プロ野球80年史 番外編vol.2 【プロ野球と鉄道…現在も受け継がれる歴史】 | ユウキのまにまに。~ツバメと艦これ、たまーに探検~

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話題はプロ野球中心。東京ヤクルトを中心に、自分なりの視点で切り込んでいく、つもり。
テキトーに書いてるので、更新頻度はかなりまちまち。

現在「プロ野球80年史」をつらつらと執筆中です。


かつての阪急ブレーブスの本拠地、西宮球場


西鉄ライオンズのレプリカキャップ。ニューヨーク・ヤンキースに似せた「NLマーク」は三原脩と豊田泰光が考案したもの


南海なんば駅・なんばパークスの大阪球場跡地に設置された、ホームベースを模した南海ホークスモニュメント。18.44m先にはピッチャープレートのモニュメントもある





現在のプロ野球12球団の親会社の運営母体の業種を挙げると、
・新聞系(巨人・中日)
・鉄道系(阪神・埼玉西武)
・食品系(東京ヤクルト・千葉ロッテ・北海道日本ハム)
・情報・通信系(福岡ソフトバンク・東北楽天・横浜DeNA)
・金融系(オリックス)・自動車系(広島東洋※)
の6つに分けられる。

※広島東洋は球団株式をマツダ(東洋工業)及び創業の松田家が持っているが、正式には独立採算球団扱い

しかし、かつては12球団のうち半数近くを鉄道会社が運営していた歴史がある。今回はその歴史を微力ながら振り返ってみたい。





まず、現在も運営している阪神(阪神電車)と埼玉西武(西武鉄道)を除けば、
・東京ヤクルト(日本国有鉄道→民営化してJR)
・北海道日本ハム(東京急行電鉄)
・福岡ソフトバンク(南海電鉄)
・オリックス(阪急電鉄)
そして、大阪近鉄(近畿日本鉄道)が挙げられる。

このうち、北海道日本ハムは「東急フライヤーズ」「急映フライヤーズ」時代がそれに当たる。急映の「映」は大映が参画していた名残で、大映はその後自前で球団を持つようになったため1年で急映の名は姿を消した。東急もその後、子会社の東映に球団を引き渡して「東映フライヤーズ」としたため、ここでチームと鉄道の関係は切れた。

国鉄の場合、1949年のリーグ拡張に伴う新球団乱立で各地の国鉄鉄道局(例えば現在のJR東日本、JR西日本など)に所属している選手が次々に引き抜かれる状況を憂いた会社が独自に球団を立ち上げたことに端を発する。しかし、日本国有鉄道自体が球団を持つことは日本国有鉄道法に抵触するため、新たに子会社が作られ、そこに運営が移管された。
国鉄は10年以上球団を保有するが、会社の事情ゆえの緊縮財政に1962年に起こった三河島事故などが飛び火して経営は圧迫。1965年シーズン途中にサンケイグループが球団を買収して「サンケイスワローズ」とし、ここでスワローズも鉄道との関係が切れた。

そして、埼玉西武は現在の西武鉄道に加え、前身は西日本鉄道が保有していた(西鉄ライオンズ)。西鉄は戦前にも球団を運営していた経緯があり、戦後の球団拡張にも呼応。1950年に「西鉄クリッパーズ」、翌年には西日本パイレーツを吸収して「西鉄ライオンズ」とした。
西鉄は福岡県を本拠地とし、一時期は黄金時代を築いた。「流線型打線」と呼ばれる強力打線や、稲尾和久を筆頭とした強力な投手陣がその例に上がるだろう。その強さは「野武士軍団」とも謳われた。
しかし1969年に黒い霧事件が勃発すると、その後は低迷を余儀なくされる。球団財政も火の車となり、1972年に太平洋クラブに球団を売却することとなる。さらにクラウンライターに経営を譲渡し、1978年には再び鉄道会社である西武鉄道に買収された。
西武の堤義明社長は、ここで球団の埼玉県への移転を断行。しばらく九州に球団がない時代が続いたが、当の西武は西鉄時代の強さを徐々に取り戻していくことになる。



関西には「五大私鉄」と呼ばれるうち、京阪以外のすべてが球団を持った歴史がある。自然、関西に数球団がひしめいた時代があった。
阪神は1936年のリーグ戦開始から一貫して球団を保有。現在では12球団屈指の人気チームに成長した。
他に阪急、南海、近鉄もそれぞれブレーブス、ホークス、バファローズを経営。西鉄と合わせてパ・リーグの3分の2が鉄道会社だったため、「パ・リーグ=鉄道リーグ」と言っても過言ではなかった。
阪急、南海は黄金時代を築いたこともある名門チームだったが、1980年代になるとともに経営悪化。昭和最後の年となった1988年にそれぞれオリックス、ダイエーに譲渡して幕を閉じている。近鉄は2004年まで球団も持っていたが、こちらも経営悪化でオリックスと合併。50数年の歴史に幕を閉じた。






復刻された阪急ブレーブス(写真は岸田護・坂口智隆)


復刻された西鉄ライオンズ(写真は中島裕之・片岡易之(治大))


復刻された南海ホークス(写真は本多雄一・内川聖一)

現在では往年の各球団のユニフォームを復刻するイベントがあり、そこで在りし日のプロ野球を偲ぶことができる。