〝新東京八名勝〟の洗足池、亀戸天神(亀戸天神社)、天王社(品川神社)に続き
4番目に訪問した場所は、赤塚の『松月院』です♪
参道入口には「新東京八名勝」の碑が建っていました。
◆新東京八名勝の碑
◆松月院
東京都板橋区赤塚8-4-9
●ご本尊・・・南無釈迦牟尼仏
曹洞宗の寺院で山号は萬吉山、正式名称は、萬吉山宝持寺松月院。
当寺院は、房総に勢力を持っていた武将・千葉自胤が康正2年(1456年)に現在の
千葉県市川市から赤塚城に移り、その後、延徳4年(1492年)当地にあった
古寺・宝持寺を自身の菩提寺として定め、土地を寄進し、松月院と名を改めさせた
のが始まりであると伝えられています。
また、天正19年(1591年)、徳川家康は40石の朱印地を当寺に寄進しましたが、
これにならって歴代将軍が下付した朱印状正本が寺宝として秘蔵されています。
◆松月院案内図
立派な石門を入って参道の左側に石碑が並んでいます。
左側手前から弘法大師像、忠魂碑、地蔵菩薩立像、地蔵菩薩座像
山門前の枝垂桜は〝松月院の枝垂桜〟として有名です。
◆山門
◆山門の扁額、山号の「萬吉山」(左側)、松月院のヒイラギ(右側)
山門をくぐって、まっ直ぐに延びる参道、左手に松月院幼稚園があります。
幼稚園の前に建つ可愛いお地蔵さま(左側)、お寺の駐車場には鯉ノボリが
青い空に元気よく泳いでいました!
◆新東京八名勝の当選記念碑(左側)、寺宝館の松宝館(右側)
1932年、報知新聞主催の「新東京八名勝」として一般読者の投票で松月院が
第5位に入選しました。
◆中雀門
◆中雀門
中雀門を入ってすぐ左側に年季の入ったお墓が並んでいます。
◆山岡家の墓
「新東京八名勝」や「板橋十景」に選ばれるほどの手入れの行き届いた美しい庭園です。
◆本堂
宝暦4年(1754年)に再建された、都内では珍しい総欅造りの建物です。
雲一つない青空をバックに見事な庭園&本堂が実にマッチしています!
◆寺務所
ここで御朱印をいただきました♪
◆鐘楼
◆高島秋帆顕彰碑
天保12年(1841年)、幕末の砲術家として有名な高島秋帆は、幕命により
徳丸ヶ原で洋式砲術の訓練を行いましたが、その前夜、当寺を本陣とした
縁で遺品類が保存され、顕彰碑も建てられたようです。
高島平の地名は高島秋帆が砲術演習を行った地であること付いたそうです。
境内には、「豊川稲荷」が鎮座しています。
豊川稲荷は神社ではありませんが、吒枳尼眞天(稲荷神)を祀り、商売繁盛の神として
知られており、境内の参道には鳥居が立っています。
◆豊川吒枳尼眞天
◆豊川吒枳尼眞天
吒枳尼天は、インドの古代民間信仰に由来する仏教の女神ですが、
日本では稲荷信仰と習合し、稲荷神と同一視されています。
◆神使の狐像
「オン シ ラ バッ タ ニ リ ウン ソ ワ カ」と唱えると、悪事災難を除き、招徳智慧を得、
苦を転じて楽となし、悲しみ転じて喜びをなすとのことです。
◆千葉一族の墓
御朱印には、寺紋であり、千葉氏の家紋「月星紋」が押されています。
◆御朱印
◆怪談 乳房榎記念碑
松月院は「怪談 乳房榎」のゆかりの地でもあります。「怪談 乳房榎」は三遊亭圓朝によって創作された怪談話で、新聞連載後、明治21年(1888年)に出版されました。
◆乳房榎の由来
◆松月院周辺マップ
<参考文献>
・板橋区公式ホームページ
・現地説明看板
・ウィキペディア