日記の更新忘れてました。
はい。ADDらしいね!
前回までのあらすじ
ADDを診断されて、全ての自責の根源がとれたので、とにかく好きな事やってみようとトライ
病院勤務から訪問看護へ転職。
↓
その後
↓
まぁ適職です
ストレスフリーに近い。
そして、健常発達の方々が次々辞めてきます。
↑この二つで判断するのは不適切ですが、敢えて表現します。なぜなら、健常と障害という2種類だけで分ける事自体が不適切だと読んでると感じてもらえやすいと思うので。
自立的に日々鍛錬する事を必要とされ、トラブルに臨機応変に、責任を負わされるというのは一般的にキツイ仕事っぽいです。
が、
まぁ私はADDなのでサバイバル能力だけ無駄に備わり(平和な時はポンコツ)
好きな事は寝食忘れて没頭できちゃう症状なので。
チームワークとなるとびくびくおどおどですが
自分に裁量任されて修正可能なのは有難いわけです
理想と信念に燃える健常発達の方はこの頑張りを評価しフォローしてくれるので、私もそうした仲間の力になりたいと思います。
理想と信念とかどーでもいい生活を犠牲にしたくない健常発達の方はこんなんじゃ体力精神力持たない、と言い次々離れていきます。
それが善悪、優劣でもなく、ADDの私が同じ理由で一般的なホワイト企業を転職したように適材適所なのだと思う。
ADDという診断を受け入れようとPCで必死に希望を探してた時、偉人もADHDだ、ADHDだけど社長、みたいな記事が多く、普通のADDの生活ってなかった。
多動だからそこまでいけたのでは…ADDって大成もせずポンコツなだけでは…私は普通に暮らしていけるのだろうか、未来はあるのだろうか、と不安になりました。
でも実際やってみて
「えーと…ADDだけど普通に正社員で働けてます。」
おそらく、よっぽど転落か成功でもなければコンテンツとしておもしろくないのでしょう。
普通の生活、普通の仕事を遂行する事は可能だけど、あえてブログや本に書くほどではありません。
なんなら、ADDは三日坊主の天才なので、
実生活がなんとかなってるADDがブログ書こうと思わなそうだし、更新も途切れるだろう。
よって、ネットや本にこうした普通、の情報は少ないのかと。
もしADDの人が普通の生活をするなら、↓の障害認知は役に立つかもしれません。
①私は好きな事しかできない。
それはADDに与えられた唯一のギフトなので、やるしかないんだろうなぁと思う。
②私はかけている。
ミスのない自分を目指すのは諦めてミスをする前提でプランを。ミスは全て書きだして全て対策を立てること、それでと欠けるリスクは委託し、自分をフォローしてくれる人へ最大の敬意と感謝と関係作りを。
③ 大事なのはバランス
躁鬱みたいなジェットコースターだけど、まぁそれも個性。笑
ただ、欠けてる人はつけこまれやすいです。親切な人だと思ったらただマウンティングされてただけだったり、サポートを率先してくれる人が単に共依存なだけだったり。
マウンティングしていなければ自分を保てない人、共依存しなくては自分を保てない人、そうした人もADDと似た、傷を持っている適応障害者です。
そうした人を罵倒や拒絶や依存するのではなく
私okあなたもokのいい距離でい続ける強さを。
協力してくれた事実は事実で感謝。でも盲目的に全てを流される必要もありません。
社会生活を可能にするとしたらその3点かな、と。
ADD模索の途中経過、でした