あるわけないだろう:歴史学者の「韓国への愛はないのか~~」を嗤う | Fugenのブログ

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マメブル様が面白い記事を書いています。


ベトナムの一喝


という記事で、韓国にふれているところが特に愉快でした。


記事で紹介されているURLは、辻本武様の『第91題 実証なき歴史研究』


http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daikyuujuuichidai


です。マメブル様の記事はお読み頂くとして、

ここでは、マメブル様がご紹介されている、辻本様の記事を先に抜粋引用しコメントします。


『歴史学は歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものである』というのは、日本人の思い込みで、韓国には通用しません。

ですから当然、日本の歴史学者が『しかし「正しい歴史」に疑問を呈すると、「おまえは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ」「そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か」と言われ』ることになるのです。


『最初から結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料を恣意的にピックアップしていくことになるそれは歴史学とは程遠いものである』というのは、事実に基づくべきという日本人の歴史の定義なのです。


韓国人にとっては、歴史とは自分を正当化するために捏造するものなのです。ですから


日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです』よ。


そして、重要なのは、


『韓国における歴史研究の現状については、日本ではかつて陰でコソコソ言うことが多かったのだが、近頃ではこのように批判を公言するようになってきたといえるだろう』

の通り、韓国の歴史捏造を毅然として指弾し続け、世界にアピールすることが重要だと、私は思います。


(注)上記コメントは、以下の引用からの抜粋です。元記事の中でも引用があります。詳細は上記URLの詳細ご覧下さい。


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 歴史学は歴史資料の詳細な検討の上でその歴史像を明らかにしていくものであるが、「正しい歴史」なるものが、歴史資料の十分な発掘・収集・検討のないまま一人歩きしている。従って、概説書でなくちょっとした専門書や資料集を読めば、「正しい歴史」に相反する資料が数多く見当たることになる。しかし「正しい歴史」に疑問を呈すると、「おまえは朝鮮を差別する意識があるから真実が見えないのだ」「そんなことでは歴史をやっている意味はない。何のための、誰のための歴史か」と言われたことがある。「正しい歴史」は主観的情緒的な歴史観に基づくもので、実証を軽視したものと言わざるを得ない。この歴史観を有すると、最初から結論のある「歴史」があるのみで、その「歴史」に合わせて資料を恣意的にピックアップしていくことになる。それは歴史学とは程遠いものである。

 この体験は1970年代後半のことで、これをミニコミ誌に書いたのが1990年代前半、さらに本HPで公表したのが6年前の2000年のことである。

 これと同様の体験と感想は、韓国・朝鮮に係わる多くの人が昔も今も持つもので、従ってまた同様に厳しい批判的見解を有する方が多い。けれどもそういった意見が表に出ることはなかなかなかった。そして近年ようやく出てくるようになったという印象を持っている。最近では次のような対談が発表されている。


関川: ‥‥先方(韓国人)が実証的歴史事実の積み重ねでは説得されるつもりがないことは認識しておかないといけない。

古田: 日韓歴史共同研究委員会も似てますよ。‥‥日本側の研究者が「資料をご覧になってください」と言うと、韓国側は立ち上がって、「韓国に対する愛情はないのかーっ!」と、怒鳴る。‥‥さらに、「資料をみせてくれ」と言い返すと、「資料はそうだけれど」とブツブツ呟いて、再び「研究者としての良心はあるのかーっ!」と始まるのです。

関川: 歴史の実証的研究では韓国に勝ち目はないでしょう。事実よりも自分の願望というか、「かくあるべき歴史の物語」を優先させるようですから。‥‥

古田: 民族的感情を満足させるストーリーがまずあって、それに都合のいい資料を貼り付けてくるだけなんですね。当然、それ以外の様々な資料を検討していくと、矛盾、欠落、誤読がいっぱい出てくる。

櫻井: それは韓国の大学の歴史研究者ですか。

古田: イエス。これは韓国の伝統的な論争の流儀であり、思考パターンなのですね。李朝時代の両班の儒教論争も、みなこれですから。要するに「自分が正しい」というところからすべてが始まる。実はこの「自分が正しい」という命題が実証不可能なんです。この思想が突出したものが、北朝鮮の主体思想にほかなりません。
櫻井よしこ・関川夏央・古田博司「韓流“自己絶対正義”の心理構造」
(文藝春秋『諸君!』2006年4月号 69~70頁)

 韓国における歴史研究の現状については、日本ではかつて陰でコソコソ言うことが多かったのだが、近頃ではこのように批判を公言するようになってきたといえるだろう。
>>『第91題 実証なき歴史研究』 辻本武様