昨日は大熊で

柵を作るための準備に立ち入りました。

4時に東京を出た時には雨が徐々に強くなっていったのですが、

大熊町に付いた時には霧のような小雨、そして曇りに。

なんて作業がしやすい!

夏は暑くて防護服の中がいつも蒸れますが、この日は非常に楽でした。

お父さんとお母さんと、メンバーで、4つの草刈り機と格闘。

ようやく一つが動きました。


何度もエンジンの紐を引っ張ったから、今日は腕が筋肉通です。…まだ若いかも。

ふるさとと心を守る友の会は、この農家さんのちび太をはじめ、牛の飼養管理業務を委託されています。

作業牛に、お父さんが山から下りてきた3頭を見つけました!
牛の姿でも見れば元気が出るのに、最近牛を見ないとずっとしょんぼりしていましたが、、、。
  さっすが!
誰もぼうぼうの草の中に埋もれた牛の姿を見つけられなかったのに、お父さんは見事発見。
急いで二人で山まで追いかけて行きました。

  途中で見失ってしまいましたが、きっと人間がごそごそ草刈りしていたから、気になって見に来たのでしょう。
  お父さんの嬉しそうな声と高揚したお顔に、こちらまでとっても嬉しくなってしまいました。


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ところは変わって、浪江町

先々週に引き続き、柵のポリワイヤーと黄色の紐の回収。
ようやく終わりました!

田んぼに生い茂る1.5~2mの高さの草のジャングルの中、蔓がからまった電線を回収するのは一苦労でした。大量の小さな虫、カマキリ、バッタ、蝶か蛾、黒いの、丸いの、、いろんな虫に出会いました。
元々は虫が近くにいると一々悲鳴を上げる程でしたが、もう慣れてきました。

牛が食べればこんなぼうぼうの草、一気になくなるのに…!と思いながらの黙々とした作業でした。
もう二度と、牛を入れずじまいで撤収しなくてはならない柵を生みたくないと思いました。



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更に場所は変わって、浪江町の別の地区



一週間前みなしご救援隊さんたちが柵作りを手伝ってくださった場所です。



きれいな花が咲く川の上の橋を渡り、林のような山道を数百メートル登っていくと…










一気に視界が開けます。




広い牧草地。


まるで

森の真ん中に広がる、隠れた秘密の草原のようです。



2月に渡部典一さんに案内していただいた際に見た光景の印象が強く、未だに神秘的な雰囲気に息をのむ瞬間があります。





↑ウィルコムの古い型の携帯で撮ったのであまり見えないかもしれませんが、牛が二頭こちらを見ていました。









一週間前みなしごさん男性陣、山本さん、渡部典一さんにお手伝い頂き作った柵です。
左に黄色の看板で注意を促しています。

草が伸びて電線と接触すると漏電してしまうのでチェックが必要です。



問題無し。

大丈夫でした。










これがゲートです。



もう牛が下におりてご近所の方々を驚かせないよう、

道路の左右の山奥までずっと伸びるような設計を渡部さんがして下さいました。











(ゴムで伸びるバンジーゲート。オレンジの取っ手がフックになっており、簡単に取り外して行き来ができるようになっています。子牛も逃げ出せないように上下二本設置)


以下は山本さんから7日に頂いた先週の写真です。ついでに載せてしまいます。

先週日曜、こんな風に脚立に乗って単管パイプを7メートルおきに地面に打ち込んで行きました。みなしごの男性陣、手際良いし力強いです。









柵完成時の記念撮影。田原さんが撮って下さったバージョンA 

(アナログなので、現像した写真を写メールで…。微妙に四角じゃないです)







記念写真 バージョンB 頑張った雄姿。







目の前の二本の電線を触って感電しているポーズは全員からにっこり却下されました。





みなしごのメンバーの○さんと、ちょっぴり雑談をしたとき、「魅力的なリーダーがいるから。」と誇らしげに語っていました。

犬猫以外の家畜についても動いて下さることについて、「犬猫ほど身近じゃないけど、ただ、あのリーダーが言うことだから(そうなんだ)。」というようなことを言っていました。中谷さんに対する絶対的な信頼を感じました。






行政が作った殺処分用の柵。





この柵が完成し、殺処分が始まる直前に、農家のSさんは安楽死処分を撤回しました。
ご近所さまの迷惑になるから、と同意しましたが、本当は殺したくない。
でも、一人ではどうしようもない…。
家族が離散してしまった被災者の方は本当に多く、外部の人間はその心境を僅かに推察するのみです。


