浪速の双子ボクサー(兄) 長田 靖史 -2ページ目

浪速の双子ボクサー(兄) 長田 靖史

お前らの~ワシのアメブロに何しとんのや!?

ホームレスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐の会長を除かなければならぬと決意した。ホームレスには格闘技がわからぬ。ホームレスは、大正の流浪人である。ホラを吹き、空き缶を集めて暮して来た。けれども暴力に対しては、人一倍に敏感であった。きょう未明ホームレスはダンボールハウスを出発し、野を越え山越え、十里はなれた此の大正駅前のボクシングジムにやって来た。ホームレスにはボクシング経験も、格闘技経験も無い。金も無い。ホームレスには空き缶の友があった。ナガタンティウスである。今は此の大正のボクシングジムで、練習をしている。その友を、これから訪ねてみるつもりなのだ。久しく逢わなかったのだから、訪ねて行くのが楽しみである。



 いきなりだが、大学生で二十歳の俺(当時)は怒っている。走っているメロスよりも怒っている。スーパーサイヤ人なら髪の毛が逆立つぐらい怒っている。チリチリの俺の髪の毛は立たないので歯痒いのだがとにかく怒っている。理由を話そうか。


 一週間ぐらい前になる。夕方頃に俺は大正駅前にあるボクシングジムに行った。
 

俺は十六歳の時にボクシングジムの門を叩いた。親には昔から大反対されていたので、高校一年生の終わりの春休み中に、二週間ぶっ通しで尼崎にある工場で日雇いのバイトをして、その十万円を軍資金にして家族には黙ってボクシングを始めたのだった。同年代ばかりが集まる高校の部活動と違い、社会人やプロのアスリートが一生懸命汗を流す場に馴染むというのは少し勇気がいる事だった。他のスポーツならまだしもボクシングジムに入門するのは敷居が高く思えたし、何となく怖い所という偏見もあった。ダイエット目的ではなく、死ぬ危険性だってあるプロのリングで闘う事を目指すのなら、バイト感覚で足を踏み入れていい場所でなくなるのは確かだ。
 

ただプロボクサーになると決めた以上は如何なる障害や困難も自分の拳一つで乗り越えるつもりだったし、それだけの覚悟があればはじめの一歩は簡単に踏み出せた。関西のプロ加盟しているボクシングジムは四十を越えるのだが、俺が選んだのは地方のいわゆる弱小ジムだった。そこを選んだ理由はズバリ金である。学校とラーメン屋のバイトとボクシングを両立していかなければならず、経済的な負担を出来るだけ最小限に抑えたかった。ほとんどのジムが学生は割引が利いて大体月謝が八千円ぐらいで済んだのだが、そこは年間一括払いだと通常一万円以上する入会費も含めて十二ヶ月でたったの五万円という破格のキャンペーンを行っていた。


また違う記事で書くので省略するが、案の定このジムは潰れた。この経営だと潰れるのは時間の問題だろうし、小規模のジムにも関わらず自主興行を打ちまくっていたり現役のプロボクサーが二十名以上在籍しているのは逆に怪しく思えた。俺は高校生の間はボクシングのイロハさえ分かれば良かったし、プロになる時はもっと大きくて実績のある所に移籍すると心に決めていたので、都合よく利用出来るリーズナブルなジムを求めていた。おかげでねずみ男よりも狡猾で卑怯で貧乏で利己的な俺は入門して十二ヶ月後に、一年半で三万円というジャパネットたかたもビックリの長田キャンペーンを組んでもらった。


「計画通り」





 再びノートに触れて記憶が蘇ったデスノートの夜神月ばりにゲスな笑みを浮かべていた。十九歳で左肩を手術して、そのリハビリが終わったと同時に大正駅前のジムへと移籍した。前のジムと違い希望、活気や熱気といったものが溢れるリングの上で、眼光が鋭い多くの若者が日々闘いに身を投じていた。そこで何故、フリーザに挑発されて「クリリンのことかー!」と叫んだドラゴンボールの孫悟空並みに怒り狂うはめになったのか、池上彰さんの解説並みに分かりやすく説明したい。




「ちわっす!」


 まずジムに入る時は大声で挨拶をする。因みに俺は声が裏返らないように何回も心の中で(ちはっす…ちはっす…ゴホンッ…)と復唱してからいく。それはもう卒業式で自分の名前を呼ばれる時ぐらいの緊張感である。たまにそこまでして備えたのに思いっきり声が裏返る時とか今だけ時空が歪んでいたのかとすら思う。

