悟り・・・って?
このところ、傲慢だったり困ったチャンだったりの三十路が増えてるって記事を『独 女 通 信』 で読みました。
っていう記事なんですがね。
あー、いるいる。
もうねー、『ゆるふわ系』の幼い三十路は仕方ないかと諦めてるんですよ。
イラっとするかもしれんが、意外と職場には少ないし。
どっちかっていうと『ゴリ押し系』の困ったチャンがガンです。
これは多い!!
しかも、根底に『できないのに』っていうのが付くから困ったチャンなわけで、
できる人が言えば正論だったりとか。
いや、ほんとに出来る三十路の女はイチイチ小さなことでゴチャゴチャ言わないんだけどね。
(面倒だから。他にやることたくさんあるし。)
小さなことから大きなことまで、
思い通りに行かないことはすべて他人のせい。環境のせい。
そんな風にして過ごしてきた20代だったのでしょうねぇ。
そのまんまの価値観で仕事して、
自分の価値を認めろと迫ってみてもそら無理やって。
とか、グダグダ考えてた訳です。
ガ、
シカシ。
私だって見る人から見れば『ゴリ押し系』困ったチャンかもしれないわけですよね。
(あんまり、声高に文句は言わないけど。それに対する責任を引き受けたくないからw)
なまじ、責任者的な立場でもあるわけですし。
(夏~秋にはペーペーに戻る予定。ん?転職ね。)
で、ガタガタ五月蝿いなぁ
と怒りを溜め込んでても仕方ないので、
『悟り』について考えてみました。 ←強引w
かの一休さんは『悟ってなどやるものか!!』といったカンジの破戒僧だったそうです。
だがしかし、行動はともかく精神としては悟りに近かったらしいですね。←よく知らないけど。股聞きです
一方、
衆生を省みず、自分ひとりの解脱をひたすら目指してしまうと、悟りたいのに悟れない。
悟りからどんどん遠のいてしまう?
『真面目になってるのに、なんで』 (コレ、ゴリ押し系困ったチャンの理屈ですね。)
ってことになってしまう。
周りを見ましょう。
人の中に入りましょう。
ってことらしいんですがね。
↑
うろ覚えの知識です。大学の仏教学は優だったんだけどなぁ。スッカリ忘れたよ。トホホ・・・。
周りをみて、人の輪の中に入って、
でも、特に『救ってやる』っていうんじゃないんですよね。
雑談して、
相手の良いところを素直に見つめて感心して、
自分の知っていることを相手が求めるならば惜しまず与えて。
ただそれだけ。
自分を特別なものにしない。
相手のことも比較したり評価したりしない。
ただ、自分は此処にある。
相手は其処にある。
それでヨシ。
そんな風に、あるがままを受け入れて生きていけると素晴らしいだろうと思ったわけです。
長い割りには意味のない文章だなぁ。
とりあえず、三十路困ったチャンにならないために自分の言動をメンテしつつユルユルやっていきましょう。
(意味不明・・・