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2016年09月05日(月)

「シン・ゴジラ」に見る正しい権力の使い方

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宇部市が生んだ巨匠、庵野秀明監督の話題作「シン・ゴジラ」を観に行ってきました。既に公開から1々月以上がたち、マスメディアやネットでの感想や評論も出尽くした感がありますが、思いつくことを書きとめておきます。正直言って日本の実写映画でこれだけエンターテイメントとして高度に完成した作品は初めての経験で、できればまだまだもっと多くの人たちに観てもらいたいと思いますので、ネタばれになるようなことは控えたいと思いますが、さてどうかな。

配役の妙。
総勢328名の役者陣には「よくこの役にこの人もってきたなあ」という配役の妙がちりばめられています。セリフは一言だけとか、姿は写真のみとかのカメオ出演満載ですが、役どころは主に、政治家、官僚、自衛隊、「巨大不明生物特設災害対策本部」(通称・巨災対)に招集されたメンバーという大きなくくりに分類することができます。長谷川博己演じる主人公の矢口蘭堂は政務担当の内閣官房副長官、彼の情報収集力、判断力、突破力を軸に対ゴジラ戦は展開されてゆきます。ヒロインの石原さとみ演じるカヨコ・アン・パターソンは日本人の祖母を持つ米国大統領特使で父親は上院議員というサラブレッドの役どころ。長谷川さんはともかく、石原さとみさんはたぶんアン・ハサウェイみたいなのを期待されたんじゃないのかなと想像するわけですが、少々迫力不足というのが私感。国村準さんの統合幕僚長は見事にはまってました。こういう指揮官に部下は命がけでついていくわけで、高倉健さんが生きていたら演って欲しい役でもあったな。うんうん。政界の要人たちが大挙して途中で消えていってしまう中(!?)、終盤に日本のトップ(内閣総理大臣臨時代理)役となるのが平泉成さん。物語のオープニングでは「想定外」のゴジラの登場に政治の不毛性というか国家危機に対する政治家たちの臨場感の無さが露呈するわけですが、最後は「樅の木は残った」的な美学を見せてくれる役どころです。物語の中で最も庵野監督らしいというか、絵コンテが浮かんでくるようなシーンが続くのが、各省庁や大学からブレインが集う「巨災対」を描く部分なんですが、ここにはまた個性的な役どころと役者さんが揃っています。「野火」の塚本晋也監督がゴジラの謎に挑む大学教授の役を演じているんですが、塚本監督の存在自体が嘘なのか超リアルなのかもはや謎!(笑) 市川実日子さん演じる環境省職員、尾頭ヒロミのキャラの立ち加減は頭一つ抜けていて、たぶん映画を離れて独り歩きしてゆくパターンかと思われます。そして個人的には今作品一番のお気に入りはこのメンバーの一人、文部科学省職員を演じている高橋一生さんです。

時々遠目に見えるゴジラが静止してるのが気になったことを除けばCGも実写の映像もハリウッド映画となんらそん色ありません。映画の世界では日本には多くの才能がありながらそれを抱える市場がなかったのが実情かと思います。今回の「ゴジラ」の成功(興行収入は70億円に迫るそうです)をきっかけに、映画の世界を目指す若い人が増えて正常な市場原理が働くようになれば日本も真の意味で文化大国と言えるのではないでしょうか。完成度の高さはエンターテイメントでありながらそのメッセージ性の熱さにもあると思います。政治とは何か、国を守るとはどういうことか、(特に大きな思い入れが感じられたのが)核と向き合うとはどういうことか、言い切ってしまえば国のありかたを問うている映画なのです。だから一人でも多くの人に見て欲しいと思っています。その昔クリント・イーストウッド監督が「硫黄島からの手紙」を渡辺謙さんをはじめとする多くの日本人キャストを擁して作ったとき、私は「よく作ってくれた」と感謝するのと同時に「本来は日本人が自分たちの手で映画にすべきではなかったのか」と心に石を抱え込んだような気持になりました。今回「ゴジラ」という映画が日本人によって映画界に生み出されたことには本当に大きな意味があると思います。

