そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

疲れたココロ、傷ついたココロ・・  その周りにあたたかい≪風≫を、吹かせたい。


 これからの人生を、幸せに生きていくことは必ずできる。


 わたしも、あなたも、そのままでいいよね。          ~カウンセリングルーム 風舎~


心理カウンセリング 箱庭セラピー 心理学レッスン セラピスト支援

パステル和アート 曼荼羅ワーク® 



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http://nara-fuusha.com

ミニチュアベーカリースタンドの制作を始めました。

 

ベーカリーなので

小さなパンを作らないといけないのだけれど

 

フェイクフードの制作が久しぶりすぎて

材料の樹脂ねんどが、すっかり固まってしまっていました。

小さいパンばかりなので少量でOK

100均で白い樹脂粘土を買ってくることにしました。

 

そういうわけで

パン作りは材料入手までは見送りです。

 

まずは

壁や床の制作から取りかかりました。

 

 

模様は、ネットで探して

大きさを調整して印刷しました。

 

お洒落なベーカリーになるかな。

楽しみです。

 

 

 

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『ココロの友だちにきいてみる』  細川貂々

 

 

「ネガティブ思考クイーン」と、自称されていた

細川貂々さん。

 

そこから脱却し、しあわせを感じるようになっても

ココロの中の「ネガティブ思考クイーン」の声が聞こえてきて・・

 

そこで

自分を助けてくれる、支えてくれる

「ココロの友だち」を作ることにしました。

 

その「ココロの友だち」と

毎日やりとりしてみた記録を

かわいい絵とわかりやすい言葉で表現されています。

 

ネガティブになると

どんどんしんどい方向へ思考が働いて

深みにはまってしまう方は

真似をしてやってみるのもいいですし

 

彼女の記録を楽しむだけでも

ほっこり、ココロが穏やかになれます。

 

 

 

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嫌われたらどうしよう。

怒られたらどうしよう。

失敗したらどうしよう。

見放されたらどうしよう。

 

そんなふうに「どうしよう」と思うときは

どうするのかを考えているわけでも

どうするかの答えを探しているわけでもありません。

 

この「どうしよう」は

実は、どうしようもないことで

「どうしよう」と言いながら

堂々巡りしてしまったり

どんどん不安になっていったりするのです。

 

こんなときは

「どうしよう」の代わりに

気持ちの言葉を入れてみてください。

 

たとえば

嫌われたらすごく悲しい。

怒られたらすくむほど怖い。

失敗したらがっかりして、めちゃめちゃ落ち込む。

見放されたら怖くて、とても辛い。

 

「どうしよう」の堂々巡りからは

一旦抜けることができて

不安の増幅をストップできます。

 

 

「どうしよう」には

気持ちがありますから

その、自分の気持ちに耳を傾けること。

 

どうしようもなくても

気持ちを大事にすることはできます。

「どうしよう」と思っている自分に

寄り添ってあげることはできるのです。

 

 

 

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今回のフェルデンクライス・レッスンは

 

寝転んで、頭部と足と骨盤を動かす

というのを、繰り返しました。

 

先生の言葉がけ通りに動くのだけれど

結構、頭がこんがらがってきたり、、(笑)

 

終了してみると

一番働いていたのは、なんと背中!!

 

普段、座り仕事なので

肩甲骨を動かすということを

たまに、意識してやってみたりするのですが

それよりもずっと、背中が動いていた!

 

背中を動かしていたわけじゃないのにね。

 

あー、今日は背中がほぐれたなぁ。。

と思いながら、立ちあがると

 

履いていたズボンが下へズレるじゃないですか。

え?どういうこと?

お腹が凹んだ?

 

わたしのぽっちゃりお腹が、すっきり?!

えええーーーー!

 

びっくり嬉しかったので

なるだけ長く、維持したいです。

 

 

※フェルデンクライスについては → コチラ

 

 

 

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「苦手」には、大きく2つの意味があります。

 

「嫌い」という意味と

「不得手」という意味です。

 

そして

会話の中で

「〇〇が苦手です」と言う場合は

「嫌い」という意味合いが濃いように思います。

 

わたしは音痴ですが

「歌うのは苦手です」とは言いません。

 

「歌うのは下手です」とは言いますが

だからといって

歌うのが苦手というのは、しっくりこない。

歌うのは好きですから。

 

「走るのは苦手です」とは言います。

走るのが遅いという事実はありますが

遅いから苦手というわけではないのです。

 

できれば、走りたくないのです。

走ることが嫌なんですね。

 

 

能力が低いということと

嫌いだということは

必ずしも一致しません。

 

裏を返せば

好きだからといって

能力が高いとは限りません。

 

 

わたしは思うのです。

 

能力が高いとか低いとか

好きとか嫌いとか

自分のものとして

そのまんま、表現してみることは大切なんじゃないかと。

 

そこには優劣はなくて

今の自分は

こういう能力は高い、こういう能力は低い

こういうことが好き、こういうことが嫌い

ただそれだけのこと。

 

ただの能力

ただの好き嫌い

そして

ただのわたし

 

とても大切な

とても愛しい

「ただのわたし」なんです。

 

能力や好き嫌いを

そのまんま表現することは

「ただのわたし」を尊重することに繋がる。

 

こんなことを思ったのでした。