私は土佐といっても市内からはずれた神田という場所で生まれ育ちました。
幕末、後藤象二郎に目をかけられて、土佐の脱藩者を追いかけてつかまえるように
命じられた頃の一時期の 岩崎弥太郎が住んでいた神田村です。
今私は住んでいないのですが、高知市内にくらべて確かに田舎でした。
龍馬伝などで岩崎弥太郎は関係者がクレームを呈すほど貧乏くさい描写に
されていましたが、郷士でさえ差別される土佐藩ではより土着者である地下郎や百姓はもっとないがしろ
にされていたと思います。
その岩崎弥太郎が明治以降つくった三菱会社の末裔が、三菱財閥をつくり
第二次世界大戦中は三菱重工を中心に軍事兵器を作っていたことは周知のとおりです。
といいながら、私も三菱に対して最近までは兵器より 鉛筆のイメージのほうが強かったです。多くの
人たちがそうじゃないでしょうか?
戦後財閥解体の憂き目にあい、力を分割されたとはいえ
三菱が昨今の外交的軍事的状況をみていることは間違いないと思います。