ブログタイトルに「シン・ゴジラに見る権力の正しい使い方」とつけたのは映画を観てあることを痛感したからです。ネタバレになるので詳しくは書きませんが、権力は正しく使える人に持たせなければならないということです。そして最大の危機管理とは、権力を正しく使える人を選んで育てておくということであろうと。国を導いてゆく政治の世界が単なる椅子取りゲームであってはならないということをこの映画は暗に教えてくれます。この映画は現代の政治家をヒーローのように描いたおそらく初めての映画ではないかと思われ、実際の政治の世界はゴジラを相手に戦うわけではないのですが、困難にあって正しい舵取りができるか否か、民を導くことができるか否か、そういう世界に身をおいてみたいという若い人が映画をきっかけに増えてくれればそれもありかなと思います。

さて長々と書いてきましたが、今日9月5日は父の4回目の命日です。亡くなった日がその年の9月議会の初日だったので毎年9月議会の時期がやってくると「また1年たったな」と思います。今年もあさって7日から議会が始まります。今回は一般質問初日(9日)の2番目に登壇の予定です。
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2016年07月26日(火)

意味があるとか無いとか

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本日未明、神奈川県相模原の障害者施設で日本の犯罪史上最悪ともいえる殺人事件が起こった。私はいつものように朝5時半に起きて時計代わりにTVのスイッチを入れたのだが、着替えている間にアナウンサーが事件を伝える同じ内容を8回ぐらい繰り返しただろうか。TVの映像は上空のヘリコプターからのもので、夏でもう明るくなっているとはいえ近隣住民は騒音で大迷惑だろうとぼんやり思った。既に犯人は自首してきたというアナウンスだった。その時点で死者は15人負傷者が45人と伝えられていた。6時過ぎ、長男を仕事に送り出し次男の弁当を作り終えてパソコンの前に座ってネットのニュースを見ると、死者は19人になっていた。一度に人を十数人もの人を殺す、しかも刃物で。アメリカのような銃社会で離れた人を撃つのとは違う手元で肉を切る感触。吹き出る血。何が起こっているのかわからないまま襲ってくる激痛、恐怖。声にならない声。遠のく意識。

殺された人たちを個人的に知らない私は、「悲しい」とか「お悔やみを申し上げます」とか言っても嘘になる。あるのは「許せない」という憤怒の感情だ。犯人の殺意は被害者への恨みや復讐からではなく「重度障害者は生きていても意味がない」という勝手な見解から引き起こされたものだとニュースは伝えている。以前石原慎太郎氏が都知事時代に重度心身障害者の施設を訪問して「この人たちは生きていて何か意味があるのか」みたいな発言をして問題になったが、今回の殺人は端的に言ってしまえばその疑問の延長線上にあるものだ。しかし、殺すということは別の世界へ行ってしまうこと。殺意にたどり着くまでに何が犯人に起こったのか、人の心の闇が解析できるとも思えないが、何が彼をそこまで引っ張っていってしまったのか、他人事と思わず知っておくことは必要かと思う。

私の長男と同じダウン症という知的障害の子たちも、母親の胎内にいるうちに出生前診断で陽性と診断されると9割は人工中絶というかたちで殺されている。レイプからの望まない妊娠とかではなく夫婦の元に妊娠しても、本人の人生に意味があるかないかということより親が育てるのに苦労するとか不幸だとかいうもっぱら親のほうの事情で命を選別されている。

そもそも生きていることに本人以外が意味なんか求めて何になると言うのだろう。親子やどんなに愛する人でさえも命そのもの別々であるというのに。知的や精神障害、自閉症、視覚や聴覚に障害のある人、内臓障害、車いすで生活する人。色々な障害があるが、障害者である彼らの命と健常
者の命になんの違いも無い。男女や肌の色の違いが命になんの関係もないように。

自分以外の人間は障害のあるなしによらず、すべからく自分の時間や手を取り、気持ちも頭も働かせてくれる、わが身を振り返らせ、自分とは何かを考えさせてくれる。障害のある人はそのふり幅がちょっと大きい。それだけだ。意味があるとか無いとか、考えるのは勝手だとして命を奪う理由には決してならない。私たちは100年もすればほとんどの人はもう死んでいる。どんな死に方をするのかは人それぞれだろうが、殺されるために生まれてきたのではない。私自身は高見順氏の詩のように「黒板をさっと消すように」逝きたいと願っている。


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2016年06月26日(日)

