きょうはチョットいいたい
とある裁判所に少年審判の付添人として行ったんです。
付添人とゅ~のは,ざっくりというと,おとなの刑事裁判の弁護人にあたります。
弁護士会の子どもの権利委員会に所属してる都合などから,おおくの少年審判に付添人として立ち会ってきました。
そうしておもうのは,少年審判は年々ヒドクなっている とゆ~ことです。
「厳罰化立法」ともよばれた少年法改「正」以降,拍車がかかった気がする。
きょうの少年は,少年院に送られました。
僕は,その結論じたいが大きくはずれているとか,不当きわまりないというつもりはさらさらないのデス。
しかるに,審判運営がよろしくなさすぎる
おなじ少年院に送るにも,もっと納得させるやりかたがあるだろう
なんというか,頭ごなしに説教をたれているだけ。
すくなくとも僕にはそう思えマシタ。
少年のことを理解しようとか,その人格を尊重しようというココロガマエがみじんもない
コレでは,少年は反感を感じこそすれ,ホント~に自分のおこないを反省して,少年院に行ってやりなおそうとゅ~気持ちにはなれないとおもうのデス。
少年法22条1項は,少年審判の大原則として,「審判は,懇切を旨として,なごやかにおこなうとともに,非行のある少年に対し,自己の非行について内省をうながすものとしなければならない。」と定めています。
この条文が落丁した六法をもっているのではないかとうたがうような裁判官がここのところ多い。
だいたい,事前打合せのときからよろしくなかった
意見書に,「非行は動機において容易に諒解可能であり,少年の性格・資質にいちじるしいかたよりや問題性は感じられない。」と書いたら,「コレだけのことをしていればかたよりも問題性もありますよ だそ~だ。
そ~ゅ~問題なのか
このまま社会に出したら,少年はもっとデカイ悪事をはたらくと決めてかかっているし。
少年がカンベツ所で自分なりに反省したとか,いろいろなことを考えたとのべたら,「客観的にみると反省したウチにはいらない」と否定した。
僕は少年なりにいろいろ考えたことを評価したいと思う。
審判廷で,少年にそうつたえた。
たとえオトナの眼でみてものたりなくても,一歩一歩よい方向に向かおうとしていることは認められてしかるべきデス。
それをテンから否定されたら,少年はくさるだけです。
更生するものもしなくなってしまう。
おとなの刑事裁判いじょ~に,少年審判の運営には節度がなくてはナラナイと考える次第です。
戦後,いまの家庭裁判所ができたときのキャッチフレーズは,
家庭に光を 少年に愛を
でした。
半世紀をへて,キャッチコピーは「家庭に平和を 少年に希望を」といいかえられています。
たとえフレーズが変わっても,その精神だけは変わらないと思うのです。
写真は京都家庭裁判所にある母子像デス。
台座に「家庭に光を 少年に愛を」の言葉が刻まれています。
もういちど,すべての少年裁判官にこのコピーをかみしめていただきたい
もちろん,あらゆる裁判官がヒドイとゅ~ワケではありません。
ホント~に少年のコトをみもふたもないくらいに考えてくれるヒトもいます。
そ~ゅ~裁判官になら,どんな決定をいいわたされても,少年は納得がいくでしょう。
残念なコトに少数派ですが
あしたは,まだカンベツ所にいる少年に会いにいきます。
抗告しますかとたしかめ,もし抗告(とゅ~のは,高等裁判所であらためて判断してもらうコト。)しないのなら,少年院にむけて激励するタメです。
どういった結論になるにせよ,少年が立ちなおって社会にもどることをねがうばかりデス。
すべての少年には,その可能性があると信じています。
さいごに・・・・。
きょうはなんだか抽象的なオハナシになりスミマセン
守秘義務とゅ~モノがあるので。