400戸程の半農、半漁村である。
発動船と伝馬船で、爺さん、父、おじさん達3人を
頼んで漁に出ていた。
朝3時半ごろ漁に出て6時半ごろに帰って来る。
母の後に付いて姉と浜で船の着くのを待つ、
浜には漁に出ている家族が大漁を待っていた。
船が着くと1番列車で鹿児島魚類市場への商人の
準備で戦場の様な時を記憶している。
姉は魚を買いに来た人達の相手をして母の加勢
が出来ていた。
自分は邪魔にならない様に眺めていた。
網を干し、ロープを干し、船を引き上げ家に帰るの
は9時半ごろ母は先に帰りお茶の準備をして皆が
上がって来るのを待つ、
準備が出来ていないと父が機嫌が悪くて大声で
どなる。 今は父の気持ちも理解できる。
子供心で母が可哀想でならなかった。
母はやさしい頭の良いきれいな人だった。
今でも強く印象に残っている。
平成29年7月28日