料理の記憶 44 「焼鳥編」 新店舗
札幌市は中央区を中心に北区東区など10の区で構成されている。
私の生まれたころは厚別区、手稲区、清田区は無かった。次々と新しい区が出来てきたのは私が小学生の時である。
そしてその札幌市の重要な交通機関として地下鉄がある。
JRや路面電車、バスなども利用する人が多かったが、地下鉄の東西線、南北線などは朝の通勤ラッシュで賑わいを見せている。
東豊線が栄町から福住駅まで開通する頃には、各地下鉄駅の周辺は飲食店が多く存在していた。
地下鉄の話も、昔をさかのぼれば「あの駅はなかった。この駅はなかった。」と札幌市民は時代と共に町の変化を感じてきたのだ。
私の働く焼き鳥チェーン店も地下鉄の路線に合わせてオープンしていた。
2000(平成12)年、3月 地下鉄白石駅のすぐ近くに12店舗目となる新店舗が誕生する。
オープンの準備というのはどの職業も大変である。
外装、内装、看板など建築業者が担当する。
私たちは店舗が出来上がってからが大仕事である。
厨房設備、備品関係、段ボールの山。
アルバイト募集、シフト作成、教育指導、オペレーション、シミュレーション、
チェーン店である以上はほかの店舗同様のクオリティーが求められる。
また、会社の方針を伝えて共有していかなくてはならない。
本当に大仕事ではあるが、この頃は、これがとても楽しい。
新しく作り上げていく感じ。みんなのドキドキ。初々しさ。緊張。
どれをとっても青春の1ページのような記憶である。
私はその中にいた。
一の店から転勤の辞令を受けたのは子供が生まれる少し前のことである。
焼き鳥店に19歳で就職して1年が経っていた。
社会を学び、人を学び、そして焼き鳥を学んだ。
失敗を繰り返し、挫折も味わった。
楽しいことも多い。
同期や先輩たちと朝まで語り明かした。
他店にヘルプに行くようになり人脈も広がった。
課題とされてきた「焼ける。焼けない。」の能力はまだまだ発展途上であるが、それでも色んな人たちから色々な焼き方を学び、盗んできた。
私はまだまだこれからである。
その新しい一歩として
新店舗の焼き手を任されることになったのだった。
すごく嬉しい。
私はこれまでに様々な仕事をしてきたが、そもそも転勤というものは初めてである。
なんだか社会人になれたような気がした。
店舗自体が新しいということもあるが、全てがピカピカして見えた。
建物だけではない、新しく顔を合わせるアルバイト達もピカピカして見えたのだった。
「じゃあ、皆さんよろしく。これからこのお店を盛り上げていくために頑張りましょう。」
「はい!わかりました!」
全員が声を合わせる。
「まずは一緒に働く仲間たちの顔を覚えてもらうように、今日は顔合わせで集まってもらいました。皆さん初経験です。」
「はい!」
それぞれが顔を見合わせる。
「そして私が店長のクドテンです。」
「はい!宜しくお願い致します!」
「そして彼が主任のシドと社員のコンドウです。」
「はい!宜しくお願い致します!」
新店舗の店長はあのクドテンさんが選ばれた。
そう、以前にも度々登場していたクドテンさんである。
澄店の店長をしていたクドテンさんは新店舗の店長を任されることになり、私はその社員として一緒に働くことになったのだった。
「みんな、ドキドキで。」
特徴的な語尾を付けるクドテンさんと、一緒に働けるようになったことは素直にうれしい。
しかし喜んでばかりはいられない。
クドテンさんは澄店でテーラーさんと一緒に働いていた。
テーラーさんは焼き場の垣根を越えて、積極的にホールの仕事もこなしたり、アルバイトをまとめる能力をもっていた。
評価の高いテーラーさんと一緒に働いてきたクドテンさんは私のことをどう見るか。
不安はあった。
その事を直接クドテンさんに聞いたことがある。
「テーラーはよく働いてくれててたよ。焼けたしリーダーシップもあった。だけどねそれと同じことをコンドウくんに求めたりしない。コンドウくんはコンドウくんのやり方で成長していけばいいから。」
とても嬉しい言葉だったが、この時の私は、自分のやり方という事を自覚していない。
いったい自分のやり方というのはどういうことなのか?
その事がわかるようになるのはまだまだ先の話であった。