“幸せは、なるものではなくて感じるもの”
という言葉を言ってくれた人が何人かいました。
その時は決まって、物事を俯瞰して見ることが出来ず、何にも感謝出来ず、心のゆとりもない時期でした

幸せって、何だろう??
「健康であれば、それだけで幸せ」と言う人もいれば、「◯◯に受からなければ、幸せになれない」と言う人もいます。
私は、後者で、◯◯大学に入らなければ、幸せになれない、◯◯大学に入らなければ、◯◯に就職出来ない、というような考えを持っていました。
一見、具体的なプランを持っているように見えるので、私は将来に対して明確なビジョンを持っていると盲信していました。

ところが、全然思い通りに物事も人生も運びませんでした!!
私は、何で!?何で!?の連続でした。
そして、今の歳になるまで迷いもがいて生きて来たように思います。

40を過ぎて、ようやく焦って走り続けて来た人生をウォーキング出来るようになりました。走っていた時は、自分がどこに向かっているのか分からないけど、走ることを止めてしまったら、幸せになれない‥と思い込んでいたのだと思います。
今は、いわゆる自然体(!?)なのか、ウォーキングで、回りの景色も楽しみながら、ゆっくり、でも確実な一歩を踏み出している気がします。走っている時より忙しい毎日なのですが、ふと空を見上げて、“秋”を感じたり、お仕事から夜中に帰宅して、子供達の寝顔に安堵感を覚えたり、朝起きてリビングに行くと、主人からの置き手紙に、私を気遣ってくれる言葉が並んでるのを読んだ時、ふふふラブと思ったり‥小さな幸せが転がっているのを見逃すことなく感じられるのは、人生をウォーキングに切り替えてからです。

ウォーキングに切り替えてからは、“幸せの基準”が低くなりました。自分にばかりフォーカスしていた人生で幸せを見出すのが大変だった全力疾走の人生も、今では回りに目が行くようになり、子供達の成長に喜びがあり、スタッフ達の成長にも喜びがあり、主人が居てくれることにも心強さを感じ、お客様の笑顔に元気を頂き、洗濯物がよく乾いて日向のにおいがすることにも喜びがあり‥小さな幸せに囲まれてることに気付けたことも喜びです。

もし、人生が思い通りで、ひたすら今も走り続けてたら、小さな幸せを感じてなかったかもしれない‥そして、幸せは感じるものでなく、なるものだと盲信したままいたかもしれない‥私の中では、幸せすらも条件だと盲信したまま‥いつまで経っても、ありのままの自分を好きになれなかったかもしれない‥
私は、今の自分が大好きですおねがい
ダメなところもいっぱいあるけど、それでも大好きニコニコ