ショコラータから30年&ザ・スリル25周年 | 【渡辺蕗子Offcialブログfukicoko

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渡辺蕗子(fukico watanabe)のオフィシャルブログfukicokoです。

今年2015年は色んなアニヴァーサル・Yearなんですね~と。

感慨深い。



私がこの年まで《音楽》に関わっていることも含めて…。



ギョーカイ

たははと笑ってしまう時がある。



音楽屋?で食べていくとか家族を養うなど並大抵ではない時代。



でもミュージシャン仲間は…なんでしょう?意外と繋がっているのだ。

関わったアーティストの方々も含めて





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ショコラータ…早稲田のMMTというサークルで故・渋谷英宏さんが

立ち上げたバンドという表現かな(あくまで私個人の中ではね)



私は当時はもうひとつModern Musicというバンドに所属していたし…。
MMもギョーカイの方からデヴューの可能性、、、
Vocalistどちらもかの香織嬢だった。

ショコラータ参加は本当に

「あ!蕗子ちゃん空いているなら手伝って」みたいなノリだったと思います。





「だって松本さんでしょう?」





まぁまぁ…学生バンドでしたから。





ふ~ん?とシンセ・ベースを左手で弾き松本さんのフレーズを右手で弾いたり

第2キーボードとして参加したのがきっかけです。





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松本さん当事、これまたVizionという崎谷健次朗(日芸同期)のユニット?

手伝っていて…。大学1年の時は崎谷とも一緒にやってたから、、、





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ショコラータがピテカントロピスに出演するようになったあたりから、、、

「アレ?」というのはあった。



へ~???という驚きも。。。





天然?的に周囲の方々に驚いてたよ。





観にきてたお客さんがお洒落なギョーカイ人ばかりで。



「衣装考えなくちゃいけないのでは?」って。

母作のショコラータのボロ・ファッションとかもあったけみたいな。。。



インプロ・バンドだったから、なんだ7拍子になる曲とかあったけど





1曲めはイタリア歌曲とか。

今夜何にしようか?という。。。



ピテカンには感謝してますよ。茂一さん始め刺激的なこと。
だって10代後半よ(笑)




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まだなんの権利やら利権も絡んで来ずただのLiveバンド。

ただよくわからないけど、なんせ学生だったから別に関係ないでしょ?

っていうスタンスだったかな。





先輩が卒業?アレちょっと自信ないっす

リズム隊に岡野ハジメさん&カメちゃんがショコラータに参加時代があった。





おピンク兄弟…「PINK」結成で渋谷さんも参加していたと思います。

エンちゃん好きだったし「PINK」はファン的に観にいってたよ。





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その前か。岡野ハジメさんプロデュースでカセット・マガジン「Cioocolata special」を

Recしたのは。

松本さんも、、、録音には参加してたよ。



岡部さんパーカッション





市川くんドラム





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ジャケット撮影。アート・ディレクション Mic板谷さん*

カメラマン 伊島薫さん

TRAの事務所の社長は式田さん





衣装協賛 DEPTなど。スタイリストのサチさんやヘアメイク風間さん…。

うは~こういう方々がついちゃうんだ。



ワクワク感はあった。





そして商品としてTRAから発売される。




音楽が売られる。





まだ学生だったからへ-みたいな感覚で。




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ドタバタしだしたのは???



まぁいつもだけど…記憶の糸をたぐると。。。




日藝4年の春私がと~~~~っても焦った。

単位ひとつでも落としたら卒業できないのだwww

いくら数えても80単位+(卒作8)88単位?4年で一般教養も落としまくっていたから





父は激怒して留年は断固許さないと。




参ったなぁバンドばかりやってたら肝心の学業がこれでは、、、

でも参加してるものは動いているしなぁ…







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そうこうしてた大学4年の冬、ショコラータがメジャー・デヴュー明けて春

キングレコードからという話が進んでた。



もうPINK軍団は脱退してたのでは?





