東神奈川の建設現場は、会社から歩いて10分とかかりません。


よって、物件を見に行くときは、S部長代理と連れ立って、2人仲良くテクテクと歩いていきます。


そのときの世間話が、色々と勉強になります。


何せ、話のお相手は1級建築士ですから・・・。






S 「Tさん。賃貸営業としては『引き戸が良い』って言ってたじゃないですか・・・」


T 「はい。その方がスペースが上手く使えるんです。入居者にとってはありがたいんですよ」


※これを解説するとこうなります。


間取

※こういう間取のとき、普通のドア(開き片とびら)ですと、キッチン側にも居室側にも空けたときじゃまなんですよね。


※こういう場合、引き戸はありがたいんです。居室に何を置こうがぶつかりません。


※それを、打合せのときに発言したのです。「建築設計やリフォームを行なうときには、このような観点もありますので、リーシング(賃貸営業)の意見を加えて、入居者の使い勝手の良い物件にしていきましょう」と言ってたわけです。








S 「リーシングの観点から『引き戸』という要望はわかります。しかし、建築の立場からだと逆なんですよ」


T 「はあ」


S 「あれは、現場泣かせなんです」


T 「難しいんですか?」


S 「はい(深い頷き)。うちの次男が買ったマンション、あそこも引き戸だったじゃないですか」


T 「はいはい、覚えています。」


S 「初めて内見したときは、開閉がスムーズじゃなったし、上部に若干の隙間ができてたんですよね」


T 「そうなんですよ。あれ『直らないかも・・・』って次男さんには言ってまして、でも、直ってましたよね」


S 「仮に下で2mmのずれがあったなら、上部では倍の4mmのずれになるんですね。その枚数が2枚なら8mm、1㎝近くずれるんですよ」


T 「そういえば、新築のマンションでも押入れの襖や障子は少し隙間があって、『直して』って言って修理してもらっても完璧にはならなかったですねぇ」


S 「それに比べたなら、ドアは凄くラクなんです」


T 「なるほど。引き戸は職人さんが大変なんですね。っていうかチェックする監督さんも大変ですね」


S 「はい、監督さんは大変です。次男は、あそこまで直ってたのに不満があったみたいでねぇ」


T 「買主は、誰だって完璧な状態を手に入れたいですよ。特に新築を購入する場合は、それが『当然』って思ってますよね」


S 「ホントそうなんです」


T 「次男さんも、建物は中古でも、室内フルリフォームですからねぇ」


S 「父親が1級建築士で、その父親が『上出来だよ』って言っても『でも』みたいな顔してましてね」


T 「じゃあ、普通のユーザーなら、誤魔化してなどないのに、『誤魔化さないで!』とか『なに、そっちの都合が良くなるような説明ばかりしているの!』って、なりそうですよね」


S 「はい」


T 「売る側としての、説明ですからねえ。「これくらいはどうしても」とか「これでも上出来なんですよ」と言っても、それが『客観的な事実』だという証明にならない・・・」


S 「そこに、第3者機関を立ち合わせても・・・」


T 「一度猜疑心が芽生えると、その第3者を『第3者』と信じてもらうのには・・・難しいでしょうねぇ。『あなたたちグルなんじゃない』ぐらい言われそうですね」


S 「身内の言葉でさえ、信じてもらえるの、ホントやっとですからね」


T 「これって、あと付けの説明じゃ、絶対に納得しないんじゃないですか。そうなってからの説明ではなく、そういうものなのだというレクチャーを前もってやらないと・・・」


S 「ですね」


T 「前説明が、重要なんだなあ・・・」


S 「だから、Tさんの東神奈川の工事の現場ブログ。イイと思いますよ。職人(下請)が作業をし、それを現場監督がチェックし、公的な確認検査が入る、という通常にプラスして、Tさんの眼と私の眼が加わって、後でコンクリートを流したなら、壊さない限り見えない部分を、今こうして見て、やがてオーナーになる人は、この経緯を見れるんですから」





ほめられちゃったTでした。










あとで説明する。

苦情を受けてから、解説する。


お客様は「本当の解説」なのか、はたまた「言い訳」なのかは、区別はできません。


いえ、きっと言い訳を言っているとしか思えないことでしょう。






先手を打つべきところには打っておく。


ビジネスの要諦なのかも知れません。








我が社のトイレのカレンダーには、大変ためになる一言があります。


月間のカレンダーです。


今月は「自分は間違っていないと思う独善が対立や争いとなる」です。


村上工務店さんのカレンダーです。ありがとうございます。


この一言は、自分に言っているようで、耳が痛いです。


気をつけるようにします。






まだ誰にも「君のための一言」といわれてないので、先手を打ちました。


これで「自覚はある」という証明になることでしょう。