 会長にも挨拶して階段を登り、三階の更衣室へ行って練習着に着替えて、リングとサンドバッグが置かれた一階の空きスペースでストレッチを始める。
 

 拳を保護する為に包帯みたいな白色のバンデージと呼ばれるものを手全体に巻くのだが、これはボクサーとしての闘争本能を呼び起こしてくれるスイッチだと俺は思っている。今からリングという名の戦場に赴くんだと。逃げ場のない正方形の檻の中で殴り合うんだと。強くなるんだと。俺はボクサーなんだと。そう覚悟を決めさせてくれる。心まで保護してくれる。そして俺はバンテージを巻きながら、その心でいつも思うのだ。

(女子高の教師になりたいなぁ…。三割増しでかっこよく見えるらしいしなぁ…俺が体育教師になったら季節関係なく一生大縄跳びさせるやろなぁ…勿論並ぶ順番は胸が大きい人から前にさせるからなぁ…Aカップは縄を回す人決定やなぁ…もう最悪胸がデカけりゃ男でも何でもええかなぁ…たまに気分でお尻が大きい人順に並ばせるかもなぁ…プロボクサーってなったら女子高生にモテるやろうしそれがボクシング続けるモチベーションかなぁ…)

と、心の底からそう思うのだ。
 

 準備も終わり、シャドーをしていたら先輩がスパーリングをやり始めた。通称スパーと略されるスパーリングは、頭を守る為にヘッドギアをつけ、ダメージを抑える為に試合用より一回り大きいグローブで本気で殴り合う実践練習だ。強いボクサー同士が拳を交える時、俺達は手を止めてスパーを見学する。見るのも勉強の内だからだ。



 ジムに誰か入ってきた。



「ナイスパンチや!」

 大正のホームレスさんだった。いわゆる住所不定の無職さんだった。ねずみ男そっくりだった。今思えばこの時にしばくべきだった。ガチンコファイトクラブの竹原慎二さんなら、この時点で机を蹴って胸ぐらを掴んでいただろう。全部見た上で発言するならまだ許せるが、2Rの終了間際ぐらいに急に入ってきてろくに見てないくせに叫び出した。


 暑さで頭がおかしくなったか。ツイッターかYouTubeにアップしてやろうか。血が騒いできた。
 こいつは範馬勇次郎並みに堂々とジムに入ってきてセコンドから指示を送った。

「左からやぞ!(笑)」

 案の定すぐにいきりだす。こういうのが舛添要一さんの…あっいや…ねずみ男のいけない所だ。


 聞いて、長田は激怒した。
「呆れたホームレスだ。生かして置けぬ」


 セコンドにねずみ男がいると目障りすぎる。違うんだお前は。お前はNHKとか深夜のドキュメンタリー番組で特集される人間だろう。ここじゃないんだ、お前の居場所は。俺がそっと注意をしようとする前に、会長がそれとなく話をし、追い出そうとした。



「え!?ぐふふ!」



 勢いよく笑い出した。気味が悪い。本当に鳥肌がたった。久々に人間と話せた喜びが気持ち悪い笑顔となったのだろうが、お前の笑顔は「中学生日記」の演技より酷い。食事中なら吐いている。戦場なら撃っている。

 東京都知事…あっいや…ねずみ男も飽きたのか満足したのかスパーを見終わる事なく、意外と早くジムを出て行こうとした。


 背中を向けながら「うぃっす!」と、映画の「ロッキー」のポスターばりに右手を掲げていた。


 だから違うんだお前は。お前は世界初挑戦の内藤大助戦で度重なる反則を犯して一年間ライセンス停止処分が下って、謝罪会見する事になるも坊主姿で終始うつむいて何も語らずに二分程で会場を後にした亀田大毅さんのように出ていくんだ。お前は大学一回生の前期の筆記試験で、左手に答えを書くという卑劣なカンニングをかまし、それが試験官の先生に一瞬でバレて、開始二分程で会場からつまみ出された大学の狂犬、下田卓史の様に出て行くんだ。


 もし俺が竹原慎二さんなら去り際にねずみ男を柔道技で投げ飛ばしている。「ワシのガチンコナガタクラブに何しとんのや」ってキレている。名前を知らんがとりあえず「おい、梅宮」って呼び止めている。「久しぶりにムカついたわ。ナガタクラブ入れて地獄見せちゃるけぇの」って脅している。「次回またしてもとんでもない事態が!?一体どうなってしまうのだろうか!?」みたいな大袈裟なナレーションを流している。来週辺りにTOKIOさんがジムに来てくれるはず。TOKIOさんが来たら絶対に乱闘騒ぎになるはず。特に理由はないが絶対に乱闘は起きるのである。ガチンコのくだりが何の事か全く分からないというホームラン級のバカはもう放っていく。国民は日本の総理大臣の名前を知る前に、四期生の梅宮を知るべきなのである。



