改宗させたように、どのようにしてキリスト教へ改宗するかについて詳述した。

キリスト教化されたノルウェーで行われていた、恐ろしい形式の死刑執行。オーラブ・トリグヴァソン王は男性の予言者(ヴォルヴァ)を縛り、引き潮時にスケリー(skerry、岩の小島)へ置き去りにした。
キリスト教化されたノルウェーで行われていた、恐ろしい形式の死刑執行。オーラブ・トリグヴァソン 王は男性の予言者(ヴォルヴァ)を縛り、引き潮時にスケリー(skerry、岩の小島)へ置き去りにした。

市民戦争を避けるため、アイスランド議会はキリスト教に票を投じるが、キリスト教から見ての異教崇拝を、幾年もの間自宅での隠遁の信仰で耐え忍ん だ。一方スウェーデンは、11世紀に一連の市民戦争が勃発し、ウプサラの神殿の炎上で終結する。イギリスでは、キリスト教化がより早く散発的に行われ、稀 に軍隊も用いられた。弾圧による改宗は、北欧の神々が崇拝されていた地域全体でばらばらに起っている。しかし、改宗は急に起こりはしなかった。キリスト教 の聖職者達は、北欧の神々が悪魔であると全力を挙げて大衆に教え込んだのだが、その成功は限られたものとなり、ほとんどのスカンディナヴィアにおける国民 精神の中では、そうした神々が悪魔に変わることは決してなかった。

キリスト教化が行われた期間は、例としてローヴェン島ベルゲン を 中心に描かれている。スウェーデンの島、ローヴェン島における墓の考古学的研究では、キリスト教化が150から200年かかったとされ、場所も王侯貴族が 住んでいた所に近かった。同様に騒々しく貿易が行われた町ベルゲンでは、ブリッゲン碑文の中に、13世紀のものと思われるルーン文字の碑文が見つかってい る。その中にはトールに受け入れられますように、オーディンに認められますように等と書かれたものがあり、キリスト教化が進んでいる世界で、古ノルド語の 魔術ガルドラ、セイズ (Seid) とも) も描かれている。記述の中にはワルキューレのスケグル に関するものもあった。

14世紀から18世紀にかけての記述はほとんどないものの、オラウス・マグヌス (1555年)のような聖職者は、古くから根づく信仰を絶滅させることの難しさを書いた。この物語はハグバルドとシグニュー の恋愛物語のように、快活に描かれたスリュムの歌 に も関連しており、どちらも17世紀と19世紀終わりごろに記録されたと考えられている。19世紀と20世紀に、スウェーデンの民族学者達は一般の人々が信 じ、北欧神話における神々の残存する伝承を記録したが、その当時伝承は結集されたスノッリによる記述の体系からはかけ離れたものであったという。トールは 数々の伝説に登場し、フレイヤは何度か言及されたが、バルドルは地名に関する伝承しか残っていなかったそうである。

特にスカンディナヴィアの伝承における霊的な存在のように、認知されてはいないが北欧神話の別の要素も残されている。その上、北欧の運命の考え方は現代まで不変のものであった。クリスマス にブタを殺すスウェーデンのしきたり(クリスマス・ハム)など、ユール伝承の原理も多くが信じ続けられた。これはもともとフレイへの生贄の一部であった。