立ち上げた渋谷さん「PINKがデヴューするから」と岡野さんカメちゃんも。



注:これに関しては一昨年ホッピーと酷い話だったよねと...
  まぁホッピーがそういってくれただけでも嬉しかった。





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その時です。私がバンマス指名を受けたのは。



へ~~~?なんだかよくわからない成り行きだけど…。



自分がやる価値があるの?とか確かに思いましたよ。

でもTRYしてみたいこともたくさんありましたし。





なんだかバンマスたって学級委員くらいのことでしょう?みたいな(苦笑)

私も世間知らずも甚だしい感じでわからなかったのだ。




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リズム隊?ギターのメンバー?色んな方とやってみたけど、
もうダメな方たちは片っ端からNG発してた。



うん。やはりここはと???横山英規さんに直談判に行きましたLive観に行って。



そして棚沢選手。





コミュニケーションとれるのかな?とか不安もあったけど。







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ギターはMMTのサークルから寺師選手。









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大学4年の卒作と同時進行でメジャー・デビューアルバム制作の話は進んでた。





プロとして音楽?とかのよゆーすら選択の余地もなかった。





笑い飛ばしてないと。



周囲も大変だったと思うよ。







一番クソ忙しかった時期だ。

ピアノの生徒を実家で20人くらい?教えていたし実家-江古田-西麻布-日芸のお友達宅に

お泊りして…。





私の4年の単位は学友が調べてくれて

「フキちゃん卒業危ないから手分けして助けよう」







覚えているのはピアノは実技で4年までとってた。でも後期試験

「ピアノ科なんかに負けないくらいの曲」最後何を試験で弾くの?

自由曲「ラヴェル道化師の朝の歌」



選んだはいいけれど実際に練習する時間がないのだ。

夜中の2時とかにピアノのスタジオとって練習してたけど、、、

もう集中できるほど体力も残っていなかったから後悔してた。





ああああああああ単位落す~~~~w

作曲の卒作は?



現代音楽の卒作レヴェルのものをRECモードで書けますか???

私???留年はNGで…中退???そそそんなことはダメでしょ!



バタンバタンとアリスのドアが閉まる直前になんとか色んなことをクリアしていく

悪夢のゲームの幕開けだったような。まるで「未来世紀ブラジル」



Liveも入っていた。

これは利害関係が発生してる。「お仕事」アルバイトではない?







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1月12日あたりだったと思います。

研究室から3日前くらいに17時まで「卒作提出してください」と電話が入る。

最終日、大学の図書館でとにかく最低限「提出」はしないとと

17時直前にスコアと何か?卒作のなんだっけ?書類を持って

研究室に駆け込んだ。





今でも覚えている。私は印鑑を忘れたのだ。





あああああああああ、もうダメかと。
近くの文房具屋に買いに行くから待っていてもらえませんか。





「渡辺〇教授の印鑑を借りちゃいましょう」





「え?え?そんなことできるのですか?」





現・今泉教授とラーメン屋加藤(おい!もう立派な教授ですよw)



の機転がなければ私は・・・・。









卒作提出できなかったよ~ん(涙)












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REC始ってた。













マグネット・スタジオ







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当事Saxの塚原さんは就職して別の仕事と掛け持ちでした。











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そう!2足のわらじの方がいる。メンバーにというのは経験してたのよ。











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そして何も考える余地もなく卒業と同時にメジャー・デヴューしたのだ。

ショコラータというバンドでね。





かの香織嬢はひとつ学年は、、、でしたから…。





3月28日生まれなので生まれた年は一緒。







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まぁ長くなっても今夜は書けるところまで書いてしまおう。











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「ザ・スリル」





ショコラータの事務所の社長だった式田さんから

ある日、突然電話で「ビッグ・バンドの指揮者になりたい計画?」の話。





笑った。





式田さんらしいなぁと。相変らず音楽のこと?制作とかわからない癖に

発想はさ…とか。





ホーン隊のBigBandか???





想像しただけで大変そう。





バンマス?え???でそれってなんか???











