ずいぶん遅い返信になってしまいましたが。

コメントありがとうございます。

このブログすら、すでに管理していない状態では
ありますが、私個人としては、 よくふるかたの
ことを思い出します。

そして 今の沖縄の観光になげきを覚えます。

いつかふるかたのような店をと思うこともありますが、現状はまだまだです。

いつの日か、ふるかたの 復興を夢見て

今を頑張るだけです。

また ご縁がありました、このブログにでも、
コメントをください。



最近 ふるかたについて 数件お問い合わせをいただきました。



そこで 久しぶりに送信です。









ふるかたについてですが、  現状は


やはり、ふるかたということでは 再開はありません。

現在は別の方が 別の店として営業しております。


残念なことですが、 もう あの店は ないのです。



おかあさんの 遺言に


『琉球料理は 私の 天職でした ありがとう』という 言葉がありました。


亡くなる数日前の日記の言葉です。  おとうさんが、自分で書で書き写して 飾ってあります。



古堅みよ(おかあさんの名前) としての 人生は 本当に幸せだったのだと 思うより他にありません。


残された身としてはつらいのですが・・・



ふるかたが なくなった今 私もお客様に いい店を紹介するのが難しいここ最近です。





ふるかたは奇跡に近い店でしたので、 同じようなもので どこか 案内できる店もなく

私自身途方にくれています。


ただ単に 美味しい店というのは ありますが、


ふるかたが かもし出していた 『時間と空間』 を 含めた 琉球料理の完成形は

考えられず、どうしたらいいか 分からない日々です。


ふるかたの こと  今まで どう表現していいのか 難しかったのですが


最近 ある方が使っていた言葉で 



時間と空間での演出 という言葉がありました。



時間と空間  まさに そう   ただおいしいというのではなく  



おかあさんの料理と  お父さんの 間(ま) 、 泡盛と料理の融合、   店全体の 光 、 音楽 、


店の場所、  夜な夜な現れる 常連のおじさん、 



まさに 時間と空間が すばらしい思い出を 作ってくれていたのだと思います。



もうないな~ と よく考えます。



あの2人が 毎日朝から自分たちで買出しし、 よる 深夜まで営業しているスタイル


それを 年中無休



商売ということではなく、本当に ふるかたを生き方として 生きていたのだと思います。



同じような味の料理は 出せるかもしれませんが



あの 時間と空間は もう 味あうことは できないのだと 考える 毎日です。













またなにか ご案内できることがありましたら、 メールさせていただきます。



沖縄観光でなにか困ったことがありましたら、 お気軽にご相談ください。


ふるかたが おかあさんが 繋いでくれた なにかの縁だとおもい、

わかる事はご案内させていただきます。


どうぞよろしくお願いいたします。



コメントにいただいているのですが、 せっかくなので、本文でご紹介させていただきます。


コメントをした人 :krch
コメントのタイトル:たった一晩でしたが

▼コメントの全文▼
昨年の1月なかば、遅い夕食を食べようとお店を探し車を走らせ、走らせ、走らせ。。。やっとみつけたのが“ふるかた”でした。


お店にはお客さんは誰もおらず、ほとんど路頭にまよった気分の私たちを、お父さんとお母さんがそれは温かく迎えてくれたのでした。


「ほんとは予約のお客さんだけなのよー、でもせっかくの機会なんだから本物の沖縄料理を食べていきなさい」との言葉とともに出されるお料理の美味しいことに感動したものです。



腕がよければ誰でも料理は作れるかもしれませんが、すべてに心がこもっていなければあの驚くようなおいしさと、お店自体がもつあたたかさは生みだされないと思います。


また沖縄を訪ね、今度はちゃんと予約して“ふるかた”で食事をするのが楽しみだったのですが。。。たった数時間でしたが、お母さんとお父さんと過ごしたあったかい夜を思い出にします。


お母さんのご冥福を心よりお祈りいたします。



krch 様 コメントありがとうございました。


ほんと、ふるかたに出会えて 運がよかったですね!  もし店見つけていたとしても


2~3組入っていると、 ごめんなさい されることが多いので、 あの料理に出会えて


本当によかったと思います。



琉球料理にかぎらず、 あのような店に どこかで出会えるといいですね!



コメントありがとうございました。


今野



PS 5日の納骨は無事すんだようです。