 大正のホームレスさんの去り際、長田とこんな感動のシーンがあったという。




「ナガタンティウス」ホームレスは眼に涙を浮べて言った。
「私を殴れ。ちから一ぱいに頬を殴れ。私は、途中で一度、悪い指示を出した。君が若(も)し私を殴ってくれなかったら、私は君と抱擁する資格さえ無いのだ。殴れ」
 ナガタンティウスは、すべてを察した様子で首肯(うなず)き、ボクシングジム一ぱいに鳴り響くほど音高くホームレスの右頬を殴った。殴ってから優しく微笑み、
「ホームレス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三分の間、たった一度だけ、ちらと君を殺したくなった。生れて、はじめて君を殺したくなった。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」
 ホームレスは腕に唸りをつけてナガタンティウスの頬を殴った。
「ありがとう、友よ」二人同時に言い、ひしと抱き合い、それから嬉し泣きにおいおい声を放って泣いた。

 



今度ジムに来たら、女性の練習生がいようとも人前で思いっきりズボンずらしてやる。思いっきり恥をかかせてやる。多分パンツをはいてないだろう。


 ひとりの練習生が、緋のパンツをホームレスに捧げた。ホームレスは、まごついた。佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「ホームレス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのパンツをはくがいい。この可愛い娘さんは、ホームレスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく恐ろしいのだ」
 ねずみ男は、ひどく赤面した。 完




 てか誰がナガタンティウスやねん…。何やねんその恐竜みたいな適当なネーミング…。さっきから我慢してたけど…。話の流れを止めたくないから最後まで黙って聞いてたけど…。何かおかしいなとか思いつつずっと聞いてたけど…。空き缶の友って何やねん…。友達でもないし何で最後にホームレスの全裸を見なアカンねん…。もうオチが滅茶苦茶やん…。これ四コマ漫画やったらどんなに一生懸命説明しても四コマ目が意味不明なるやん…。どう考えても三コマじゃ説明が足らんやん…。一コマ目はジム行ってボクシングしてて、二コマ目で地元のホームレスが乱入してきて、三コマ目でセコンドに立って指示出し始めて、最後は全裸で赤面、って絶対アカンやん…。無理矢理すぎるやん…。太宰治さんが生きてたらブチギレるやん…。メロスも何の為に走ってたか分からんやん…。


 ただ害はなく意外と話せば通じる相手で良かった。俺は入り口付近で縄跳びを飛んでいたから分かったのだが、夏という事もあり中々の素晴らしい臭いだった。さすがねずみ男だった。「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男は実は三百年以上生きているのに一度も風呂に入ったことがなく、身体中にインキンタムシや皮膚病が広がっている日本一不潔な男なのである。吐く息で十メートル先のハエを殺せるのである。そんなあだ名をつけられるぐらいなので如何にこのホームレスさんも臭いが強烈だったかが分かるだろう。ねずみ男は屁も臭くて、ロケット噴射に近い風圧で放たれる為に、まともに食らえば心臓麻痺で死ぬらしい。ねずみ男なら今からでも余裕でボクシングの世界王者になれる気すらしてくる。

 

今度目玉おやじに相談しようと思う。あいつは茶碗風呂が趣味で、もはや極めすぎてコーヒー風呂とか紅茶風呂とか炭酸水プールとか訳の分からない事をやっている。風呂を極めた目玉おやじに頼んで大正のねずみ男を綺麗さっぱりにしてやろうと思う。多分ねずみ男の後の汚い茶碗風呂に入ったら、急所が剥き出しの目玉おやじとか、人類が今まで聞いた事もないような断末魔の叫びを上げて死に絶えるだろう。恐ろしい。しかしこれが妖怪の世界なのだ。


 ねずみ男は根っからの極悪人ではなく、意外と名言も残している。ある日、鬼太郎と食堂に入ったのだが、隣のチンピラが喧嘩を始めた。それを見てねずみ男は注意したのだ。


「けんかはよせ。腹が減るぞ」





 食卓を囲む場で言ったという事でより風刺がきいた言葉なのだが、もし俺が大正のねずみ男を力ずくで追い出そうとしていたらこう言われていただろう。



「暴力はよせ。インキンタムシがうつるぞ」と…。