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ストリングス・アレンジはまだまだ奥が深くてもRECで経験もあり

自信みたいなものはあった。







ホーン隊で曲が試せるの?どうする?大変そうよ。


インスト!








当事私が式田さんから受けた条件は

「第一にSOLOアルバムを優先そして…バンマスをやるなら」











ここから先を書くのは辛い。





本当に最近フラッシュ・バックが激しくて。





夢でも魘される。







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「蕗子の気に入るメンバーで僕の夢を叶えて欲しい」










私は当時…もうどうしようもないほど音楽に対してはある腺は譲れません。

精進しますなんて発想は皆無で頑固だった。





ようするにバンドとか皆さんとご一緒にとかバンマス向きな人間ではないのだ。






リーダー権限?







私は作曲家としてはトライする価値がある。

演奏家としてはどう?ピアノ&オルガンでなら…
セッティング大変だもの。

グランドピアノかCPでと譲れなくてもう!






でもビジュアルとかそのバンドがメジャーデビューするなんて思ってもみなかったから

個人の仕事の合間に(マジそれはそれで忙しい時期)

曲書いてLiveでできるなら、それはやってみる価値はあるかも?



と最初に何度も式田さんと確認はしたけど。









リハは最初はまぁ。私がではやるなら気心が知れたメンバーとか

なるべくやりやすい状態で始まりましたよ。

そして楽しい時代もあった。








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呼んでもいないのに来たメンバーも受け入れ(笑)ホーン隊足りないところは面接したりとか…。





フレンドリーに。笑い飛ばして…





ビッグバンドって、、、というか人数が増えるほどスケジュール管理やら大変だなぁ

式田さん、そこんとこはヨロシク。私は作曲したりリハは仕切りますよ。







最初は芝浦のインクスティックOPENINGセレモニーのLive

観にいった。コンクリート打ちっぱなしの出来る前。





ふ~ん?どんなハコになるんだろう???







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まぁ一発目のLIVEインクスティック芝浦OPENINGセレモニー・パーティ

「THE THRILL」登場&お披露目。





ギョーカイ人やってくるの巻#2







そこで1発でレコード会社からオファ-が何社かキタ。







まぁ式田さんのやることは相変らずとか。







これからどうやって関わろう?とか考えたり不安はどわ~っとあった。







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バンドとしてメジャーデヴューの可能性?





式田さんの夢は叶うねぇ良かったねぇ…でも私はメジャーとしてならとか色々あるけんね~。





大体

「気に入らないメンバーはクビ」の権限もらってた。





ミーティングやって帰宅すると夜、電話はメンバーからで

キャッチが入ると他のメンバーから何人もエンドレスという。。。



参るよ。ミーティングで全員で決定したことにそれは反則でしょう?





参ってたよ。

でもメンバーの意見は聞こうと。



勿論、全員からではないよ。ゴメンねスルーしてたメンバーもいたし、
こういう件に関して私は不満も発信はしてた。













自分の限界なんて知らなかったよ。


躁鬱発病は別にスリルとは関係なく起こっていたにせよ。


早い時期に自分から降りるべきだったと。




やってらんねーYOと。








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もうね。しょうがない。メジャー・デヴューとか知るとメンバーも熱くなる。

利権やら譲れない腺は皆あるだろう。













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私はひとりもクビにしなかったよ。ショコラータで懲りてた。

