内薗さん小学校1年生の時の話
昭和20年7月27日ひる突然「ド、ドーン、パッ」と爆弾投下4人家族が
川エビを焼いて食べている最中だったと言う。
2 .3分前には内薗さんもその場に居た運が良かったと語る。
その場を離れ100m、自宅に着いたとたん爆風で魂が飛んだと言う。
瓦が飛び壁板が飛びタタミを吹き上げ恐ろしかったと語る。
家には妹が寝かされていたが吹き上げたタタミの御蔭で助かった。
その日は東風が強く大火になり寄り付く事が出来なかったと語る。
どうする事も出来なかった。
かわいそうだった幼い時の想いを語った。
戦争はだめと何回も語る。
私は生まれて2週間爆弾が落ちた位置から約150m祖父の家に寝かされて居た。
爆風で壁板、瓦、色々な物が吹き飛ばされた寝ている子に覆い被さっていた母は無傷だったと話していたが母が亡くなってからの事、叔母の話しによると私の右腕の小さな傷は爆風で受けた傷との事、すぐ蓑田おじさんに治療を受けて助かったんだと話を聞いた。
母に腕の傷を聞くと注射が化膿し切開した傷だと聞かされていた。 母には何かの思いがあって
話さなかったのだろう。
自分に身近な話をくい入る様に聞き入った。
この世に生き始めた尊い日々この日から始まっている様だ。
命を大切にしようとの思いと現在の人生に感謝、改めて戦争の悲惨さを痛感した日でした。 7/17