シアター風姿花伝プロデュース「悲しみを聴く石」を観劇した! | ジョージ日記

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一昨日、観劇した、シアター風姿花伝プロデュース「悲しみを聴く石」。

すでに朝日、読売、産経、大手3社が取り上げ、すでに話題になっている作品である。


靄のかかったような、蚊帳状の白幕が、舞台三方を囲っている。時折、銃声、砲声がガラス窓を震わ、緊迫した気配の中、がらんとした仄暗い密室にベッドが見える。髭を生やした男(中田顕史郎)が横たわり、頭上のプラスチックの点滴バックからビニールのチューブが垂れ、男の右ひじに刺さっている。室内に響くのは途切れ途切れに漏れでる男の息遣い。瞼を開いているのだろうか、口は閉ざしたまま。重苦しい静けさのなか、隣で数珠をもった女(那須佐代子)が祈りを捧げる。「アル・カッハール…」、堰切るようにコーランの祈りが女の唇からもれ出る。愛の囁きから罵りへと変わり、ついには忍び寄ってくる死の恐怖から逃れるかのように、植物状態の夫に積年の恨み、呪詛、さらに、罪深い秘密を告白し始める。


本作は、アフガニスタン出身でフランスに亡命した小説家アティク・ラヒミの作品。フランスの最高の文学賞『ゴンクール賞』にも輝いている。


薄暗い密室で炸裂する爆撃音、飛び散るガラス片、やがてくる静寂、蝿の羽音、点滴バック、雨音など、極限状況下での微細な演出が効を奏している。
痛々しい感情を顕わにしながら、何も語らない”物”と等価している男に女が”真実”を語って聴かせる。

自らの犯した罪を浄化するかのように。

訳書のなかに”アフガニスタンのどこか、または別のどこかで”とあるように、戦場下、抑圧された女の告白という形をとってはいるが、場所、時代を問わず、通低する問題を投げかけている。

神への怖れとは? 埋めることのできない男女の溝とは? 男とは? 女とは?

心の深部において、妻が夫を支配し、あるいは支配されることを希求しながらも、自らの罪深さを戒めていく。やがて、「アッ、サブール、ありがとう!」、奇跡が訪れる。


語られる言葉の端々から、真実が立ちのぼる。”真実”を生きている”美しさ”に皮膚が隆起し、心が震える。

ここには、神への一途な真摯さが息づいている。誰も立ち入ることのできない、真実の愛の形がここにある。(敬称略)