「で、先生はどんな資格をお持ちなんですか?」


こんな会話から挨拶が始まった。


「いやぁ~、別に資格なんてありません。高校生くらいからパソコンをいじっていたと言うくらいで…」


メガネを軽く持ち上げて、その女性は明らかに落胆したように言った。


「そうですか…」


彼女は日本女子大を出ていたが、就学中に発症したのだそうだ。

英語が堪能だと聞いていた。


僕は明らかに英語もできない…。


30代から50代までの女性9人の電算課は、こうしてスタートした。


電子編集は今ではごくごく当たり前だが、20年前は大手の新聞社が導入したばかりの頃だった。


それをいち早くとあるシステム会社が、ワープロでも編集可能なソフトを開発して、売れ筋となった。


これまで、和文タイプを導入していた彼女たちの仕事は一変したわけである。


触ったことのないキーボードに戸惑う人も多かった。


「先生! 大変です。私の入力した文字がどんどん消えていってしまいます~!」


「あのですね。これは画面から見えなくなるだけで、こうしてスクロールすると、ほら出てくるでしょ~」


と、こういった感じで日々が流れていったのである。


私のこころと身体はへとへとになっていった。


そんな時に事件は起きた。

「さぁ、始めようって電源入れたんだけど、ウンともスンとも…」


僕は、PCが壊れたと聞いて、取り急ぎビジネスパートナーのWebデザイナーの家に飛んできていた。


「とりあえずPCなきゃ仕事にならないでしょ~」

と、僕は自分のノートPCを取り出して彼に渡した。


「済まんな。あとはHP作成ソフトは体験版をダウンロードしてなんとかするか…」


ため息をついた僕の口から、思わずこぼれた。

「しかし、PC一台買うことすらできない社会起業ってどうよ…」


「まぁな…。もう10年選手だったから金属疲労もするよ。」


「何もこの大事な時に、しかも善意で仕事を出してくれたのに…」


静かに流れる空間で、気持ちを切り替えようとした。

「…亀山社中の龍馬も、資金繰りに奔走していたっけな~」


「こんなんで、精神障がい者の雇用支援なんて大それたことができるのかい?」


「一度始めるって言ったんだ。しかもまだ始まってもいない。始まってもいないのに、できるかできないかなんて分かるわけないさ。…やらなきゃならんのよ」


「分かってはいるけどね。おれ、来週からバイトが昼と夜にも入るんで、超忙しくなるから全てのコンテンツページを仕上げるのは無理かもな…。何しろ生きなきゃいけないんで。」


「分かった。それは先方に相談してみるよ。最終的に全部はできません、なんて言えないからな。」


もう終電が近かったので、用件を済ませて彼の部屋を後にした。


なんだか頭の芯がクタクタだった。


ふとあの頃の彼らとの思い出が、目の前に鮮やかに蘇った。

僕が何者かを書くのを忘れた。


職業は、精神障害者の社会復帰施設に勤めている。


趣味は、映画・演劇を観るのではなく創る方。

何故それを職業にしなかったのか…。

食えなかったから。


映画は、小学生の頃から作っているから何本制作しただろう…。

演劇も、大体2年間に一本くらい上演しているから…かれこれ…。


僕が今の会社の門を叩いた時は、精神保健福祉の世界は惨憺たるものだった。

その作業所は印刷を生業としていたが、職人さんから


「アンタ若いのになんでこんな所に来たの?」


と、言われた。


「新しく電子編集を導入するので、是非君の力を…」

と、施設長に言われた。


部署に行ってみると、数人の女子がひとりの女性のもとに集まって何やら質問している。


ドアが開くと皆の視線が一斉に僕に集まった。


皆の中心にいたその女性が、近づいてきた。

身長は僕よりある大柄の女子だった。


「相談室ソーシャルワーカーの若松です。」

「ど、どうも。」


と、お座なりの挨拶が交わされる。


僕の壮絶な体験の、初めの一歩だった…。