【地域包括ケアについて】他人から設定されるコミュニティは檻。
みんなが孤独だと思っているとする。
それは、みんなが孤独なんだから、
孤独なんかじゃない。
それ自身がみんなである。
孤独な奴をハコに集めて、
『もう、孤独じゃないでしょ』って言われても、
僕たちはそのハコに居続けないだろう。
だって、
僕らはある目的を持って集い、
群れるんだからね。
もっとも、
自分の目的のために、扇動して群れを作る、
ハイエナみたいな野郎もいるわけだけど。
オオカミの孤独と、ハイエナのよだれ。
どっちも食えたもんじゃないなら、
オオカミを選ぶよな。
・・・
とある外人が、秋葉原に降り立つ。
まだ、駅前には広場があったころ。
バスケットゴールに夕日が落ちる時間。
多くの若者がいる。
『どうして彼らは、バスケットゴールがある広場で、
みな、下を向き、ゲームをやっているんだ?』
ドラゴンクエストが流行っていたころだろうか?
みんな通信で、やり取りをしている。
僕たちには言葉があるにもかかわらず、
電波で話をしているんだ。
まあ、僕と、君も、
今、電波で、言葉で、喋っているのだけどね。
・・・
日本は少子高齢化です。
地域包括ケアを行うにあたり、
地域コミュニティを再構築しましょう。
今までは、あんたも、
隣の家に醤油を借りていただろうに。
町内会、向こう三軒両隣。
『目的を持って、自発的に集まる』
ってのがコミュニティ。
地域の自治。
助け合い。
僕らは、隣の人の力を使うことで、
風邪をひいたときに買い物に行ってもらえるしね。
・・・昔はね。
今は、そんなことでメンドクサイ関係を持たなくても、
インターネットで、佐川急便が持ってきてくれるでしょ?
近所の掃除?
したくないよね。
今までは、
非常に狭い範囲のコミュニティでは、
その地域にいる人と話をしなくてはならなかった。
今は、
僕とあなたは、いつでもどこでも、
電子のハコがあれば、お会いすることが出来る。
飯塚に会いたくなければ、
そのハコを閉じればよい。
●●●●●●●●●●●●●●●●
マズローは人間の欲求として、
『所属の欲求』を挙げた。
人間が、
『自己実現の欲求』を満たすためには、
まずは、メシ食えて、群れて、安心することが大事。
介護保険法の自立支援の前に、
どこかに所属することが大事。
現代社会の困窮は、『無縁』である。
働きに出ている僕らは、
世帯社会という小さなコミュニティ。
仕事先というコミュニティを持っている。
もう一つくらい持っていると、
所属の欲求が満たされる。
家に帰りたくないから、残業したり、
仕事したくないから、趣味の集まりに行き、
やっぱり家が落ち着くわ~。とする。
3点構造で落ち着きを得る。
んで、高齢者は、
足腰がよぼよぼだったりするので、
どうしても地域コミュニティに依存する。土着する。
認知症の人であれば、閉じ込められて、行きたくてもいけない。
世帯というコミュニティに土着するわけですね。
本来、コミュニティは、
『目的を持って、自発的に集まる』のだけど、
『やむを得ず(移動も出来ないし)、集まらせられる。』
のが、最近の地域コミュニティトレンド。
実は、移動手段に乏しい、昔とあまり変わらない。
そうせざるを得ない状況に落とし込まれる。
『社会は少子高齢化によって、地域コミュニティを必要としている。』
わけだが、
『自発的に参加するなどの選択肢は、ない。』
状況まで行き着いているわけだ。
・・・
寂しくて、秋葉原でDSをいじっている奴らは、
それだけでコミュニティと呼ぶわけだけど、
電子の力がなかったら、バスケットを始めるか?
そんなことはないだろう。
日本人はTOO SHY SHY BOY!なのである。
勝手に地域コミュニティが出来るわけがない。
実は、そんなこと、厚生労働省の優秀な役人ならわかっているはず。
支援が必要な人も、支援が出来そうな人も、必要性を感じていない。
まあ、特に支援が出来そうな人が必要性を感じていないのだけど、
その代わりとして、福祉職を投入するか、検討しているのである。
『互助』『共助』は、社会が必要としているけど、
助け合うということは、助けられたという実績が必要だけど、
今の、高齢者を見ていると、既に、地域コミュニティとか、
助け合いが崩壊しつつある方が増えているように思える。
戦後、オトナであった明治大正生まれの方は、
焼け野原で助け合って生きてきただろう。
与えてきたから、与えられる。
既に、戦後まだ、幼い(や、自立していない)世代は、
地域ぐるみで何かをやっていった実績が少ない。
やらなくても、死ななかったからかね?
今から、
『必要性を感じていない、与え合いにならない、
地域コミュニティを作っていく』って凄い違和感がある。
生きていくために必要なコミュニティの構築は、
高齢者も、街の人も、生きていくという動機付けや目的が必要である。
こいつをブレイクスルーするのは、どうしたらいい?
これを実践できる奴が、
介護業界でも重宝されるんだろう。
と思う。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
非常に、まとまりに欠け、結論ないですね~。
酷い。酷い。
じゃあ、NPOにそのノリを求めるのか?
