Kameda Vacates Title, Avoids Chemito Moreno Clash
The fight was pushed back previously. On August 28, the WBA ordered the mandatory fight. However, on the 8th of October, the agency approved an optional defense for Kameda, which take place on November 19 in Korea against Jung-Oh.
The WBA ordered a very concrete purse bid for December 10th in Panama.
BoxingScene reached out to Chemito's adviser, Sampson Lewkowicz, who is currently in Argentina. Lewkowicz confirmed the information.
"We were told Kameda has vacated, because he wants to avoid fighting with the real champion of the division, Chemito Moreno. The Japanese are very proud people, but this guy is a coward. He is "Coward Kameda." To do something this late, with the purse bid a few days away, it shows that he never had the balls to fight Chemito. We are now looking at several other options for Chemito," Lewkowicz told BoxingScene.com.
【以上「BoxingScene.com」より転載】
上記の記事、海外からも亀田に対するネガティブな反応がされています。
何回も書いていますが、そもそも自分がボクシングジムに通い始めたのは興毅がきっかけだったわけで、そのボクシングにたくさん助けられているわけで、そんな亀田に期待もしているわけだけど、単純に亀田ファンだから亀田のやることに対し全てを容認しているわけではありません。
ていうか自分の亀田に対する考え方は、純粋な亀田ファンからすれば完全にアンチと捉えられると思う。
だけど自分の場合はファンだからこそ厳しい目で見て当たり前!と思ってる。
いつかはこの心のモヤモヤ感をスッキリと晴らして欲しいと願っている。
なんで次から次へとごたつくのか。
興毅がよく言う「勝って次につなげられてよかった。負けたら次がない。」という言葉がずっとひっかかっている。
勝ち負けの本質はなんなのか??
勝つって何? 負けるって何?
勝って得られるものも当然あるだろう。
しかし負けから学ぶことは確実に次に繋がる。それは負けや失敗は自分を苦しめ、その苦しみから逃れようと必死に前へ進もうとするから。そしてその根底にある人の抱く自己実現の欲求が刺激されるから。
自己実現の欲求を満たすための大きな刺激となる苦しみ自体から逃れようとすれば、本来未来に向かって得られるであろう開けた世界に導いてくれるきっかけを自ら捨て、平穏に内輪だけの狭い世界で生きていくことになる。
結果として中身の伴わないのに自己実現が達成できたと自分自信に言い聞かせるから自己実現のハードルがどんどん高くなり、進むべき方向へ進もうとするとそこには生産性のない大きな苦悩が待ち受けて負のスパイラルに陥ってしまうことが危惧される。
何回も書いてることですが、人は一人では生きていけないので皆がお互いをリスペクトしあっていくことにより相乗効果として幸せを感じ得るものだと思う。
時には自分とは違う価値観にも触れ耳を傾ける必要もある。
じゃないと、行き詰まったときの大きな壁を乗り越えられない。
そして人は人から勇気をもらい人に勇気を与える。
自分は興毅のランダエタ戦でのバッシングを正面に受けながらも前へ進もうとしている必死な姿に勇気をもらった。
自分はいつも人の顔色をうかがいながら自分の意見すら持てなかったことで苦悩していたけれど、人がなんと言おうと自分の信じた道を貫こうという姿に勇気をもらい、ボクシングという素晴らしい環境に身を置くことができた。
その後ずっと亀田を追いかけているけど、最近は特にその先が全く見えてこない。
結果として勝つことだけで次につながるのか?
観客を魅了しない世界戦でチャンピオンになって、そこから何が得られるのか?
ギネスに認定されて何がよかったのか?
内輪でよかったよかったと言ったところで、いくら素晴らしい記録を刻んだところで、全く関わりの無い人の心を動かすことができるのか?
街中で名も無い決して特別の能力を持ってない人の何気ない言動に感動するときって、どういうときか?
亀田の試合の視聴率がいいのはアンチが亀田の負けるところを見たいからってよく言われるが、なぜ皆が負けろって思っているのか?
それは単なるひがみや嫉妬からくるものなのか?
自分も試合を観ていて、これじゃダメだな~って思うと内心「負けろ!」って思うことがある。ていうか最近ほとんどそんな感じだ。
亀田が嫌いで負けろって思っているわけではない。
こんなんで勝ったところで闘っている本人が一番わかってるだろ!
逆に辛いだろ?
勝負の世界、勝ち負けがはっきりしているから、負けることで自分の欠点を見直しながら伸びていく。その自覚がなけりゃ、それこそ次に繋がらないだろ?
いくら口で反省するといっても大人の事情で持ち上げられてしまえば、それに自分をあわせなくてはいけなくなり辛いと思う。
資本主義社会なのでビジネスと割り切れればそれはそれでありかもしれないし、人の顔色見てしまう自分とは違う生き方をしているから、もっと超越した崇高な感じ方をしているかもしれないので、その生き方自体は否定するつもりもないし、リングを降りた亀田家に対するファン心理的なものは消し得ないけど、ボクシングから与えられる感動をもっと感じさせて欲しい!
でも、そのこと自体も何か可愛そうに感じてしまうこと自体が寂しく感じる。
自分の心が折れてしまい休職を余儀なくしていた頃、興毅の入場テーマ「Burning Heart 」を聞きながら身体を鍛えていた頃のイメージが今の自分の支えの源になっている。