「苦手」には、大きく2つの意味があります。
「嫌い」という意味と
「不得手」という意味です。
そして
会話の中で
「〇〇が苦手です」と言う場合は
「嫌い」という意味合いが濃いように思います。
わたしは音痴ですが
「歌うのは苦手です」とは言いません。
「歌うのは下手です」とは言いますが
だからといって
歌うのが苦手というのは、しっくりこない。
歌うのは好きですから。
「走るのは苦手です」とは言います。
走るのが遅いという事実はありますが
遅いから苦手というわけではないのです。
できれば、走りたくないのです。
走ることが嫌なんですね。
能力が低いということと
嫌いだということは
必ずしも一致しません。
裏を返せば
好きだからといって
能力が高いとは限りません。
わたしは思うのです。
能力が高いとか低いとか
好きとか嫌いとか
自分のものとして
そのまんま、表現してみることは大切なんじゃないかと。
そこには優劣はなくて
今の自分は
こういう能力は高い、こういう能力は低い
こういうことが好き、こういうことが嫌い
ただそれだけのこと。
ただの能力
ただの好き嫌い
そして
ただのわたし
とても大切な
とても愛しい
「ただのわたし」なんです。
能力や好き嫌いを
そのまんま表現することは
「ただのわたし」を尊重することに繋がる。
こんなことを思ったのでした。