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「噴火の恐怖!古代ローマの一都市が噴火で飲み込まれて沢山の人が死んだ」
というような内容の番組を、タロウが見ててね。
「火山が怖い」って震え上がってしまってました。
私はなんかやたら不安感をあおったりするような演出ってあんまり好きじゃないので、そういうテレビ番組って、子供にはこれまで特に見せてなかったのですが。
今回はたまたま、付けっぱなしにしてたテレビを見ちゃったみたいなんだよなぁ。
これまで「恐怖感のあおり」に免疫のなかったタロウなので、番組の意図の通り、なおさら素直に震え上がってしまったみたい(笑)
ま、でも、キョウフにかられたタロウが、すがるように私のところにやってきて
「日本は火山ないから安心だよね!?」
とか言われても、それにはノーとしか答えられなかった。
日本は火山の国だし、事実は事実として伝えるしかない。
(日本は火山がないよ、噴火の心配もないよ、とは言えなかった)
彼にとっては、それがものすごくショックだったみたいで。
私がいくら、『科学の力』を盾にして安心感を与えようとしても、あんまり届かなかったみたい…
ごめんねぇ、脅かしちゃったかなぁ。
ま、でもね。
地球上で生きている以上、災害とは無縁でいられないわけで、
いつ起こるとはわからない災害と、向き合って暮らして行かなくてはならないのは事実。
災害の恐怖を忘れてはいけないけれど、『杞憂』の故事のように、いつも災害に怯えてビクビク暮らす訳にもいかない。
だから大人は、恐怖に鈍感になって、恐怖感を程よく忘れ、日々の生活をおくる術を身につけているのかもしれないなぁ。
でも、免疫のない子供にはやはり、震え上がるほどの恐怖を感じるものなのかもしれない。
そういえば、私の子供の頃は米ソ冷戦のまっただなかだった訳で、キューバ危機とかもあったわけで。
そんなニュースを見るたびに、いつ核戦争が起こるかもう怖くて怖くて仕方が無かった。
飛行機墜落のニュースを見ては震え上がり、家に飛行機が落ちて来たらどうしようと、不安一杯で空を見上げていたなぁとか。
ノストラダムスの予言の通り、1999年に人類が滅亡したらどうしようとか。
小学生の頃は、心の底に澱のように溜まっていた恐怖があったなぁと、思い出しました。
毎日ビクビク恐怖にふるえていたことがあったなぁと。
(飛行機が近くを飛ぶたび、「落ちませんように!」と両手を合わせて祈ってましたw)
それは、タロウのような小学生のときだったなぁと。
子供って、無邪気に見えるようで、実は心の奥底に「世の中に対するバクとした不安」を抱えているのかもしれませんね。
その「不安感」というのは、「未経験」だったり「無知」が原因になっていたりして、
大人になるということは、一つ一つ「経験」を積み重ね、「知」を重ねることで、その不安感を消して行く作業なのかもしれない。
世の中に対する、ある程度の見通しがついて(あるいは、ついた気になって)不安が消えるとき。
それが、大人になるということなのかもしれない。
大人になると、子供の頃感じていた「恐怖感」なんて、忘れてしまうのかもしれませんがね。
(現に私も最近までスッカリ忘れてたw)
でもせめて、親としては、その「恐怖心」が頭をもたげてるときは、そばによりそって、不安感を取り除く出来る限りの手伝いをしてあげたいなぁ…
なんて徒然と思っちゃった、出来事。
。。。
折り合いをつけてくしかないんだよね。
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