6月のダイアリー

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月初め、うっかり落としてスマホの液晶画面が破損。保険適用で新品にしてもらったら運転中の通話(ブルートゥース)が繋がらない。その昔、違反切符を切られた苦い思い出(主婦に6000円は酷)あり。9日の車検の時には詳しい整備員さんがちょうど不在で、その後ずっとストレスが続いていたが本日解決。これでまた信号待ちの停車中にボタン1つで電話をかけられるようになった。

1日、厚南中学校。2日、神原中学校。7日、上宇部中学校。13日、川上中学校。14日、常盤中学校。22日、川上小学校。そして明日27日は厚南小学校。あさって28日は上宇部小学校。29日は小野小学校。学びの創造推進事業の一環、公開授業研究会の見学は続く。学校の雰囲気は十人十色。子どもたちから学ぶ姿勢を忘れない教師をいかに育てるか、活かせるか。地域といかに繋がるか。校長の裁量は重い。

10日は今年度から任を受けた宇部グラウンド・ゴルフ協会会長という立場で市体育協会の総会・懇親会に初めて参加。会場はANAクラウンプラザホテル15階、コンフォート。自分が座った丸テーブルはほぼ市議で埋められていて、それだけ各種目の協会長としての市議の役割が期待されているということだと思うと身が引きしまる。東京OL時代、まわりは体育会系男子ばかりだったので、「体育会」気質というのはそれなりに理解しているつもりだが、自分自身はそういった世界とは真逆の生活を送ってきた。自分なりのスポーツマンシップを貫いていきたい。

15日からは6月定例市議会が開会。自分の登壇は一般質問の初日、17日。自分なりに数日間夜遅くまで準備したのに結果は惨敗。30分の持ち時間が全然足りず、準備した再質問は1問もできなかった。自分の壇上での原稿も市長の答弁書もあらかじめ一通り声を出して読んで時間を計っていたのに、実際は5分長かった。準備の最初のところで間違っていたということ。しかも市長答弁が終わったところで残り時間が少ないことにパニックになってしまい、持ち時間を40秒残してばたばたと質問を終えてしまった。40秒あればまだ要望できることもあったのに。今月はその後この失敗からくる挫折感をしばらく引きずることになる。

議会があると「議会だより」の原稿書きもついてくる。今回は自分の一般質問分に加えて会派(チーム創生)の紹介文も担当することに。喋るより書くほうがやっぱり楽。それではいけないと思いつつやはり。「議員になって饒舌になった」と言われて久しいが、しゃべればしゃべるほど嘘が増えて澱がたまっていく気分。

21日、高2息子が通学中に事故にあう。現場で警察とのやりとり、事故を起こした人とのやりとり、相手の保険会社の担当者とのやりとり、破損した自転車について自転車屋さんとのやりとり。朝現場に立ち会った時点では外傷は無いようだったが、念のため主人に会社を抜けて病院に連れていってもらう。診断は「打撲傷」で医師からは「よくこの程度のけがですみましたね」と。無事で何より。こうしてブログなんかを書いていられるのも家族が健康だからである。子どもがいる限り想定外の事象とはいつも隣り合わせ。鍛えてもらっている。

22日、参議院選挙公示。雨の中、地元候補の出陣式に参加。選挙は勝たねばなんの意味も無い。

23日夜、シルバーふれあいセンターで松元ヒロさんのライヴ。毎年この時期の開催。ここ数年会場はほぼ満席。政治的なメッセージを求めて来る人も多いと思うけれど、私は純粋に芸人としてのヒロさんの玄人ぶりに魅了される。話術も身のこなしもドラマチックな臨場感ある演出も、さすが数年先まで紀伊国屋ホールの予約が決まっている人だ。今回はラストに袴田事件のドキュメンタリー映画の再現。これだけ重い内容を笑いとともに伝えることのできる力量。すごい人である。

23日、イギリスのEUへの残留と離脱を問う国民投票が行われ、私の期待を裏切り離脱派が勝利する。海の向こうで戦争が始まったような気分。こういう決断に至った要因の一つはイギリスという国が島国であったことではないかと思われる。日本は他山の石としたい。

