認知症ケアを行っている介護士に思うこと。 | 最新福祉脳!?夢想転生

認知症ケアを行っている介護士に思うこと。

部屋から出て、空を見る。
僕と空の間には、いくつものビルがある。
そういえば、50年前までは僕と空の間には、
空と地平の間があったのだけど。
ニンゲンは、空と地平の間にも、
ヒトを住まわせるような存在になったようで、
東京は、ニンゲンの生活をより
3次元で表現しているのだと思う。

僕の住んでいるところは、
東京都文京区。
ビルが立ち並ぶ住宅地を、
もしも神様の目線から見るとしたら、
そこには、トンデモナイ密度で、
認知症の方がいるだろう。

その人たちが街に出るとしたら、
トンデモナイ人数の道に迷うであろうヒトが、
現れるであろう。

街を歩いていると、
地方に比べて比較的、
認知症のかたを見かけるわけだけど、
それでも、
この街の認知症の人はどこかに
行ってしまっているようだ。

現在、認知症介護業界(笑)
ニッチな介護業界の中では、
非常にメジャーな分野ですね。
無責任に日々、教えられるものは、
認知症の基本と、対処方法。

または、
『寄り添うケア』

・・・

この(未熟な)業界にいる僕らは、
大器晩成を信じて、
日々、確実なものを積み上げていく
という努力をしなくてはならない。

現在は、認知症ケアのイノベーターたちが、
節操のない模倣者に知的財産を食われている状態。
こういうのを自由競争って言わないよね。

知的財産権を侵害することをどうも思わない、
(こんな言い方は好きではないが、適切な表現が見当たらないので)
中国の模倣のような個人や節操のない企業。
そして、膨大なノウハウを持った大企業。

以下、ヒポクラテスの誓い。
●師の子孫を自身の兄弟のように見て、
彼らが学ばんとすれば報酬なしにこの術を教える。
●著作や講義その他あらゆる方法で、
医術の知識を師や自らの息子、
また、医の規則に則って誓約で
結ばれている弟子達に分かち与え、
それ以外の誰にも与えない

というものが、介護にもない限り、
薄汚れたネズミどもが良貨を駆逐するのである。

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そもそも、認知症ケアの世界は、『外側からわからない脳みそ』で行われている活動のうち、『外側からわからない細胞が壊死している脳みそ』で出来ない活動を知り、そのために難しくなっている行動を支援する。

わけですけど、

そもそも、『脳細胞が壊死していなくても外側から見えない』普通の脳の活動すら、科学的にわかっていないわけですから、『日常生活を営むことが出来る思考・行動・感情』と、『病気によって日常生活が困難になったときの思考・行動・感情』の、ギャップがわかり辛いわけですね。

ギャップがわかりづらいということは、ケアの根拠を取り辛いということになります。すると、
認知症ケアを行うにあたり、必要なことは、『根拠があるアセスメント』『脳の活動』『病気の理解(解剖・生理・病理・・・場合により、生化、薬理・・・)』なわけで、精神科医のルーキー程度の知識が必要になります。

・・・
まあ、無理ですよね。

すると、少なくとも、このような姿勢が必要になりますね。『その人の問題を、自分の問題として考える習慣』です。共感的理解とか、当事者意識とか、いいますね。

どこかに行ってしまう高齢者。

『どこかに行ってしまう、じゃなくて、どこに行こうと思っているのかな?でしょ?』みたいなね。ご本人に起こっている問題について、自分に起こっている問題として、考え、解決していくということですね。

認知症ケアをきちんと続けていくというのは、非常に訓練された状態になります。毎日、毎日、自分の頭の中にない、問題Xについて、解を見つけていくわけですね。アウトプットのみを頼りに、ブラックボックスに手を突っ込んで、インプットを逆引きしていく。よっぽど大変ですからね。

毎日きちんとやると、『問題解決能力』は異常に高まります。これは、僕がその経験を持って実感していますから、正しいと思われます。(対処ばかりしている人には、身につかないことだと思います)

これは、対人援助技術だけではなく、幅広い分野(特に日常生活を営むのに必要な)の問題を解決できる人材が作られます。認知症介護を行っている介護職員を見ていると、どうやら2つのタイプに分けられそうです。

『問題解決能力が高い人材』
『いつまでも対処をして困っている人材』

前者は概ね問題を解決していきますからね、基本的な認知症に対する知識などは、身についており、なお、血の通った問題解決(ケア)が出来るわけですね。後者はいつまでたっても、『認知症の対処法を教えてください』と言って来るわけです。

ちなみに、まだまだ、『認知症セミナー』では、対処法なんかが売れるみたいですね。事前アンケートなどを取ると、『このような症状の対処法を教えてください』なんて書かれています。もうね、『介護職、頭、使わない病』ですよ。んで、それを助長するのは、講師なのか、組織なのか、育った環境なのか。

『問題解決能力が高い』ニンゲンは、『対処しかしない』ニンゲンと比べ、どのようなことが起こるか。『対処しかしない』ニンゲンから見ると、『問題を解決しようとしている』ニンゲンが何をやっているのか、理解できません。問題を解決するためには、論理の階段をいくつか作らないといけません。『AならばB』という短絡的な思考は誰にでも取れます。『AならばB、BならばC、CならばD、DならばE・・・』といった具合で、かつ、『AならばB、BならばCだけど、そうでない場合C'・・・』といった具合。思考が重層です。

つまり、『対処しかしない』人間が出す答えBに対し、『問題を解決しようとしている』ニンゲンが出す、EないしE'という答えは、理解されないでしょう。

されないが故に、例えば『介護保険法の縛り』の外側から問題を解決しようとします。今の組織をはるかに越えて、問題解決を持ってきます。非常に思考がフリーで、広く、社会に有用な人物に育つ可能性があります。

重厚な思考になればなるほど、素人との思考の乖離が出てきます。問題解決に長けた人材(プロフェッショナル)ほど、素人の集団にはひょっとしたら、優遇されず、スポイルされてしまうこともあるでしょう。

言葉を持っている人が、言葉を持っていない人に、です。これは、業界において大きな損失ですね。重厚な思考が言葉になるということは、その人材は、物事を一般化、抽象化することに長けてきます。どのようなポストについても、問題を解決することが出来ますね。

よく物事を考え、人と違う行動をとり、問題を具体的に解決するという結果を出す人物。こういった人物は『大器晩成』なわけですが、勝手に晩成するわけではなく、日々の確かな仕事を進めることで、ようやく時代がついてくるってほうが正しいのかもしれませんね。

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思考を言葉にすること。
これ自身は、僕が僕であるために必要なことですね。中途半端な言葉をいかにもわかったように使うのではなく、下手でもわかるということにチャレンジしていかないと、結局何も手に入らないのだと思います。

相手にわかったつもりにさせて、悦に入るのは、小説家ですね。小説家には、リアルな人生の支援をすることは出来ません。(今の業界では大丈夫かもしれないですけど、それ自身は害でしかないですね)

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