『認知症ケア』教育の位相について考える。 | 最新福祉脳!?夢想転生

『認知症ケア』教育の位相について考える。

認知症介護実践者研修であったり、
認知症ケア学会であったり、
昨今の認知症ケア事情については、大盛り上がりだと、言えよう。

介護職たちは、最先端の認知症ケアを手に入れようと必死に参加する。
非常にいいことである。

ところが、参加してみると、少しおかしな状況に気がつくのである。
『現場で行うこととのミスマッチ』がそこに存在するのだ。

『地域に出よう!』なんて、言われて、意気揚々と事業所に帰って、
提案したら『人がいません』と、ピシャリ!やられる介護職。
『地域祭りをやりました!』といわれて、
『へぇ?それがどうかした?』なんて思う介護職。

この背景には、事業の環境のミスマッチがある。

専門学校や、ヘルパー2級の講座で生徒に教える認知症ケア。
在宅実習に出した時に、生徒が言う言葉は、
『理想と現実は違います。』
である。

僕は、理想と現実が違うのではなく、
『事業が違うから、本人にとってミスマッチである』
と答える。

まあ、それもそのはず。認知症ケアの歴史を紐解いてみよう。

数十年前の認知症ケア。
そりゃあ、まあ、すさまじいことになっていた。
らしい。

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「photo田邊順一」

全ての人は同じ格好をしていたり、

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「photo田邊順一」

部屋でとんでもないから廊下で寝ていただいたり、

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「photo田邊順一」

布団と穴の部屋だったり。

終の棲家がこのような場所ではよろしくない。
と、沢山の人が活動を起こした。

特別養護老人ホームから、その活動は始まったのだろう。
療養病棟の酷さに絶望し、立ち上がったのだろう。

『認知症の人を看る』という視点から、
『認知症の人が生活することを支援する。』という視点に変えた。
そういったスタッフの教育があった。
また、グループホームという仕組みを作って、
ご本人の声を聞いていこうという、行政の姿勢があった。
在宅では、ご本人支援のために、ご家族の声を聞こうという、
介護保険外の動きが、NPO法人を中心に起こった。
地域の働きを喚起する為に、認知症サポーターなどの活動があった。
在宅でも柔軟に即時性を持って働きかける、
小規模多機能型居宅介護の制度化が行われた。

僕は、グループホームは、既存介護施設のケアの臨界点を、
仕組みで解決しようとした。と思っている。
介護職の奮闘もあるだろうが、行政の勝利だとも言える。
だから、グループホームと介護施設のケアを、
同じ位相で比較するのは間違いだと思う。
グループホームにはグループホームの個別ケアが。
介護施設には、介護施設の、数の論理と、集団援助技術や互助の素晴らしさが、
あるはずである。

小規模多機能型居宅介護は、既存在宅サービスの臨界点を、
仕組みで解決しようとした。と思っている。
これも、行政の勝利。
鼻息荒く、『小規模多機能は居宅サービスが展開する認知症ケアより柔軟で即時性を持つ』
と息巻いたところであまり意味がない。

勿論、小規模多機能型居宅介護の実地教育で
ピンボケな講義が行われている現状もあるんだけど。

仕組みで解決しようとしたんだから、
認知症の人にいいサービスができることは、当たり前なのである。
それまでの臨界点を超える為に作られたのだから。

それぞれの事業によって、『認知症ケア』を提供する環境が違う。
これは、仕組みの問題としてしょうがないことである。

3:1(+1)と、
3:1の違いは、非常に大きい。
利用者9人と、25人の違いも、非常に大きい。

1:1の訪問介護では、利用者同士の互助を取りにくい。
また、接する時間が短すぎる。
特別養護老人ホームでは、人員配置が少ないことによって、
地域に出る介護を実現しづらい。
グループホームでは、時間帯によって2:9の配置になり、
これもまた、スタッフの配分をしづらい。

現在の最先端の認知症ケアの有り方のキーワードは、
『地域で支える』である。

地域支援の最先端は、地域包括支援センターだろうか?
小規模多機能型居宅介護だろうか?
はたまた、居宅介護支援事業所のケアマネジャーの働きであろうか?

現在の認知症ケアの質は、『対人業務』に依存している。
勿論、個人の資質もケアの質に影響するので、
個人的に学習していくことは大事である。

ところが、あなたが認知症ケアをするにあたり、
『猫の手も借りたい!』という状態に陥っているのだとしたら、
それは、もうすでに、個人的な学習で解決できる問題ではないのだろうか?
この場合は、チームケアを学んだほうがよろしいとの結論になるのではないだろうか?

以前、僕が行っている事業とは別の事業の方から、認知症ケアの最前線を学んだ。
とてもとても、最前線だとは感じなかった。
その方は、週に一度、皆で公園に行くことが最前線だと言い放った。
それが、地域支援だと。
勿論、上の白黒の写真から見たら最前線かもしれない。

でも、それは僕にとって最前線ではない。

その時の彼女のドヤ顔を見て、すごく悲しい思いをしたことを覚えている。

そろそろ、認知症ケアの最前線を語るにあたり、次の段階に来ているのではないか?
と思う。

それぞれの事業、人員配置ごとに、
出来うるベストの認知症ケアとはどのような状態なのだろうか?
と考えるステージになっているのではないだろうか?

つまり、
特別養護老人ホームが奏でる最先端の認知症ケア。
グループホームが奏でる最先端の認知症ケア。
居宅介護支援事業所が奏でる最先端の認知症ケア。
勿論、小規模多機能型居宅介護が奏でる最先端の認知症ケア。

それぞれが、それぞれに、出来る、
最先端の認知症ケア実践を伝え合わないと、
不毛な議論になっていくのだ。と思う。

グループホームで実践している講師が、
特別養護老人ホームの職員に認知症ケアを語るのは、
余り意味がないこと。実践と学問のミスマッチが生じる。
出来ることに違いが有りすぎる。
学ぼうと思った職員が傷つくだけである。

僕は、それぞれの事業で出来る限りの最先端を伝えないと、
職員が疲弊したり、また、本来の能力を果たせないまま、
『これでいいや。』と思ったりするのだと思う。

重ねて言うが、現在の認知症ケアは、『人の手に依存している』状況であるから、
人員配置等、環境に応じて、教育を施す事が必要なのではないかと、感じている。

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ちゅうことで、認知症ケアも同様。

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