私はとても軽はずみな人間だ 。
人はそれを“勇気”というのかもしれない。
「どんな仕事も苦労するなら、少しでも好きなことを仕事にしたい。」
そんな気持ちで声優になり、なんと仕事をいただき17年間活動することができた。
軽はずみでも本気で闘った日々だった。
そして、お世話になった劇団と事務所を辞めてから4年目の今、またナレーションができる環境にいようとしている。
何故だろう。
すべてを諦めて飛び出たはずなのに…。
それは、私にできることで大切な人の役に立ちたいと思うから、かな。
小さい頃、嫌いだった自分の「声」
「嫌いと思えるほど他と違うんだったら、それを利用できるんじゃないか。」
そんな思いで憧れの世界に飛び込んだ。
飛び込めた。
声優・俳優16年目。
あるきっかけで急性吃音症になった(らしい)ときも、仕事をしながら、環境を変えながら治していった。
それまでも自分の限界は感じていた。
でも、諦めたくなかった。
私の中ではお決まりの「捨て身」精神で、最後の一年を試していった。
そして訪れたコロナウィルスの流行。
仕事がゼロになり、17年ぶりに「いつ仕事が入ってもいいように準備する」ことから解放されてみたら…
声優人生を「想い出にできる」と思えた。
好き勝手に、自分のためだけに歩んできた人生をやめて、一般人を経験したいと思った。
17年も所属して辞める人間は、今だかつていなかっただろう。
でも、当たり前の人生は生きたくない。
これは私の性分なんだと思う。
私がナレーションをさせてもらった「日清カップヌードルミュージアム」内にある展示で、いまでも心に残っている言葉がある。
「今日の非常識が明日の常識になるときがくる」
いままで当たり前にしていた自分の思考もひっくり返して、いまここにいる。
そんな私の非常識な発想で、誰かのビジネスを好転させられたらと思っている。
いままで生きてきたすべてを使って、誰かを笑顔にできるよう力を尽くしたい。
偽善かな…。
いや、それだけではないと思う。
私の周りにいる人が笑顔になれば、私も笑顔になれるから。
また、こちらで何かをつぶやかせていただけたら幸いです。
よろしくお願いします