言葉について思うこと | ご機嫌さんスタイル〜もうすぐ60代シングル〜

ご機嫌さんスタイル〜もうすぐ60代シングル〜

好きなおしゃれをして、ジェムトリートメントでリラックス、そしてお顔をセルフでリフトアップしてご機嫌さんな毎日。

今日はあたたかく、


風の強い一日だそうで。



先ほど、フェイスブックを


眺めていたら、


知人のつぶやきが


目にとまった。


彼女は


教育を海外で受けており、


日本語、英語、ドイツ語の


トライリンガルである。


その彼女が、


こうつぶやいている。


日本語で話すときは


相手がわかってくれるだろうという


仮定で話すので、


言いたいことの80%を話せば


わかってもらえるらしいけれど、


英語だと「わかってもらえないかもしれない」


という仮定で話すので、


100%言わないと相手に伝わらない。


ドイツ語の場合は、


「反論されるかもしれない」と


仮定して話すので、


言いたいことの120%話してちょうどいい感じ。


なのだそうだ。


このつぶやきを読んで


思い出したことがある。


わたしは20代の終わりに


10か月ほど、


アメリカで過ごしたことがある。


その時は、英語を勉強することに


必死だった。


なにせ、渡米する時の


飛行機の中で


CAさんに食事の際に


「チキンとビーフどっちがいいですか?」


と英語で聞かれたときに


まったく聞きとれず、


泣きそうになり


引き返せない飛行機の中で


「帰りたい」と


思ったほどの英語力だったのだ。


そんなわたしだったので、


ホームステイ先の家族や


学校の先生と話したりするときは、


そのつたない英語力で、


どうにかして相手に


伝えることに必死だった。


少ないボキャブラリーを


駆使して、しどろもどろに


なりながらも話をした。


失礼だったり


不作法な


言葉使いがあっただろうけれど、


話をする相手は


それよりもわたしが


何を言っているのか、


何が言いたいのかを


じっと聞いてくれた。


そしてわたしは


日本に帰って来た。


わたしの母語は日本語だ。


だから英語のように


必死にならなくても


話せることは話せる。


でも、戻ってきて


痛烈に感じたのは


「日本語は不便だ」だった。



こんなことを言ったら、とか


こんな風にいったら角が立つかも、とか


行間や


空気や


流れを


読むことが先で、


自分の言いたいこと、


素直な気持ちや


考えは


二の次にしてしまっている。


もちろん、英語であっても


そういうことは


あるのだろうとは思う。


思うけれども、


日本語と英語の


成り立ちの違いや、


先ほどの知人の


つぶやきのように


“仮定”が違うのだとしたら。


自分の言いたいことを


相手にきちんと届けられる


方法を、


言葉の選び方を


見つけるか、


作るか、


磨くのか、


いずれにせよ、


何らかの方法が


必要なのだなと思う。


そして


それ以前に


自分の気持こそ


くまなく照らして


見てみることが


必要なのだなと


自戒を込めて思う。