21日と25日の夜は小郡の事務所でスペシャルオリンピックスの会議。来週日曜日に開会式が迫った山口地区大会について、下関支部とスカイプで繋がって協議。広報委員長の仕事として広報誌の発行など滞っていることがたくさんあり、気が重い。私の仕事に限りませんが、お手伝いして下さるボランティアの方を常時募集していますので、どうぞ宜しくお願いします。24日の夜は息子の参加するバスケットプログラムのお迎えで佐山のユニクロ体育館へ。アスリートたちが無条件にがんばる姿はいつ見てもすがすがしい。雨が断続的にひどく降る。

以上、フェイスブックにあげていない日々の記事をいくつか。ここしばらく寝る前にいしいしんじ著「麦ふみクーツェ」を読んでいる。10ページも読めないうちに目がつぶれてしまうが、そうやって眠れるこの日々に感謝。








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2016年05月31日(火)

学びの創造

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気がつけば5月も今日が最終日、明日からは6月ということで、今年ももう半分が過ぎ去ろうとしています。「それにつけても金の欲しさよ」と並ぶ「それにつけても時の早さよ」です。(何のこっちゃ。) 昨夜は犬の散歩がてら主人と近所にホタルを見に行きました。天候や時間帯のタイミングがうまく合ったのか、良く飛んでいました。人ごみや車のライトや携帯画面の灯りも無く、カエルと虫の声だけが響く中のホタル観賞です。夕食後に歩いてホタルを見に行けるところに暮らせるなんて、それだけでも人生の豊かさを感じるのは私だけでしょうか。

さて、宇部市教育委員会が進める学びの創造推進事業の一環である公開授業研究会が今年も始まりました。市内小・中学校が全市的に授業を公開し、授業後にアドバイザーの先生の元で研究協議を行うもので、今日は今年度の初日、黒石中学校で国語の公開授業研究会が行われました。今年度予定されている研究会は今日から2月8日まで合計45回。市議会の文教民生委員会に所属する議員は教育委員会から議会事務局を経由して事前に案内をもらい、自分で教育委員会に参加申し込みをすることになっており、授業の部分は見学できますが、研究協議の部分は参加できません。以前にもこの話題をブログを書いたことがあったと思いますが、私にとっては本市の教育の一つの方向である「学び合い」の進捗状況を現場で確認できるとても貴重な時間となっています。と口では言いますが、実際には私は教育者ではないので「学び合い」そのものを深く理解しているわけではありません。ただ、授業に臨む先生や児童・生徒たちの姿から自分なりに何かを感じ取っているといったところです。

今日の公開授業研究会で私が一番顕著に感じたのは授業の内容はさておき、参加されている先生方の授業への向き合い方が変わってきたということです。ひとこまの授業という限られた時間の中で、多くの先生方がじっと生徒の反応を観察し、「学び合い」の深まり方を吟味している感じが伝わってきました。残念ながらまだ「学び合い」に半信半疑で「こんなことやっても。。」という態度が垣間見られる先生もおられます。が、私が公開授業研究会の見学を始めた3年前に比べれば、その数は格段に減りました。アドバイザーの先生の指導によって「学び合い」の授業ができる先生がふえてきていること、その結果、児童・生徒が伸びてきていること、そして児童・生徒の成長が先生たちを目覚め、育てていること。ようやく本市の教育は負のスパイラルを抜け出してきているのではないかと感じるところです。

が、これはあくまでも授業という限られた時間だけでのことで、実はもっと家庭や地域そして職場としての学校が、機能してゆかなくてはならない、果たしてゆかなければならない役割は大きいです。市内小・中学校には、今年度公開授業研究会を3回予定しているところもあれば、1回も予定していないところもあります。授業を公開することで初めて自らの姿に気がつくこともあると思いますし、もし公開授業研究会を行わない理由が「そんな余裕は無い」ということであるなら、その学校の教育の質はおのずと知れようというものです。「学び合い」だけでなく本市はコミュニテイスクールの取り組みを進めているところですが、これも「そんなことやっても・・・」という関係者が学校を含めて地域に多ければ多いほど、無駄に失われてゆく子どもたちの時間は大きいと考えます。

