自慢でも悲観でもなく,自分は余り涙を流さないと思う。ここ10年間で涙を流した経験は,記憶にある限り3回である。全て人前であって,一人きりでは一回もないと思う。
もちろん,目が潤む程度であれば,テレビのドキュメンタリーなどを見てということはあるが,それでも年に1,2回あるかないかだろうか。
別に涙を流すことを我慢しているつもりもなく,逆に涙を流すことはストレス解消にもなるとも聞くので,涙を積極的に流したいとすら思ったりする。
今振り返ってみると,その3回の涙は,どれも自分の人生にとって大事な経験も伴ったものであったと思う。一つは「高校の部活の引退式」,二つ目は「就活の第一志望に落ちて親からある一言を言われたとき」,三つ目は「1年間毎日怒られ続けた上司と話をしていたとき」である。どの話も話の背景が色々あって丁寧に説明すると長くなりそうなので,ここでは,高校の部活の引退式の話を書くことにする。
自分の高校の野球部の3年生は,最後の夏の大会で敗退した後,その数日後に1,2年生や監督を前にして,3年間の思い出など一人一人短いスピーチをするのが恒例であった。試合に負けて夏の大会敗退が決まった瞬間は,レギュラーの一部の同級生は泣いていて自分も残念だなと思う気持ちはあったが,控えメンバーだったせいもあり,これから大学受験を頑張るぞぐらいの冷めた気持ちすらあった。
しかし,その数日後の最後のスピーチでは,話し始めるととにかく涙が止まらなくなった。1,2年生は,最初自分が下を向いてヒーヒーと笑っていると思ったらしく,それにつられて彼らも笑っていたが,自分が顔を上げて涙を流していると分かるとぴたりと笑うのを止めた。
チームメイトを前にして一番に思ったのは,3年間で自分の野球の実力が全然上がらず,チームに全く貢献できなったという自分への悔しさとチームメイトへの申し訳なさであった。スピーチ前は,ユーモアも交えて印象に残った合宿での出来事やチームメイトへの感謝の気持ちを数分間に渡って述べようと思っていたのだが,結局,むせび泣きは最後まで止まらず,しどろもどろになりながら,その自らの悔しさとチームへの申し訳ない気持ちを1分足らず話して終わってしまった。
今振り返ると,我ながら青春の1ページの悔し涙であるかなと笑。
その出来事で自分が誇りに思うのは,レギュラーの人達ほどではないが,「自分なりに一生懸命に練習したからこそ出た偽りのない自然の涙」であることである。約3年間に渡って週6回の練習を自分なりにしっかりやってこなかったら,涙は確実に出てこなかったと思う。もちろん,今思えば,練習方法で改善すべきところは山ほどあるのだが。
その一生懸命さは,残りの2回の涙にも共通するところがある。ここ最近の涙は,部活,就活,仕事と文脈は違えど,「一生懸命やって出た結果と向き合った際に自然と出た悔し涙」である。その3つの経験を今振り返っても,悔しさが込み上げてくると同時に,それぞれの結果に対する多くの反省も思い浮かんでくる。その悔しさや反省は自分の人生にとって貴重なものであり,それが日々生きていくための血となり肉となっている。
そんな涙と自分が次にいつ出会えるのか楽しみであるとともに,また早く出会えるように常に目の前のことに一生懸命でありたいと強く思うのである。