ああ、在宅コメディカル~24年度法改正 | 最新福祉脳!?夢想転生

ああ、在宅コメディカル~24年度法改正

平成24年度に行われる、介護・医療の同時改定で、厚生労働省は何を言いたいのか?
僕には、このように聞こえるのである。

『おいおい。もっと、医療職(というよりもコメディカル)。
病院の中にいないで外に出なさい。』と。

現在日本では、病院死が望めない状況である。

ダレも望んでいないだろうって?そんなことはない、病院内で手厚く、死を迎えることが出来るのであれば、それを望む人は多いはずである。現に、病院で亡くなる人が少ない時代には、看護師も死に向かう人へ、白衣の天使のような関わりをしていたわけで、決して現在のような孤独な病院死というものはそれほどなかったのだと考えられる。一部では、『老人病院』といわれた、『あそこに入院すると死ぬ!』といわれる病院もあっただろうけど、そんなひどい病院ばかりだったとは考えられない。そして、もちろんの事だけど、病院死の中には、万が一でも生きながらえる希望にもあふれている。もちろん、生きながらえるとは、生きながらえた後に続く、人間としての栄光の日々を復権する事である。管つながれて、『はい、呼吸しているでしょ?生きているんだよ~』という生き方ではない。

実際に、日本の病院死は昭和25年から増え続けた。
それは医療従事者の血と汗の結晶であり、病気と戦ったドラマである。
そして、人類はある程度の病気と戦って、一応の成果を修めたのである。

すると今度は、軽微な病気ならば入院しないで、きちんと永らえる事が出来るようになった。
その結果、人間は、『老化』と戦う事になった。
しかし、老化には勝てない。

年老いて病に付した人を、病院から出すことが出来ない。それは人道的に許されない事だ。と、医療を志したものは思うのである。その結果、病院では死を迎える人が多くなり、病院を建てたときにそもそも思っていた良質な医療を提供できなくなってきた。看護師の人員配置も少なく、死を迎える人は1人で孤独に、病室で白い天井を見ながらその命を終えていたのである。

現在の、グループホームの重度化の状況にも似ている。

もちろん、現在の病院の存在意義というのは、変わった。
年寄りが増えすぎて、社会環境が変化したときに、
存在意義を変えた、とでも言おうか。特に大学病院なんかは、もろに。である。
『急性期医療をするのが病院です』ってな。

存在意義を変えてまで生き残るってのは、崩壊そのものである。
病院って名前を変えたほうがまだ良い。
『治療屋』でいいんじゃない?


これらの現象を、『10年後の読みが甘い』といってしまってはそれまでだが、
現在は、過去のそれぞれの想いから成り立っている。
60年間在宅介護をしてきた当社からすれば、何を今更。なのだけれど。
ようやく本気で在宅死を考えなくてはならない時期になったのだと思う。

もちろん、厚生労働省が、『在宅看取りの介護家政婦』の
締め付けまで行った歴史は、失政なのである。

余談であるが、先日、
『飯塚さん、在宅の訪問看護師を使ったら、24時間で192,000円払いました。半月付き添ってもらって、288万円です。さすがにこれでは破産してしまいますので、どうにかしてください。』って、払えるほうも払えるほうだけど、請求するほうも請求するほうだよな。いくら1時間8000円とはいえ、ひどい商売だよな。(と、僕は思うんだけど、請求しているほうは、そう思わないんだろうな。)

いずれにせよ、
在宅死を支えるために、

医療保険と、
介護保険と、
自費を使って支えていかねばならない。
そんな時代に突入した。

んで、
訪問診療をする医師も増えている。
若い兄ちゃん先生も、増えている。
もちろん、
在宅を支える生活上の拠点である小規模多機能型居宅介護が機能し始めた。

まあ、
介護保険が始まって、居宅介護支援事業所ができ、
ケアマネジメントというものも、認知されてきている。

その在宅を支える人材の中で、どうにも、
波に乗れていないというか、
元気がないけど、
政治力だけ振りかざしているような、
集団がコメディカルなのである。
・・・情けない。

元気がない、のは、
いわゆる訪問看護や、訪問リハビリなのである。

その必要性は十分に理解がなされている。

在宅で療養中の方には、看護師がいてくれたら心強い事だろう。
入院明けで、急性期リハビリと維持期リハビリの間にいるであろう方には、
より個別性の高いリハビリを求める人もいるだろう。

しかしながら、在宅で活躍する看護師やセラピストがいない(少ない)。
介護保険が始まってから延々と言われ続けてきた事である。

つまり、
在宅生活の継続をするにあたり、
生活支援の一翼を介護専門職が担っている中で、
療養の支援の担い手がいないという状況なんです。
これじゃあ、飛べない。

何故か?
『病院のほうが楽に稼げるから』
でしょう。

そんなわけで、
いくつかの『在宅で稼げるメニュー』をコメディカル用に作りました。
①24時間定時巡回・随時訪問 看護
②訪問看護+小規模多機能型居宅介護
(it's NEW!)
③訪問介護と、セラピストが協働してアセスメントをしたよ、加算

厚生労働省、苦肉の策!
コメディカル、飛びついてくれないかな?大作戦。
お金がない中で、ちょっとだけお小遣い上げるから、よろしく!

って、
厚生労働省の役人も浅はかに見誤っていると思うんです。
看護師やセラピストは、もっと、お金が大事なので、
この小銭には飛びつかないという事実です。
これに飛びつくのは、スーパー専門職ではなく、
金のない起業家くらいだと思います。
このやり方は、毎度の事ですけど、現場の専門性を低下させます。

もしも、本気で在宅生活にコメディカルの力を投入したいと思うのならば、

僕から言わせれば、
病院から死に掛けた人を追い出すような政策を取ることせずに、
それより先に、
病院から寝ぼけた専門職を追い出したほうがいいのではないかと、思うんです。

それをしないのは、袖の下を払ってくれる医師会の力が怖いのか?
若しくは、コメディカルの能力を本気で在宅に投入しようとは思っていない。
このどちらかだと推測されます。

もちろん、
後者でしょうけど。

・・・厚生労働省が信用するのは、
同じ学閥か、目立っている(スピーカー)人か、バカな学者くらいでしょ?
中半端にやっているところには、所詮、お小遣いなんだよな。

介護保険財源をチョコチョコとパーテーションするような政策。
小銭を拾おうとする事業者団体。
平成12年から3年ごとに起きる三文ドラマ。
渡る世間は鬼ばかりのようにレギュラー化している会議のコメンテーター。

それに付き合うのは、
東スポのように書く飯塚でした。
おしまい。


読者登録してね

さて、そろそろ、出揃ってきたから、
訪問介護がどうなるか?書いていこうか?
この後、グループホーム、小規模多機能って続いていくからね。
給付費分科会。
何でも文化祭。
うん。
語呂が似ている。
応援よろしく!ぽちっとな!
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村