なんだかまた固い話になってしまいましたが、最後にもう一つ。本日消費税増税の延期が自公容認ということではっきりと公になりましたが、安倍首相は前回増税を先送りした際に「再び延期することはない」と言明しています。つまり、今回増税を延期するということは、あの言葉は嘘だったということで、私たちは国家責任者が嘘をつく国に暮らしているということです。明日の夕刻(だったかな?)に増税延期について首相が(良く聞く言葉ですが)説明責任を果たされるおつもりらしいので、たぶん官邸では今躍起になってその原稿を作っているところだと想像しますが、悲しい話ではあります。対外的には国としての信用を一気に落とす結果になり、そうまでしても延期せざるを得ないという苦渋の選択であったことは理解するとして、まずは嘘をついたことを謝って欲しいと思います。日本で生まれ、学びつつある子どもたちに。
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2016年04月22日(金)

プリンスの死

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熊本で大地震が起こり、多くの死者が出て、辛い避難生活を余儀なくされている方たちも多い中で、海の向こうの会ったことも無い外国人ミュージシャンが1人死んだからと言って何をそんなに重大に考える必要があるのかと、言いたい人には言ってもらっておくとして、、、プリンスのことを少し書いておこうと思います。というか私にとってはどうやら「書く」ということが自分の感情を昇華させる唯一の方法のようだからです。

その昔宇部市が官民協働で立ち上げた地域SNS「うべっちゃ」の中に、洋楽好きのメンバーが集まった「ロックの沼で泥んこ遊び」というコミュニティがありました。このコミュニティ内の企画で「あなたの選ぶベストアルバム」というスレッドが立ち上がったことがあって、自分の好きなアルバム(←この言い方が既に死語)をリストアップする機会がありました。そのリストの中の1枚として当時私が選んだのがプリンスの「Around the World in a day」です。理由は、「時々狂ったように聴きたくなる1枚」だから。彼の音楽の天賦の才は、アルバムごとに虹のように輝きを放っているので、人に依って好きな1枚はそれぞれだと思いますが、私はこのアルバムが醸し出す彼の音楽への姿勢がとても静謐で美しく、無限を感じさせて大好きなのです。プリンスというミュージシャンはありきたりに言ってしまえば「天才」。「天才肌」というのとは全く違ってほんものの天才でした。

突出した才能のうち誰もが驚異に思っていたものの一つはメロディメイカーとしての才能ではないでしょうか。プリンスの楽曲というのは同じ一人の人間が創り出したものとは思えないほど豊かなリズムと旋律に満ちていました。私は勝手に白のトッド・ラングレン、黒のプリンスと呼んであがめていましたが、ビートルズ以降これだけ多彩な楽曲を世に生み出し、また他のミュージシャンに提供した音楽家はいなかったのではないかと思います。アップテンポなものにも名曲は多いですが、私は特に彼の創るバラードが好きでした。シーナ・イーストンの歌った「Eternity」や前出のアルバムの中で本人が歌っている「Condition of the Heart」、シニード・オコナーが歌って大ヒットした「Nothing compares 2 U」など、どうやったらこんなにスリリングで美しいメロデイーが湧いてでるのか、正に驚異です。

もう一つ彼の突出した才能を挙げるとすれば、それはギタリストとしての才でしょう。彼はトッド・ラングレンと同じくどんな楽器でも自在に演奏できたそうなので、ギター以外にもソリストとして十分に評価されてしかるべき楽器があるのかもしれませんが、とにかく彼のギターワークは凄い。生で聴いたことはありませんが、Youtubeにアップされたライヴ映像などを視聴する限り本当に凄い。単に速弾きというのではなく、ギターというものが指を使って押さえたりはじいたりして音を出す楽器とは思えない、彼が弾くギターは音自体が生命を持っているかのような、ギターという楽器が全く別物の概念として存在しているかのようなそんなふうに思わせてしまうギタリストでした。

今年に入り、デヴィッド・ボウイから始まってグレン・フライ、モーリス・ホワイト、キース・エマーソン、ジョージ・マーティンなどロック界のビッグネームが次々と鬼籍に入りました。私にとって十代の頃から日々の中での長いつきあいである彼らの死はショックですが、ボウイの死からは「たとえこの世にはもう存在していなくても彼は私の中で永遠である」ということを身を持って知りました。スターの死は消滅ではなく「星」となっていつまでも輝き続けることであると。今回また不意に逝ってしまったプリンスもしかり、「そして船は行く」のです。

 

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