ふるさと会はSさんの約30頭の飼養管理業務を委託されました。

子供が生まれ、現在は40頭程になっているかと思いますが、
彼らが冬を越すための餌を調達しなければなりません。
(よろしければ餌調達のご協力をお願いいたします。

※ 牛は乾燥した牧草を一頭あたり1日15キロ食べます。
冬季の2ヶ月だけで、60日×15キロ=900キロになります。

この地区の40頭分なので、40頭×900キロ=36000キロ

1個あたり200キロの「牧草ロール」に換算すると、180個になります。

他にふるさとと友の会で業務委託された頭数約20頭を入れると、54000キロ(ロール270個分)

和牛改良友の会170頭分で、約160000キロ(ロール約800個以上)

合計、330頭分で、297000キロ(ロール1000個以上)になります。



餌について考えながらの帰り道。



約30頭がこちらを見ていました。



誰だろう、

誰かな?



人が避難してから1年半も経っているので、
何度も来ていますが、まだまだ人間を警戒しています。



彼らを生かすためには、去勢もしなければなりません。

自然のまま生かすことができたら一番ですが、
人間と共生させるためには、人間の不安を取り去るための措置が必要になります。
雄の勢いを削ぎ、際限なく繁殖して管理ができなくなるのを予防するためです。

人間の都合で申し訳ないと思います。
しかし、今、彼らを生かすために、必要な措置だと考えます。

これから青草が無くなってくると、人間が与える餌での餌付けがし易くなります。
餌付けし、集め、去勢とマーキング、個体識別標の取り付けを行います。
個性に合わせ、名前を一頭一頭に付けたいと思います。



先週餌箱に置いてきた米ぬかとチモシーはきれいに無くなっていました。

震災前は人間に飼われていた牛の群れ。

3年でも5年でも、牛は賢いので、一度餌をあげた人のことを覚えていると業界の人に聞いたことがあります。
一頭一頭性格やくせが全然違うと農家に聞いてきました。

そして、昨年から接してきて、確かに違うと感じてきました。

殺処分柵にいたりんごちゃんなんて、怖いもの知らずでぐいぐい首を振って、カイテ、カイテと首の後ろを掻いてほしいとねだってくるし
硬そうな枯れ草、にんじん、小松菜、大根、ばなな(待ってられなくてばななの皮も!農薬塗られてるのに!)、危うくペン、カメラ、手、なんでも食べようとするし、(そのおかげか、みるみる体大きくなって前髪もカールに…)

ばななちゃんなんて、たてごが付いてる時は激痛の中で苦しんで怯えるだけだったのに、今はすっかり立派な角が伸びて元気にふんふん逞しくやってるし、でも、あ、そ、とあっち向くと、ちょっとな~に、ってまるで気にするかのように微妙に寄ってくるし、去勢したのに叫び声がバッファローみたいに遠くの山まで響いてカッコイイし

ちび太はちび太で人間にべったりあまあまで、かわい~角のちょっぽり生えた(伸びない)まあるい頭をくりくりすりつけてきて、かと思うといちごちゃんに毛づくろいされたら動きを止めてうっとりトリップするし

雑草を差し出した時、
私はそんなのいらないわよ、とツンとおすましする子と
とりあえず匂いだけ嗅いでみる子、
ふがふが食べる子
鼻から息を出して驚いたら勝ち誇ったような顔をする子
丸っきり無視して過ぎ去る子、

一頭一頭、確実に反応が違うし
痛みや感情があるし
計算や考え、そして行動がある。


私は牛について無知でした。

牛も豚も鶏も羊についても、無知でした。

家畜はいずれ人間が食べるために殺されるんだから、と、割り切り易くするためではないと思いますが

頭がいいとか、記憶力が高いとか、感情があるとか、綺麗好きな性質だとか、個性豊かだとか、痛みを感じるとか、涙を流すとか、怒るとか、拗ねるとか、(子供を亡くした時)鬱ぽく無気力になるとか、仲間思いだとか、人間のように社会的だとか、昭和の家庭みたいな序列があるとか(雌が上のことが多いけど)、群れ内で皆で雌と子供を守り育てるとか、おばあちゃんも頑張って授乳するとか、狭いとしっかりストレス溜まるとか、臆病なのに興味しんしんの小学生みたいだとか、一番の小学生が電線触ってぎゃーってなるとか

考えてもみないままでした。

そういう情報に触れる機会がなかっただけ、と言うこともできるかもしれません。
しかし、知った後は、もっと早くに知りたかった、知るべきだったと思いました。

日々食しているお肉や卵が、このような個性豊かで感情のある尊い命を犠牲にしていただけていること、
生きたいと生命なら誰でも思うはずの命を殺して、自分は生かせていただいていること 痛感したら、
「いただきます。」
「ごちそうさまでした。」
に、思いが強くこもるようになりました。

