「ただ妻の座にいただけって気がするわ」

あの世でこう申しているのは、ノーベル賞作家川端康成夫人の秀子さんであります。勤務先の上司が病で転地療養のため留守宅預かっていたとき、転がり込んできた青年作家と一つ屋根の下で暮らすはめに。それが川端康成。なるようになって、一生添い遂げた。結果、文豪の妻になっちゃった。どんな一生だったか見ていくことにいたしましょう。



晩年の川端秀子


ノーベル賞授賞式の川端康成



「生い立ちが人生を決めるって本当ね」

川端康成の生い立ち。2歳で父結核で死去。3歳で母親死去。両親の記憶なし。祖父母に引き取られるが、7歳で祖母死去。10歳で姉死去。15歳、中学生の時祖父死去……生まれてこの方、死に取り囲まれた人生スタート。中学校の寄宿舎住まいの時、初恋を体験。相手は同級生(男の子)。勉強だけは抜群にできたので親戚の支援で上京、一高入学。高校時代に伊豆を旅行、14歳の踊り子に出会って癒され勇気をもらう。21歳で東大入学。かねて希望の作家を目指して活動を開始。本郷のカフェで少女に恋して婚約するが一転破談に。


後の文豪をふっちゃった加藤初代。別の男と結婚した。


「本の読み過ぎは薬の飲み過ぎと同じよ」

とまあ、後の文豪はぎくしゃくした人生を歩み始めます。一方秀子さんのほうは青森県八戸の出身。女学校卒業後、兄を頼って東京に来ると、出来立ての文芸春秋社に就職。上司の留守宅を預かっている時、新進作家の川端康成がその家の居候に。19歳の若い娘と27歳の青年がひとつ屋根の下に暮らすのだから、なるようになる。同棲生活が始まります。川端は中学時代に図書館の本をぜんぶ読んじゃったという本好き。この事実、作家の財産にはなったが、妻には何の益もない。風変わりな夫のそばで秀子さんはひたすら尽くしたのであります。


三島由紀夫と川端康成。ふたりとも本の読み過ぎ。




「夫は自殺じゃない、事故だったと思うわ」

夫はあちこちで女に手出しまくっていたが、これも文学の肥やしとあきらめて良き妻を演じた。そのかいあって夫の文名はとみにあがり、とうとうノーベル文学賞を受賞。だが、受賞4年後の1972年、逗子の仕事部屋で夫はガス管加えて自殺。でもこれは長年の睡眠薬中毒と電気毛布の多用による電磁波障害がもたらした発作的な行動。つまり事故のようなもの。川端康成享年73歳。ずっとお手伝いさん役に徹してきた秀子さんは夫の死後30年も長生きし、解放された人生を楽しみました。楽あれば苦あり、苦あれば楽ありってこと。


少年時代の川端康成。作家志望。この頃からノーベル賞は視野にあった。



「結論、一流作家とは結婚するなってこと」

川端康成は童話作家になれば後世に残る名作を書いたかもしれません。さて今日も元気な悪妻の皆さん。まさかあなたの夫は一流作家ではないでしょうね。もしそうなら同じ境遇の妻たちと徒党を組んで被害者同盟でも作って人権弾圧で訴訟を起こすか、夫の秘密をばらしちゃうに限りますよ。全員ヘンタイのはずだから。音楽は薬になるけど、そういう文学はめったにない。むしろ毒として作用することのほうが多い。芥川龍之介、太宰治、三島由紀夫、川端康成……自殺作家は自家中毒者なのかもしれませんね。
 

「雪国」駒子のモデルとされる芸者松栄



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