それだけは悲しいけど書かせてください。

だって…。



じゃあなんで今更こんなことを書く?とか
聞かれても  そんなに器の大きい人間ではないよ。











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精神科入院







そこへもレコード会社のスタッフ?や式田さん来る。


「今、蕗子さんに抜けられたら困る」





ありえない!!!今思えば…。



健康を害してまで音楽やるの??って











一度始ったビジネスの歯車はちょっとくらいのリスクがあっても





判断能力が欠如したまま。





壊れた私のままリハやLiveは続く。









フキちゃん休養したほうがいいよ。メンバー心配してくれてた。









そうだね。ちょっとロスに行ってくる?とかもう記憶から永遠に消してしまいたいほど。
















私抜きで東芝EMIから「ザ・スリル」デビューが決った。











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アレから25周年が「THE THRILL」今年です。









当事の私の楽曲は・・・

ねぇ。


私はヨロシタミュージックへ所属が幸運にも決まり、
大蔵さんが対処してくださった。


「蕗子さんは稼ごうと思えば仕事は入れるけど貧乏してでも自分の好きなことを
 やったほうがよいでしょう」



ほ~いお給料初めてもらい。










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湾岸戦争・ ザ・スリル 記憶がボコっと抜けているところがある

記憶ない。長期入院してた。






眠剤飲んで電話してしまったことも。友人無くす。

あやふやだったり曖昧だったり



そして

思い出そうとするとアラームが鳴り響き警告が。自己防衛的に

思い出したら崩壊する…。



トラウマがひとつ。

制御できない自分がいる。

調子がいいとアッパーになりダウンする自分がいる。





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だから、去年不思議な経験というか増井くんとLIVEで

「スリルの曲」という地雷はどうなるのかな?とか思ってはいたの。







これでも私主催のLiveの共演者に関してはベストは尽くしてた。





小泉先輩即OK&平田くん(一晩考えたという翌日OK)



國枝さんOK















もう充分に時効でしょう。





あの時に書いた楽曲を披露できるの?私の脳はそこに???









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知らなかったこと。私だけのこと。





メンバーから「それは記憶違いだよ」と言われても私は残しておきたい。





誰もクビにしなくて本当によかったと。





















自分で発信しようと。











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ショコラータもスリルも私が望んだ形での結成でもなく

でも

引き受けたからにはその責任は全うしたかった。











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3番目のユニット?「VENUS & MARS」

MAGUMIくんリーダーでこれは私がやりたかったことだから



そして学ぶ。





「ミーティングなんてする必用はない反省もしない」

MAGUMIくんの主義。





へ~~~~なるほど、、、と目からウロコその時は思った。





壱成

「Liveはサッカーの試合みたいなもの勝つかドローでいいんだよ

 ふきちゃんはRECでも《私気分が悪いから2階で寝る》とか


もっとゆるくできたらでいいんだよ。まるでコドモの喧嘩みたいに
MAGUMIさん相手に戦わなくても」



え~~~そんなもん?





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そんな事を実家でRECやらLiveのリハをしてたころ、

まだ私も自分のこれからもわからないまま。













「ザ・スリル」の頃そういえばMAGUMIくんからアドヴァイスあったよな。

聞く耳を持てなかったのは、、、メンバーもアレコレ言ってきたのに
部外者から何よ???って感じで



誰に相談したらよいの?





どうして自分のこと自分で決められないの?



もう誰を信じてよいのかがわからない。





私はコミュケーションがとれない時がある欠落人間だ。





など思いつめていて…ドアは開かない。







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ごめんなさいと謝る。





自分が精一杯やったのに頑張り過ぎて自爆したことに関しても

私が謝ってすむなら何度でも頭は下げる。





ありがとうと感謝の気持ちはいつも忘れていない。





もう嫌なんだ。誰かに会うたびに誰かの気分を害したり

私が凹む必要もないのに過剰に反応したりも。











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爆弾







え?って顔される。





一瞬秒殺のように察知する。







被害妄想だよ。





妄想は自由だよ。







迷惑関係ないじゃん。胸はって行けよ!





ドンマイ!







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MAGUMIくんに教わったじゃないの。



メンバー全員のことを考えてたら発狂して当然だと。













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あと

「お酒」コレ自分で飲むのは規制かけてるよ。



相手が飲んで酔ってるときも、、、なんて表現したらよいのかな?

