希望の牧場のちび太たちにバナナとチモシーを持っていきました。(肺炎に良い)













立てない牛、いました。
400頭の中で、喰い負けした牛



傍にいてほしいと訴え、顔が付いてくる














 寂しい













 心細い

よね。

死を感じてたら、
誰かにずっと傍に、いてほしいよね…。













一人で見知らぬところへ行くのは、不安
それに体が重いし、苦しい

よね。













 












吉沢姉さんが水を汲み、与えると最初の一杯だけ飲みました

…でも、それだけ。

衰弱しています。



多くの牛を抱える現場では、他の99%を守るために一頭にあまり多くの時間は割けない

たまたま立ち寄った部外者は何も言えない

自分でついててやることもできない無能さが悔しい



せめて、と掃除の後
血流が悪くなってそうな脚を中心に、背中、汚れがこびり付いたお尻をさすりました
もっと、もっと、と言っているように見えるので更にさすりました













乾草の中から柔らかめの細い草を選んで口の前に置くと、












がさごそ…と口を付け、

ごきゅ、
ごきゅ、

と噛む音が響き始めました

大きな音でした

噛む力も弱まってるようです














どれほどこのような牛たちを見てきたか
吉沢姉さんは悟ったような顔をしていました


それでも食べ始めたのを見るとぱっと嬉しそうに破顔













更にお水を何倍も汲んできてあげてました

今までもこのように一喜一憂しながら世話して、看取ってきたのでしょう




…ごめんね

うんざりのせりふ
また、立ち去らなくてはならないなんて



「今年の冬まで持つか…」

帰り際、吉沢姉さんが言った言葉


自然界と異なる、人間の飼養管理下での厳しい弱肉強食

本来は起こり得なかった現象

原因を今更糾弾しても仕方ない

しかしそうせざるを得ない心境も当然


厳しい環境での取組みは続きます



これは、生かすことを選択したからこそ、存在し得たこと。

弱肉強食の中、それでも生きる命

見知った飼い主や仲間に看取られながら死ねる命

知らない柵の中、恐怖の絶頂で死ななくていい命

それに、価値がないと、誰に言えるでしょう。


恐怖からの自由欠乏からの自由
どちらも満たす方法、何があるでしょうか?

何ができるでしょうか?




私達は、農地保全という、Win-Win-Winの関係を築ける画期的でベストな取り組みを、
もっと多くの人に知ってほしいと思います。