The Best Day Of My Life 2

The Best Day Of My Life 2

~ふとした時に気付く小さな幸せと優しさ~

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昨年引っ越して以来、川沿いというお決まりのランニングコースがなくなったので、

逆の発想で、毎回、少しでも違う道を走るようにしている。そのお陰で、周辺の道に大分詳しくなった。

 

また、引っ越してすぐ急な坂で転んでしまったため、それ以来、道の高低差に注意するようになり、都内の地形に大分詳しくなった。

 

さらに、道や地形だけでは飽き足らず、最近では、ランニングコース周辺の昔(昭和、明治や江戸)の地図を見るように。「ここの場所には昔〇〇があったんだ」などと考えながら走っています。例えば、自分の家の前の細い道は江戸時代からあったことが分かったり、面白いですね。

 

ようは、ランニングとブラタモリが合体した感じです笑

 

今日は、古地図を調べるついでに、自らのファミリーヒストリーを少し調べてみた。

ひいおじいちゃんは同じ大学出身ということで、国会図書館のデジタルアーカイブス(ネット上で閲覧可)で卒業生名簿が見られたので、名前を確認。大正の卒業と知り、時代を感じますね。自分が生まれたときには既に亡くなっており、会ったことはないですが。

 

当時の人事興信録も見ると、家族構成・名前などが詳細に乗っていて、個人情報保護が叫ばれる今では考えられない感じですね。そのお陰で、自分が今まで聞いていなかった情報を色々知ることができました。例えば、ひいおばあちゃんの生年や学歴とか。

 

 

最近の週末はこんな感じですね。

 

 

 

 

昨年夏に日本に帰国して以来,美術館に足を運ぶようにしていて,行った先を以下書き連ねてみます。関心のある西洋絵画が展示されている美術館を中心に回っています。

 

あと,美術館巡りをしてみて,美術館(絵画)の楽しみ方のコツは,以下の3つがあるかなと思いました。

    長期的に計画を立てて行くべし

日本の美術館は常設展が少なく企画展が多いので,年初めに雑誌などで各美術館の年間の展示予定を確認し,自分が興味持てそうな美術展へ行くようにする。

    朝一番で行くべし

週末の昼間の時間帯はとても混んでいるので,朝一番が空いていてゆっくり見れる。

    感覚と知識両方で味わうべし

絵の説明を見る前にまずは絵を見て,「好き(嫌い)」,「きれい(気持ち悪い)」と,感覚的にまずは味わう。その上で絵に興味を持ったら,絵の説明を読んで知識的な面も含めて味わうと二重に楽しめる。

 

・国立西洋美術館(上野)

昨年は建物が世界遺産に登録されたことで話題に。ゴッホ,モネなど印象派の代表作家の作品が常設展で見れるのが魅力。

・東京都美術館(上野)

日本人に人気のある印象派やフェルメールの展覧会は,ここでよく行われている印象。

・上野の森美術館(上野)

・東京国立博物館(上野)

・森美術館(六本木)

・国立新美術館(六本木)

昨夏のルノワール展は素晴らしかった。

・黒田記念館(上野)

黒田清輝の代表作が見れる。ただし,代表作が展示されている特別室の公開は年に3回のみ。

・東京国立近代美術館(竹橋)

・三菱一号館美術館(丸ノ内)

・東京都庭園美術館(白金台)

・サントリー美術館(六本木)

・損保ジャパン日本興亜美術館(新宿)

 現存するゴッホの「ヒマワリ6枚」のうち1枚が,常設展で見れる。

・山種美術館(広尾)

 日本画専門の美術館

・根津美術館(青山)

 お庭も素晴らしい。昨夏インターンで職場に来ていたドイツ人がお気に入りでした。燕子花図屏風(5千円札の裏)が,毎年春に公開されている。

・府中市美術館(府中)

・世田谷美術館(砧)

・いわさきちひろ美術館(上井草)

・岡本太郎記念館(青山)

・ポーラ美術館(神奈川・箱根)


自慢でも悲観でもなく,自分は余り涙を流さないと思う。ここ10年間で涙を流した経験は,記憶にある限り3回である。全て人前であって,一人きりでは一回もないと思う。

 

もちろん,目が潤む程度であれば,テレビのドキュメンタリーなどを見てということはあるが,それでも年に1,2回あるかないかだろうか。

 

別に涙を流すことを我慢しているつもりもなく,逆に涙を流すことはストレス解消にもなるとも聞くので,涙を積極的に流したいとすら思ったりする。

 

今振り返ってみると,その3回の涙は,どれも自分の人生にとって大事な経験も伴ったものであったと思う。一つは「高校の部活の引退式」,二つ目は「就活の第一志望に落ちて親からある一言を言われたとき」,三つ目は「1年間毎日怒られ続けた上司と話をしていたとき」である。どの話も話の背景が色々あって丁寧に説明すると長くなりそうなので,ここでは,高校の部活の引退式の話を書くことにする。

 

 

自分の高校の野球部の3年生は,最後の夏の大会で敗退した後,その数日後に1,2年生や監督を前にして,3年間の思い出など一人一人短いスピーチをするのが恒例であった。試合に負けて夏の大会敗退が決まった瞬間は,レギュラーの一部の同級生は泣いていて自分も残念だなと思う気持ちはあったが,控えメンバーだったせいもあり,これから大学受験を頑張るぞぐらいの冷めた気持ちすらあった。

 

しかし,その数日後の最後のスピーチでは,話し始めるととにかく涙が止まらなくなった。12年生は,最初自分が下を向いてヒーヒーと笑っていると思ったらしく,それにつられて彼らも笑っていたが,自分が顔を上げて涙を流していると分かるとぴたりと笑うのを止めた。

 

チームメイトを前にして一番に思ったのは,3年間で自分の野球の実力が全然上がらず,チームに全く貢献できなったという自分への悔しさとチームメイトへの申し訳なさであった。スピーチ前は,ユーモアも交えて印象に残った合宿での出来事やチームメイトへの感謝の気持ちを数分間に渡って述べようと思っていたのだが,結局,むせび泣きは最後まで止まらず,しどろもどろになりながら,その自らの悔しさとチームへの申し訳ない気持ちを1分足らず話して終わってしまった。

 

今振り返ると,我ながら青春の1ページの悔し涙であるかなと笑。

 

その出来事で自分が誇りに思うのは,レギュラーの人達ほどではないが,「自分なりに一生懸命に練習したからこそ出た偽りのない自然の涙」であることである。約3年間に渡って週6回の練習を自分なりにしっかりやってこなかったら,涙は確実に出てこなかったと思う。もちろん,今思えば,練習方法で改善すべきところは山ほどあるのだが。

 

その一生懸命さは,残りの2回の涙にも共通するところがある。ここ最近の涙は,部活,就活,仕事と文脈は違えど,「一生懸命やって出た結果と向き合った際に自然と出た悔し涙」である。その3つの経験を今振り返っても,悔しさが込み上げてくると同時に,それぞれの結果に対する多くの反省も思い浮かんでくる。その悔しさや反省は自分の人生にとって貴重なものであり,それが日々生きていくための血となり肉となっている。

 

そんな涙と自分が次にいつ出会えるのか楽しみであるとともに,また早く出会えるように常に目の前のことに一生懸命でありたいと強く思うのである。