まともに相手してはダメ。



八方美人もダメ。








そりゃ~ショコラータのころはガンガン飲んでたLive後はね。
私は飲んで緊張感をほぐすなんて


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引き篭もる。鬱々、、、誰からの電話もとらなかったし治療専念。




それでも音楽は続けたい。





健康?もう今はどうでもいいや…。いつ死んでもおかしくないお年頃。









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本能に従えと脳は指示する。





音楽は快楽だと。







渡辺蕗子はまだTRYしたいことがある。

それを他人が友人がどうこう言ってももうちょっとやそっとでは揺るがない。

(渦中は大騒ぎしたりするよ相変らずwそんなに急にとか焦ります)





ひじょ~に神経過敏だがもうアチコチにパンチ喰らっい

誰かが悪い訳でもないのに傷ついたりが人生らしい。





たかが音楽されど音楽。









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2月13日(金曜日)

吉祥寺スターパインズに「ザ・スリル」のリハにお邪魔して

今度やるLIVEの打ち合わせをと思ってた。











音はリハだけで充分だろう。

問題は私が3月12日Liveに向けての体調管理第一だから、

地雷を踏みに行くようなことは避けたいね。



Solo名義でやるインディーのLive。





「ザ・スリル25周年」









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時間を聞いて「え?そんなに早い時間に入るの?」

そうか逆リハだからしょうがないのか。



過酷なタイムテーブルですな。



スターパインズに遅れて入ったら、いきなり岡部さんのドラムのステージ裏についてしまった。

「お!久しぶり~」岡部さんは変わらない。安心

「どうやって向こうに行けるんでしたっけ?ここって」

「あっちから」

「ありがとう」





まぁね。メンバー驚いてた?かな。

横山さんは「出たなバケモノ」 というのはソラミミで「出たな妖怪!」と



うっひょ~まったくとか思いつつ。





がっくんが「妖怪はかわいいんだよ」フォローされたり。







リハみててもなんかこう…まぁそうね。リハだしね…モニター関連大変そうとか







「本番みないの?」



「うん20時40分からでしょう?」と帰るつもりだった。








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平田くん&小泉さんと打ち合わせ。





では帰る前にゆかりちゃんと確認しなくちゃ。









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うん。そうだね観て行くのも悪くないかも?

色んな意味でレアなLiveだよ。岡部さんのドラムなんてもう2度とないかも?












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久しぶりに「ザ・スリル」を観て泣きそうになった。

色んな意味で感動した。



嗚呼、私あの時は精一杯やってああいう風になったけど、

このバンドがまさか25年も続くとは思ってもみなかった。





継続し続けるほうが大変なのだ。

「いい加減でないと」続かないらしい。

でもそうではないだろう。軋轢は色々あるんだろうな。





そして





結成してよかったなってしっかり思えた。



これはね自分でも驚いた。トラウマってこうやって浄化されていくの?と。

メンバーとの温度差は知らないよ。











こうして25年たって、、、その前に結成したのだ。











暁ちゃん

「あの頃はゴメンね。本当にゴメンね。ボク達も必死だったし若かった」





暁ちゃんありがとう。





メンバーの誰かがそれを言ってくれて本当に嬉しかった。





しかし酒飲むメンバーだなとか(苦笑)ある意味すごいよな。

それであんなステージできるなんて。





私には無理っす。













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3月12日は 社会人組2人が年度末もあって参加NGになりました。





それとこれとはまったく関係はございません。







黙って静かに結論出せよ。





相変らずやらかしてるね~参ったYOとでも笑い飛ばしてくださいな。







人との関わり合いって時が解決してくれることがあるって当時の私に教えてあげたい。

こういう未来が待っていたんだよと。









2015.2.15







渡辺蕗子







全て関わった方々に感謝の意を。Love☆





歳を重ねて楽になってきた部分と精進し続たい希望みたいなことは経験して初めてわかる。





躁鬱病とか社会適応障害などを経験してなかったら…人の痛みも理解はできない。



下弦の月の影響を受けている。手放すものは開放する。



こんなご時勢にやりたいことができる幸せ。



私は今でも音楽をなんとか続けている。