ブログを尋ねて下さった方が手術を受けられたので、自分の術後を思い出しながらブログを読み返してみると、結構いろいろあったわりに手術前後のことがあまり書けていなかったので、覚えている限りのことを書いてみたい。


私の手術は12時半からの予定だった。
午前中の手術の人の進み具合で遅れるかもしれませんよ、と言われていたけど、オペ室から看護師が迎えに来たのが予定通り12時少し前だった。
私にはその時の看護師さんが地獄の使いに見えた。

で、妹と友人のYちゃんと一緒に手術室の階まで降りた。
エレベーターを降りたらそこは、家族の手術が終わるのを待つ家族待合室になっていて、この待合室は9年前、父が胃癌の手術を受けたときに私が待っていたときとまるで変わっていなかった。
まさか今度は私が中に入るとはね。

手術室の前で妹と友人に頑張って。と言われて送られたとき、若い看護師が気をつかって
「じゃ、最後のご挨拶を」
と、言ったのだけど、この「最後の」と言う言葉にYちゃんが反応し、
「ちょっと!最後ってどういう意味よ!縁起でもない!」
と叱ったのだった。

ま、私にしたらそんなに気にならなかったのだけど、若い看護師ははっとして、すみません、すみません、と謝りだすし、私はまあまあと宥める役に回る始末。
なんかピリピリした雰囲気になったところで、なぜか私から若い看護師に「じゃ、入りましょうか」と促し、行ってまーすと手をふって中に入ったのだけど、この時の私の気丈ぶりを、テンパってたYちゃんは今でもあんなに明るく手術に向かったのは信じられないと言う。

中に入ると扉の横に座らされて名前と、手術を受ける部位?を聞かれた。
これは何のためだろう。
緊張で答えられない人もいるんだろうか。

私は特に麻酔もまだ入ってなかったし意識もはっきりしていたので非常に落ち着いていたと思う。

それからは緑の台に乗ってスッポンポンになって・・・あとはブログに記した通り。

背中に入れる麻酔が怖かった。
全身麻酔は口でクロロホルムみたいな、甘酸っぱいにおいのものを酸素マスクで嗅ぐのだとばかり思いこんでいて(小学生の時に受けた盲腸の手術がそうだったので・・・)油断していたら、まさか腕の点滴で一瞬で意識が落ちるとは不覚だった。


次の瞬間、名前を呼ばれて気がついた。
ここまで、ほんの一瞬だった。
手術は終わり、私は術着を着せられて酸素マスクをして仰向けの状態でICUにいた。
お腹が熱い。
身体に何かがいっぱい繋がっている。

何の夢も見ず、名前を呼ばれたので「はい!」と返事をした気がする。

気になっていたのが手術の時間。
良い腫瘍なら膵臓を3分割にして腸に繋げるので時間がかかります、悪い腫瘍なら体尾部と脾臓も取るので早いです、どうするかは術中に判断しますと説明されていたので、どうぞ3分割手術になりますように時間がかかりますようにとずっと願っていた。

で、術後の開口一番が、「今、何時ですか?」だった。
6時半ですよ、と言われて、あーよかった、3分割になったんだと安心したら、執刀医が来て何か話してくれた。
私はできるだけ、元気なことをアピールしようと頑張った。
それからまた眠ってしまったようだ。

結果的には腫瘍は悪いものだったけど、転移が見られないようなので膵尾部は残してもらっていた。

次に名前を呼ばれたので目を開けると妹が立っていた。
妹にしたら長い手術だったのでイライラしたそうだ。
何度もナースステーションに行き、どうなっていますかと聞いたそうで、そのたびに今縫っていますとかどうとか言われたらしい。
今どきは手術をリアルタイムでオンライン記録して、病棟の看護師はそれをパソコンで確認するらしい。

術後、容態が落ち着いたら家族と会えるようになっているみたいで、妹と会ったのが1時間後の7時半だった。

私は3分割になったことが嬉しかったのでテンションが高く、やたらと話したかったが、それが返って苦しそうに見えたと後から妹にきいた。

妹にはICUにいた時の私の姿を写メに撮っておいてと頼んでおいたけど、この時、さすがにこの雰囲気で写メは無理、と言われた。

記念になると思ったんだけどなあ。


妹とは二言三言交わしただけで、それからは長い夜の始まりになる。


ICUは広いようだった。私の他に数人いたようだけど、全体は見えない。

まず、酸素マスクを外してもらう。
意識は朦朧としていて、目の前に時計があり、時間が見えるけど、ちっとも進まない。
8時・・・9時・・・。
足には血栓が出来ないように空気圧を加える機械を履かされていて、それで足が動かせなくて逆に足がとてもだるい。
鼻から胃に繋がる管が気持ち悪くて話せないし、お腹全部が熱くて、熱が高く脳が沸騰しそうだった。
もう、全てが不快だった。
看護師さんはしょっちゅう様子を見に来てくれた。

9時、10時・・・?
看護師さんが身体を拭きましょう、とタオルで拭いて下さったとき、身体の向きを変えたのが呼び水となったのか、何の前触れもなくなぜか突然吐いた。
で、看護師さんが、あ、吐いた吐いたと慌てて、吐いたものが喉に詰まらないように私の顔を横に向けた。
なんかとても情けなくて、朦朧としながらごめんなさいごめんなさいと謝った。
それから何回か吐いた。麻酔のせいだと思う。
吐きたくてもお腹に力が入らないし、喉の管のせいで上手く吐けない。


11時、12時・・・。
指につけていた体中の酸素を測る機械を外された。
熱が高くて、足がだるい。
だるいので、圧縮する機械を取ってもらい、足の下にクッションを入れてもらったら随分マシになった。
喉がカラカラだったけどまだ水が飲めないので、口を吸い飲みから水で濯がせてもらったらけっこうスッキリした。
頭には氷枕をしてもらった。

そうすると今度はだんだん身体が震えてきて、ガタガタが止まらない。
こんなに身体が震えたことがなかったので、どうなることかと、これは本当に怖かった。
今度は看護師さんが身体を電気毛布で暖める。

そうすると熱くなってきて、身体の震えは止まったけど熱があるから熱くてまた不快。

そんなこんなを繰り返して夜は更けていった。


術後の患者は大変だから当然なんだけど、私のわがままをきいて下さった看護師さんには本当に感謝してる。


眠ったような、眠ってないような、長い夜が明けて朝になり、ようやく熱が7度台に下がった。

朝、アシスタントの担当医が来てくださり、様子を見て、喉の管を抜いてもらった。
これが身体の負担を随分軽くしてくれた。

8時になり、病棟からお迎えが来て上の階に戻ることになった。

寝たまま移動したけど、思った以上にICUは広くて患者さんがいた。


以上、手術前後の様子でした。
思い出したらまた書き加えたい。





随分寒くなってきました。
去年の今ごろはアレルギーらしきものが出て、お腹が痒くてたまりませんでした。
ボリボリ掻いたおかげで、あれ以来、傷痕がミミズ腫れになった気がする。
今年はそれほど痒くはないけど、時々、傷痕がヒリヒリするのが不快。
なんたって、ミミズ腫れだからなあー。

来月の検査まで1ヶ月くらいあるけど、異常なし!で早く済ませて今年を終わりたい。