もう1件の素敵なお出掛けは、国立新美術館
「ルノワール-伝統と革新」を鑑賞。

あたしは絵画の何々派だとかには全く
詳しくはないので、きっと当たり前の事を
書き連ねてしまうだろうけれど。

印象派-ルノワールについての事前知識、
写実的な描き方ではないっていう
乏しいイメージだけでの鑑賞開始。

色、色、色、
色彩の波がぐんぐんと目に入ってきて、
ルノワールの世界に引き込まれてしまった。

彼の描く人の顔には、生気が漲っていて
頬の赤みや肌の色、特に目が印象深かった。

あんなに、ふわりとした背景の中に、
描かれている特に女の人の眼差しが
とても美しかった、生きているみたいで、本当に。

グリーン、ブルー、そうして少しのブラウン、
沢山の色で塗られたキャンバスの空の色は、
どこか懐かしい感じがした。

あたしがいつも見ている空は、夕方は、
こういう色だったなぁ、柔らかくて、暖かくて、
綺麗、風景って、そうだよね、こんなに綺麗。

途中のブースで、ルノワールの絵を最新科学で
光学的に調査していた。(光学的って初めて聞いたけど)

要するに、X線がどうのだったり
赤外線がなんやらで、(全然、要してないね、あたし)
キャンバスに描かれた下絵や、彼の使っていた絵の具だったりを
解明して紹介していたけれど、それって嫌だなぁ、なんて思ったり。

彼は、完成されたものを作品として残していた訳で、
下絵や絵の具の解明なんて、求めていないよねぇ、きっと、

修復の為に必要だったりするのならば、そういう人達の中で
調べれば良いだけで、完成された作品達が並ぶ、すぐ横に
下絵がどうのだったり、は並べて欲しくなかったな。

沢山の日本人が、その下絵を、
ほうほう、こういうふうに描いていたのね、
なんて、観ているって、
ルノワールは想像していなかったんだろうな。

完成された作品を見るだけで、充分なのに、
まだまだ解明したいなんて、欲深いね、あたし達。

石川啄木にしてもそうだけれど、
「ローマ字日記」が出版されているって知ったら
どんなにショックをうけるか、と思う、

あの人のイメージというか、作品は、
辛い、苦しい、貧乏、だけれど、
「ローマ字日記」は、それを覆す。

覆すというか、あぁ良かった、啄木は、
辛い、苦しい、貧乏だけじゃなかったのね、
なんて、身近に感じられた、やっぱり人間だもんなぁって。

でも啄木は、「日記などは燃やして欲しい」なんて
死ぬ前に、奥さんへお願いしていたくらいだから、本当は
読んで欲しくなかったんだろうなぁ、なんて思いながらも
あたしは読んでしまったけれど、、、

なんだか、話がずれてきてしまったけれど、
結局、あたし達は、彼らが
作品です、って残したものを鑑賞するだけで充分で、
彼らがプロデュースしているものに対して
あら探しみたいな事、しなくても良いよね、なんて思った。

最新科学は素晴らしいけれどさ。
なんだか、違うと思った。

ルノワールの作品達は、最後の最後まで美しくて、
とりわけ「野原で花を摘む娘たち」という作品に、
魅了されてしまい、何度も行ったり来たり。

本当に色が素敵だった。

美術館の外へ出ると、曇り空で、
一気に現実へと引き戻された感じがして、
くらり、目眩。

なんでもかんでも、はっきりと見える感がして
すこし気分が悪くなったくらい。

ルノワールの絵は天気が良いね、
なんて友達に言ったら、

天気がよくなければ、外で絵が描けないでしょう、

あぁ、そうか、そうだねぇ、
あたし、なんて能天気な質問。