そして無駄にしたり、廃棄したりすることができなくなりました。

切り身の商品としてしか見ていないお肉、ドリンクとしてしか見ていない牛乳が、
一匹一匹性格を持った命を削って生まれた食べ物だと思うと、
ありがたいと思う意識抜きには手に取れなくなりました。

人間の為に死んだ命を大量廃棄することに強い抵抗を覚えるようになりました。

人のために犠牲になる命。

だからこそ、助けたい。
助けなくてはならないと感じます。


最初から最期まで、テイク・テイク・テイクばかりじゃ、アンバランスです。
せめて生きている間はその分大切にしよう、ギブを、少しでも。
と、福島の農家達は謙虚な考えを持って、家畜を家族のように大事に育ててきました。
欧州で家畜福祉と呼ばれる考え方です。
そんな名前つけなくても、日本人は「ありがたくいただきます」という自然や動物に対する感謝の文化がもともとあったと、個人的には、思っています。)

家族のように育ててきた。

だからこそ、災害時は真っ先に助けなくては、と皆思い、
家畜の避難だけが認められない中で、
警戒区域が設定されるまで自らの身の危険もかえりみず、必死に餌やりに通ってきました。
警戒区域が設定された後も、何とか助けたい、と頑張ってきました。

泣いて、喚いて、土下座して、お願いして…


1年半。

通いが可能となった場所での飼養管理は認められましたが、
まだまだ苦しい闘いは続いています。


罪の無い人と罪の無い命には、残酷なことをしない社会

人間の脳に「道徳」としてインプットされ続け形成されてきた、社会秩序を維持するために必要な最低限の「ルール」だと思います。

どうせ食べる命だったのだから、何しても良い。殺すしかない。
と、
どうせ食べる命だったからこそ、食べる必要が無くなったなら、無駄に殺さない。恩返しをする。殺す以外の道を探してみる。

後者
の方を、消費者である一般の国民は望んでいます。

欧米で浸透した家畜福祉の考えが日本に輸入されるのは10年後と言われていましたが、
(日本は先進国の中でかなり遅いそうです)
何もかわらないままだったら、今後またいつかどこかで災害が起きた時に、同じような悲劇が繰り返されるでしょう。
今回のような多くの涙と苦しみが、何一つ生かされないことになります。

本当は生かしたかったのに、強制的に家畜を奪われ、立ち入れないまま殺処分を自らのハンコで選択せざるを得なかった農家の悲憤・罪悪感・挫折感・無力感・絶望感を、再び多くの人が味わうのは…望ましくないと思います。

指示を履行しなければならない職員だって、苦痛を味わうことになるだろうと思います。
うろうろしていたら漬物を食べたり糞を落としたりいたずらする(させられることになったのですが存在とはいえ、自らの手で命を殺さねばならない、自らの目で殺処分現場を見なくてはならない。
…平気な人はどれほどいるでしょうか。

ただひたすらそれらの命を殺処分させる指示を出すのではなく、
国で率先して避難させるか、避難が無理なら囲い込んで生かす道を与えていれば、
心はだいぶ軽くなっていたと思えてなりません…。

納税者と消費者、皆の意識と良心のため、
そこまで家畜を大切に思っている農家の心と将来のため、
今の家畜を生かすことで、そ空間の存在そのもので、今後苦しむ命と人を減らせるだろうと思います。


―福島で、町の希望になる生かし方―

私達は、これを実現しようとしています。

迷惑かけないよう囲い込んで、農地を保全します。
日本の耕作放棄地解消&放牧の第一人者の落合一彦先生も、
農水省に「牛を殺すなんてもったいなさすぎる、農地をほぜんさせるべきだ」と提案してくださってきています。

本当にもったないのですよ、

だって、
家畜が農地をキレイにする威力、
ものすごいです!
速いし!
広い!

今避難している方の生家を大事にしたい気持ちも守り、
更にバイオ燃料を栽培する将来展望と希望と意欲をも生み出しています。

長い長い取り組みですが、頑張ります!

是非皆さま応援して下さい。

色々な形の応援、お待ちしています!



オマケ 
先週の動画貼り付け。
山本さんの牧場手伝い。牛を放牧したところとしていないところの農地の荒廃具合の差が激しい。

 



オマケのオマケ





新設されたスクリーニング会場にて防護服を脱いでいる途中。
今回も「基準の10分の1以下で全く問題ない数値」だそう。
圏外に放射性物質を持ちださない為+健康管理の為に、検査を続けます。