男はつらいよ フーテンの寅さん(1) | 笑う門には福来るのブログ

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 高校野球をこよなく愛し、「平和」にも敏感でありたいと考えています。

 わたくし 生まれも育ちも葛飾柴又です 帝釈天でうぶ湯を使い 姓は車 名は寅次郎 人呼んでフーテンの寅と発します


【48作・観客数8千万人】

 私の大好きな映画シリーズである。昭和44年にスタート、平成7年まで48作品が作られた。日本人が最も愛した映画と言われ、観客数は合計8千万人にものぼり、「一人の役者が演じたもっとも長い映画」として、ギネスに認定されている。

 昭和41年、渥美清さん主演のテレビドラマ「泣いてたまるか」に、脚本家の一人として山田洋次さんが加わっていて、これがきっかけとなる。


【テレビドラマ「フーテンの寅さん」】

 映画に先立つ昭和43年から44年。渥美清さん主演でフジテレビで制作・放送された。ヒットしたが、最終回で、寅次郎がハブを取りにいこうとして逆にハブに噛まれ、死んでしまう結末に、視聴者から抗議が殺到。

 やくざさんからも「殺さなくてもよかっただろう」という怖い電話が入ったとか。「もう、お宅の競馬放送はもう見ないぞ!」とも。そして、映画化につながったという。


【昭和3年上野生まれの渥美さん】 

 渥美清さんは、昭和3年上野生まれ。子供のころ不良少年のリーダー格だったという。警官曰く「お前はやくざの大物にはなれないよ。お前の顔は一目みたら忘れない。指名手配されたらすぐ分かるから」。「安物のハエ叩き」とも言われる。

 少年時代、的屋(テキヤ)にあこがれ、的屋に通い、いろんな口上を暗記していた。山田監督曰く「あの人の中から『寅さん』はオギャーと生まれてきた。僕は産婆さんみたいなもんで、取り上げたんだな」

 「寅さん」のあのキャラクターは、山田監督がすべて作り上げたものと私は思っていたが、それは違っていた。

 山田監督は、舞台をどこにするかで様々な所を歩き回った。一時は舞台が浦安に決まりかけていたそうだが、作家早乙女勝元さんのお宅を訪れた時に、すぐ側の帝釈天を案内されたのがきっかけだという。

 昭和天皇も大ファンで、ビデオを全巻持っていたそうだ。小渕恵三元首相が寅さんファンクラブ会員№1である。