だいぶ間が空きました。こんにちは雨賀です。
今回は「鍛える」という言葉に着目したいと思います。
いきなり核心から言いますと
年齢が10歳以上離れた人間の鍛え方は基本的に間違っています。
正確には 合わない のです。
合うわけがありません。
例えばPCが無かった時代の人間の「ビジネスの努力」と
PCが普及しだした時代の人間の「ビジネスの努力」のウェイトは全く違います。
特に見様見真似で技術を習得してきた世代の考え方や根性論、姿勢は現代においてナンセンスです。
よろしいですか?
そんなことが出来たのは、そんなことが出来た時代だったからです。
これは言い訳でも屁理屈でもありません。事実です。
いち個人を取り巻く環境、とりわけ情報の量が明らかに違います。
もっと正確にいうと、覚えることが多すぎるのです。
スマートフォンの操作が、実は脳にものすごく負荷をかけている事実があります(寝る前にスマホをいじると、脳が興奮し寝付きにくくなるそうです)。
スマホ一つとっても、この「覚えるべき部分の負荷」を、世代が違えば別の部分に使用出来ていたのですから、現代の人間がいかに覚えるべき情報が多いのかはご理解いただけるでしょう。
さて、そんなジェネレーションギャップな指導を受けると乖離が生じます。
いわば「嫌な経験」として蓄積されます。
指導者は「鍛えている」つもりでも、指導される側は「嫌なことをされている」と取りかねないのです。
このケースは様々な場面で非常によく見られます。
もちろん指導される側に問題がある場合も多いです。そこを言い出したらキリがないのでいったん保留してください。
10年という年齢は、ちょうど区切りとして使用されるケースが多い年齢として私が設定しているだけなので、5~15くらいの幅があっても良いでしょう。便宜的に10年を使用します。
とにかく、10年も経てば社会は劇的に変わります。指導者は「今」でも10年後から見れば「昔」です。
残念ですが、日本には「自分は古い」という自覚を持たない指導者が圧倒的多数を占めています。
今一度、指導者の「鍛える」という概念を問うことが必要だと私は思います。
もちろん、クライアントも同じ。モンスタークライアントも実は「鍛えやってる」という押し付けで新人をいびっているなんて良くあることです。良くあったらまずいんですけど。
まあ、少なくとも「部下は一度キツく言えば次はなにくそと思って努力する」なんて思っている人は指導者に向きませんし、過去に甘い汁を吸ってきた武勇伝さんです。
それに、そんな根性がある人はおそらくあなたの部下になる以前にもっと別の大手会社に就職しています。
会社の身の丈にあった「鍛え方」をしていますか?
いっちょまえにプライドだけ高い「鍛え方」を押し付けていませんか?
ブラックでないのに業績を伸ばしている企業はそのことを知っているはずです。