なんだか違う。
小規模多機能が一番近そうなんだけど、
それだけだと足りない。
もちろん、
医療・保健・福祉だけじゃ、足りない。
もう少しで行き着きそうなんだけどね~。
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それは、みんなが孤独なんだから、
孤独なんかじゃない。
それ自身がみんなである。
孤独な奴をハコに集めて、
『もう、孤独じゃないでしょ』って言われても、
僕たちはそのハコに居続けないだろう。
だって、
僕らはある目的を持って集い、
群れるんだからね。
もっとも、
自分の目的のために、扇動して群れを作る、
ハイエナみたいな野郎もいるわけだけど。
オオカミの孤独と、ハイエナのよだれ。
どっちも食えたもんじゃないなら、
オオカミを選ぶよな。
・・・
とある外人が、秋葉原に降り立つ。
まだ、駅前には広場があったころ。
バスケットゴールに夕日が落ちる時間。
多くの若者がいる。
『どうして彼らは、バスケットゴールがある広場で、
みな、下を向き、ゲームをやっているんだ?』
ドラゴンクエストが流行っていたころだろうか?
みんな通信で、やり取りをしている。
僕たちには言葉があるにもかかわらず、
電波で話をしているんだ。
まあ、僕と、君も、
今、電波で、言葉で、喋っているのだけどね。
・・・
日本は少子高齢化です。
地域包括ケアを行うにあたり、
地域コミュニティを再構築しましょう。
今までは、あんたも、
隣の家に醤油を借りていただろうに。
町内会、向こう三軒両隣。
『目的を持って、自発的に集まる』
ってのがコミュニティ。
地域の自治。
助け合い。
僕らは、隣の人の力を使うことで、
風邪をひいたときに買い物に行ってもらえるしね。
・・・昔はね。
今は、そんなことでメンドクサイ関係を持たなくても、
インターネットで、佐川急便が持ってきてくれるでしょ?
近所の掃除?
したくないよね。
今までは、
非常に狭い範囲のコミュニティでは、
その地域にいる人と話をしなくてはならなかった。
今は、
僕とあなたは、いつでもどこでも、
電子のハコがあれば、お会いすることが出来る。
飯塚に会いたくなければ、
そのハコを閉じればよい。
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マズローは人間の欲求として、
『所属の欲求』を挙げた。
人間が、
『自己実現の欲求』を満たすためには、
まずは、メシ食えて、群れて、安心することが大事。
介護保険法の自立支援の前に、
どこかに所属することが大事。
現代社会の困窮は、『無縁』である。
働きに出ている僕らは、
世帯社会という小さなコミュニティ。
仕事先というコミュニティを持っている。
もう一つくらい持っていると、
所属の欲求が満たされる。
家に帰りたくないから、残業したり、
仕事したくないから、趣味の集まりに行き、
やっぱり家が落ち着くわ~。とする。
3点構造で落ち着きを得る。
んで、高齢者は、
足腰がよぼよぼだったりするので、
どうしても地域コミュニティに依存する。土着する。
認知症の人であれば、閉じ込められて、行きたくてもいけない。
世帯というコミュニティに土着するわけですね。
本来、コミュニティは、
『目的を持って、自発的に集まる』のだけど、
『やむを得ず(移動も出来ないし)、集まらせられる。』
のが、最近の地域コミュニティトレンド。
実は、移動手段に乏しい、昔とあまり変わらない。
そうせざるを得ない状況に落とし込まれる。
『社会は少子高齢化によって、地域コミュニティを必要としている。』
わけだが、
『自発的に参加するなどの選択肢は、ない。』
状況まで行き着いているわけだ。
・・・
寂しくて、秋葉原でDSをいじっている奴らは、
それだけでコミュニティと呼ぶわけだけど、
電子の力がなかったら、バスケットを始めるか?
そんなことはないだろう。
日本人はTOO SHY SHY BOY!なのである。
勝手に地域コミュニティが出来るわけがない。
実は、そんなこと、厚生労働省の優秀な役人ならわかっているはず。
支援が必要な人も、支援が出来そうな人も、必要性を感じていない。
まあ、特に支援が出来そうな人が必要性を感じていないのだけど、
その代わりとして、福祉職を投入するか、検討しているのである。
『互助』『共助』は、社会が必要としているけど、
助け合うということは、助けられたという実績が必要だけど、
今の、高齢者を見ていると、既に、地域コミュニティとか、
助け合いが崩壊しつつある方が増えているように思える。
戦後、オトナであった明治大正生まれの方は、
焼け野原で助け合って生きてきただろう。
与えてきたから、与えられる。
既に、戦後まだ、幼い(や、自立していない)世代は、
地域ぐるみで何かをやっていった実績が少ない。
やらなくても、死ななかったからかね?
今から、
『必要性を感じていない、与え合いにならない、
地域コミュニティを作っていく』って凄い違和感がある。
生きていくために必要なコミュニティの構築は、
高齢者も、街の人も、生きていくという動機付けや目的が必要である。
こいつをブレイクスルーするのは、どうしたらいい?
これを実践できる奴が、
介護業界でも重宝されるんだろう。
と思う。
●●●●●●●●●●●●●●●●●●
非常に、まとまりに欠け、結論ないですね~。
酷い。酷い。
じゃあ、NPOにそのノリを求めるのか?
なんだか違う。
小規模多機能が一番近そうなんだけど、
それだけだと足りない。
もちろん、
医療・保健・福祉だけじゃ、足りない。
もう少しで行き着きそうなんだけどね~。
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