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初めての方は注意事項に目を通してからお読みください
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よく「何でもっと早くに気づかなかったのか」と言う人がいる。

だが、そんなの無理に決まってる。

そんな簡単に発達障害を見抜けるなら、その方法とやらを教えてくれよ。




例えば、結婚してから旦那がアスペルガーだと気づいた妻は、なぜ、付き合っている間に気づくことは出来なかったのか。

答えは簡単だ。

「発達障害」というものを知らなかったからだ。


知らなければ、どんなにおかしくても発達障害を選択肢に入れて考えない。

知ってる人が周りにいなければ、発達障害の可能性を指摘する人だっていない。

知らないと、知的にも身体的にも問題はないのに、「人と関われない」障害があるなんて、思いもしない。

知識としての発達障害と実際の印象は、意外と一致しないとも思う。


「こんなに酷いならなぜ気づかなかったのか」と言ってる人は、当事者をどれくらい見たことがあるだろうか。

発達障害は、言葉にするととんでもなくおかしな人間の印象があるが、実際は見た目に顕著なことは少ないと思う。

赤の他人が見て数分でわかるなら、相当重症だ。

発達障害の人も、理解していなくても表面ぐらいは真似ることが出来るから、せいぜいちょっと変わった人ぐらいだ。

全くわからない、寧ろ紳士や淑女に見えることだってある。

少しくらいおかしな面に遭遇しても、発達障害を知らなければ、定型間であるような現象と擦り合わせてしまうだろう。




例えば、ある人が約束を忘れていたとしても、一度だけなら定型は偶々だと解釈するかもしれない。

それが二度三度続くと、この人はいい加減だとか忘れっぽい人という認識になる。

さらに大事な場面でも約束を守らないと、信用できない人間だと感じ、怒ったり強く注意するだろう。

それでもすっぽかしが続くと、いよいよ精神疾患などを疑うか、ダメ人間の烙印を押すことになる。


本人の努力が足りないと思ってるうちは、何らかの障害だと思うこともないだろう。

この人と数回接しただけでADHDを疑うことが出来るのは、発達障害を知っている人だけである。




寡黙で動じないように見える人が、実は何を喋ればいいかわかっていないだけだと見抜けるだろうか。

いつも冷静な人が、本当は危険な状態に気づいていないのだとわかるだろうか。

正論を熱く語る人が、自分の悪行に盲目的な口先だけの人間だと気づけるのはいつだろうか。




そもそも、「障害」について知らないと、全て見た目でわかるものだと思っていないだろうか。

だから、診断済の当事者が「自分はアスペルガーです」と言っても、「全然そんな風には見えないですね」なんて言ったりする。


「そんな風」とはどんな風だ?

障害と言うと、見た目に奇妙奇天烈なものだとでも思っているのだろうか。

これこそが、発達障害がどういうものかわかっていない何よりの証拠だ。

一目見て、いや長年接してきてもわからない障害など、いくらでもある。

発達障害は、接する人間に知識と経験がなければ、全くわからないこともある。




では、夫のアスペルガーに気づけなかった妻は、そんなに経験が少なく無知だったのかと言えば、そうではないだろう。

発達障害の存在が社会に浸透するようになったのは、せいぜいここ10年~15年ぐらいだろう。

既にアラフォーを超える当事者は幼少期に診断はつかなかったし、周囲にもそういう認識はない。

となれば、この世代の当事者と人間関係が上手く行かなくても、それを障害と結びつけることは困難だ。

一般的な常識や教養を備えていても、発達障害には気づかないことは少なくないだろう。

今でも、発達障害を努力や創意工夫で治るものだと考える人がいるくらいなのだから、情報のない時代にそれを見極め被害を避けるのは難しい。

それは確かだと思う。


だが、妻は何も出来なかったのかというと、それは違うと言いたい。

発達障害には気づけなかったかもしれないが、小さな違和感に向き合っていたら、結婚は防げたかもしれないからだ。




結婚式の準備で異変を感じている人も多い。

日取りや招待客ほか、それに伴う事務的なことなど、話し合うことは多い。

だが、そもそも話し合いにならないとか。

プランナーの人に相談する時間にも遅れてきたり。

他人事という態度で、妻が指示しないと何もしなかったり。

式当日でさえ時間を守らなかったり、親戚に挨拶もしないとか。


特に、それらがなぜいけないのかわかっていなかったり、だから謝ることもしないとしたら、かなり発達障害の可能性が高い。




マニュアルがなかったり、指示されないないこと、話し合って自由に決められる類のことは、発達障害はほとんど出来ない。

だから、仕事が出来ても日常の雑事はてんでダメだったりする。


おかしいと思ったら引き返す、立ち止まる、有耶無耶にせず向き合うということが出来れば、発達障害を確信できなくても、相手の異常に気づくことは出来たはずだ。




もう結婚してしまった人、子どもが出来てしまった人に、そうすべきではなかったと言うつもりはない。

そんなことをしたところで何も解決しない。

もうしてしまった人は、それに対処してこれから自分が幸せになるだけだ。


俺も発達障害の親の元に生まれてしまったことは、もう変えられない。

だから、生まれてこなければ良かったと思ったことは、一度もない。


だが、これから子どもを作ろうとしている人は、それをやめることが出来る。

同じ不幸を繰り返さないで欲しい。




発達障害は治らない。

発達障害は遺伝する。

例え子が定型で生まれて来たとしても、因子は持つから子孫はずっと遺伝に怯える。

自覚のない発達障害は、親や配偶者という大人の役割は果たせない。

自覚のない発達障害の親は、その能力ゆえに必ず虐待する。


これらのことを重く受け止めて欲しい。




それでも発達障害を配偶者にするかどうかは、個人の自由だろう。

だが、親になれない人間が子どもを作るべきではない。

どれだけ地獄か、経験者から学んで欲しい。


俺は、発達障害と付き合う人が同じ過ちを繰り返し、同じ悲劇を生まないことを願うだけだ。