日本全国に残されている民話の中に「六部殺し」と分類されるものがある。
六部とは六十六部衆を縮めた言葉で、書き写した般若経を担いで全国にあ
る六十六の札所を巡礼する者のことを言う。

それを殺害する話が、いあゆる六部殺しなのだ。こんな残忍な話がどうし
て全国に数多く見られるかと言えば、答えは簡単である。金を持っている
上に、身元の照会がむずかしく、しかも見しらぬ他国者だからだ。

交通網が発達する前の旅はとてつもなく大変なものだった。新幹線でわず
か三時間とかからない距離も歩きばかりでは最低でも一月近くかかる。六
部となって全国を行脚するとなれば往復に一年は覚悟しないといけない。
まさに命がけの冒険だったのだ。

しかも物見遊山と違って六部は独り旅である。米や銭を恵んで貰っての旅
なのでしばしば路頭に迷う危険もある。当然家族は猛反対する。重い病気
にかかって何カ月も身動きが取れない事態にもなるだろう。そこで家族は
万が一のときのための金を持たせる場合が多かった。杖や着物の襟に不測
の事態に備えた金を忍ばせたのだ。それを狙っての殺人なのである。

六部は基本的に物乞いの旅なので滅多に宿へは泊らない。村々の民家を訪
れては宿を頼む。もし、その訪問が他の誰にも見とがめられない夜中であっ
たとしたなら絶好の獲物となった。

当時は犯罪捜査も藩ごとに任せられていたので、たとえ死体が発見されて
も他国者となると扱いは軽かった。他国者のことに大事な藩の予算を費や
して、しかも自国から犯罪者を出すとなると面子にも関わる。行き倒れと
して処理さえるケースが大半だった。犯人にすればこれほど殺しやすい対
象はない。ちょっとした勇気さえ出せば一夜で大金持ちになれる。周辺も
薄々と察しながら決して代官所に届けることはしない。

五人組制度があって、殺人の連帯責任をおわされる恐れがあった。まこと
に寒々とする話だけれど、こういう事件は本当に多かったのだろう。だか
らこそ民話の中にたくさん残されているのである。

柳田國男が民話の大事さを認識させて以来、全国の民話が次々に纏められ
るようになった。そうした本の中には必ずと言っていいほど「六部殺し」
あるいは「座頭殺し」の話が含まれている。なのに、すべての原点である
はずの「遠野物語」にそれがないのは不思議であろう。

加えて重要なのは、他の土地の民話にザシキワラシに類した話が見当たら
ないことである。それゆえに遠野のザシキワラシが有名になったと言える
のだが、佐々木喜善の描写するザシキワラシが「遠野物語」と異なって不
気味な存在であることを加味するなら答えは自ずと出てくる。ザシキワラ
シはもともと「六部殺し」の変型だったのだ。

一夜にして金回りのよくなった隣人に対する疑いがそこに込められている。
もちろん狭い遠野ではそれほど頻繁に六部が殺されたはずはなく、全部が
殺人の告発ではなかろうが、なにか不当な方法で金を得たに違いないとい
う疑念がザシキワラシという存在を誕生させる原因となったのであろう。
なのに長い時間を経るうちに、金持ちの家にはどこにもザシキワラシが居
るという、むしろ嫉妬半分の話にすり替わっていったのではないかと想像
できる。反対の意味での村八分だ。この点については憑き物の問題と絡ま
せて次回で検討してみたい。



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