金剛福寺の御朱印、うっかり上げ忘れましたね。

   南の大海に 補陀落浄土を見たのは インド人と日本人でしょうか。インド亜大陸の南には広いインド洋があります。 日本には太平洋があります。 この海に向かい、差し込むように陸地がありますね。 何か人の心に訴えるものはありますね。また岬できっちり陸地が無くなることってまれですね。未練たらしく?岩礁が続いていることがほとんどです。

  

足摺岬と 対馬南西端の豆酘崎です。  襟裳岬がなかなか典型的なんですが、写真残ってませんでした。襟裳岬は真南に進めば、ニューギニアまで陸地ないんだそうです。

 

 

    12時過ぎずに金剛福寺に着くことができ、午後もがんばるぞー と思って車出しましたが、午後の時間の経過って早いです。霊場間の距離が長く、高速もない所が長くて、このあと 思うように巡拝できませんでした。

    足摺から三十九番延光寺。ここはナビに助けられ、山中の三原村を抜けるルートによってかなり早く着けた、感じがしました。

延光寺の御朱印はこの 払い が多いのが個性です。印象的です。一巡目のもそうでした。

   このお寺は宿毛市にあるのですが、今月 宿毛に住んでいたことのある友人が亡くなったのです。種間寺でもえらくその人のことが思われたのですが、ここでは供養の意味もこめつつ勤行をしました。

 

   県境を越え、愛媛に入ります。次の観自在寺は四十番。88のまだ半分でないんですが、距離として半ば、一番霊山寺から一番遠い霊場ということになっています。(歩きの場合なのでしょうが) 延光寺から30km近くあります。 また次の龍光寺までが50km。きつい距離の連続です。

観自在寺のある 愛南町。愛媛で最南端に当たります。サンゴ礁のある鹿島 なんて島もあり、風光明媚、温暖。 しかし厳として 太平洋には面してないんですね。 伊予は伊予。土佐は土佐。 これが四国の 面白い所です。 四つの県のキャラがはっきりしてる。

    一番から 一番遠い、都からも一番遠いと言ってもいい所ですが、ここは 平城山。平城天皇の 勅額のある寺 となってます。 大師はこの天皇の弟の 嵯峨天皇と つながりが深かった印象ですが、でもこの地に勅のつく寺があることは大きな意味があったでしょうね。

 ほぼはじめて、お接待をいただきました。地元の観光協会と南宇和高校の生徒さんからです。この前後80kmあくお寺でお茶とお菓子を頂戴しました。ありがたかったです。  この町か、宇和島市 がこの地域での移住候補なのです。  駐車場近くにお店を出していたおじさんからは 河内晩かんを買いました。 今シーズン最後の日本柑橘になるかも、です。

 

    愛南から 50kmで、龍光寺。 高速も一部できてます。宇和島市街をみながらも通過し、三間町の龍光寺に着きました。もう2時半。 しかしおかしな急ぎは絶対にしないことだけは堅守して 巡拝しました。

ここの御朱印は前のとは 趣がやや違います。 龍 (へび) の這っている感が出ててこれ、いいですね。ここは去年の写真がありました。 

本堂の前に朱の 鳥居のかかる珍しいお寺です。神仏習合が色濃く残ってるのですね。廃仏毀釈の折のことはまだよく調べられてないのですが、まあ、よくぞ残ったもんです。 今の私の感覚は神仏習合がやはり日本(人)の心性の在り方として一番良いのではないかと思い、自分もそうしています。 柏手も合掌もきちんと行います。

 

    仏木寺は龍光寺のすぐ近くです。

ここはご本尊 しばらくぶりの 大日如来。 土佐大日寺ショック がありましたから、ご真言をしっかり確認させていただいてから唱えました。 おんあびらうんけん 入ってました。

 

    仏木寺から峠一つ越えて 西予市。 四十三番 明石寺です。 88を一周したのに 印象の うすい お寺がいくつかあるんです。 その一つが実は 明石寺でした。

地図で見ると何やら市街のようにも思われる。 しかしそこそこ山寺だったんですね。あと瓦の色が特徴的ですね、他であまり見ない茶色系の瓦でした。 御朱印いただくのに1万円出したのもこちらです。 もう忘れないと思います。 4時過ぎでしたから次の霊場が近いならもう一つ行けたでしょうが、 四十四番 大宝寺は 80km先、山奥。 ここでギブアップです。 勤行は集中をあげて 取り組みました。

 

 

総走行980kmになりました。日帰りドライブの最長 更新です。あほなことです。これでこんな日帰りは最後にしたいと思います。 私も今月 アラカン になりましたから。  (了)