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「知られたくないから」は土曜、火曜に更新です。
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久しぶりの母とのキッチン、夕飯の支度。

宿のおかみとして働く母はいつも忙しく、こうした二人の時間も久しぶり。

 

 

「おかあさんあのね、今更だけど。私、バイトしてるんだ。」

 

 

冷蔵庫に野菜をしまいながら、母にはじめて打ち明けた。

 

 

「反対されはしないだろうけど驚くだろうな」と少し警戒してた。

だけど「あ、そうなの?仕事は楽しい?」とだけ聞かれ、逆に私が驚いた。

 

 

「だからあなた最近楽しそうなのね。ちゃんとおとうさんにも報告しなさいよ」

 

「うん」

 

「それと、バイト代入ったらなんかおごって。おかあさんお寿司がいいな!」

 

「え~~~、考えとく!」

 

 

 

隣の居間の仏壇に手を合わせる。

 

「おとうさん、そういうわけだから。」

 

 

去年、亡くなった父。

突然の事だった。

同時に私は「自律神経失調症」となった。

 

おとうさんのせいじゃない。

おとうさんのせいじゃない。

 

父のせいにしたくなくて、母には黙っていた。

でも母はとっくに気づいていた。

 

「だって親子だもん」

 

その言葉に、気丈に見えてた母もずっと苦しんでいたとはじめて知る。

いつも私は私のことばかり、また親不孝してしまったな。

 

 

失望に襲われ小さな旅に出て、そこで「ビクトリア」と「琴葉」に出会って。

 

もしかしたら、父が出会わせてくれたのかもしれない。

そう考えるようになれた自分は、少しは成長したのかな?

 

 

「「そういうわけ」ってなによそれ?そんないい加減な報告ダメよ。」

 

母は夕食を運びながら笑った。

 

 

 

食卓にいつもより多めのおかず。

向かいの席に母がいる事が、不思議と懐かしい。

 

「構ってあげれなくてごめんね」といつも母は謝るけど、そんなに聞き分けの無い子じゃないよ、私。

 

 

「いただきます」を言おうとした時、「おかみさーん!」と宿から呼ぶ声。

あの声の感じからすると緊急だ。

 

 

「もう!せっかく親子水入らずなのに!」

 

母は「茜ごめん、ほんとごめん!」と箸を置き、和服の襟を直して宿へ帰っていった。

 

 

「忙しいとはいいことだ。」

 

 

聞こえてるかわかんないけど、私は呟いて母の作った餃子を一人ほおばった。

 

 

 

 

 

 

 

「朝吹さんやっとスマホ買ったの!?LINE交換しましょ!」

 

「いいですよ!えっとね、・・え~。。??。山口さん、どうやるんだっけ?」

 

「あんた高校生なのにLINEもできないの?貸しなさい!」

 

店長は私からスマホを取り上げた。

 

 

 

山口さんと名古屋へ出かけた日曜日。

携帯ショップでiPhoneを買った。

 

17歳にして初めて持つスマホ。

持たなかった理由は不便してなかったから。

 

不便と思わないほど、自分は世界に興味を持ってなかったんだと気づく。

 

 

「はい、完了。」

 

店長の手から戻ってきたスマホ、LINEをタップして確認。

さっきまで「1」だった友だちリストが「2」に増えている。

 

にやけてる私を見て店長は「ほんと朝吹さんは顔に出るわね」と笑ってた。

 

 

携帯ショップの後、栄のパルコで服を見て「買いたいものがあるんだ」と言う山口さんについていった場所。

そして今ここ「ビクトリア」だ。

 

カウンターで店長がドールヘッドを並べて、山口さんが説明を受けている。

 

彼女が買いたいもの。

それはドール。

どうやら店長の自作ドールになりそうだ。

 

 

「琴葉~、あなたの妹が生まれるんだって。」

 

 

テーブルに置いた琴葉は、ちょっとビックリした顔をしてる。

退屈しのぎで琴葉と遊んでる私に、山口さんは言う。

 

 

「朝吹さんも読めるじゃん。」

 

「え?何が?」

 

「私と同じでモノの心が。だって琴葉ちゃんの気持ち読めてるじゃん?」

 

 

 

 

 

なんだ。

 

そういうことか。

 

 

 

 

 

知られたくないから、分かろうとしなかった。

 

ほっといてほしいと言いながら、理解してほしかった。

 

「許せない」と恨みながら、許してほしかった。

 

今の自分を好きになれたから、覚えた大切なこと。

 

異端であることは困難があって当然。

でも、誰かひとりでも味方がいるなら、もう私はだいじょうぶ。

 

 

 

山口さんと店長のドール製作の相談は熱を帯びて続いてる。

私は小さな疑問をぶつけてみる。

 

 

「山口さん試験の時さ、頭いい子の回答読めちゃうの?」

 

「え、まさか~!それができたら苦労しないよ。」

 

「なんでも見えたり聞こえたりするんじゃないの?」

 

「そんなの騒がしいの気が狂っちゃう。私が読めるのは興味あるもの、好きなものオンリー。」

 

「。。え?。。好きな・・って?」

 

「!。。ぁ。。。」

 

 

 

 

ドアが開いて女の子二人のご来店。

しばらく店内を回った後、カウンターの店長に尋ねる。

 

 

「あの。。今日ドールの店員さんいないんですか?」

 

 

ビクッとなった私を店長は一瞥して意地悪く笑う。

 

「あー今休憩中でね。すぐ戻って来るわ!」

 

 

私は事務室で仮面をかぶり、ヴィックを整える。

今日はバイトじゃなくてデートのはずだったのにぃ。

 

だけど仕方ないか。

おかあさんをお寿司連れていかなきゃいけないしね!

 

 

 

「いらっしゃいませ、ビクトリアへようこそ!」

 

 

カウンターに座った琴葉が「やれやれ」と呆れてる。

 

仮面の下の私が見えますか?

幸せに満ちてとびきりの笑顔なんです!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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試験の前だったり、いやなレクリエーションの日だったり。

良かれ悪かれ「特別な日」というのは、なんとなく予感がする。

 

 

普段通りの登校、「おはよ」と教室に入るなり、なんとなく空気が違うのを感じる。

 

みんなが私を見るなり、よそよそしい雰囲気。

歪んだ空気が、私を中心に渦を巻いているようだ。

 

 

「おはよ、朝吹さん。ちょっといい?」

 

笑顔で声をかけてきたのは、渡瀬さんだった。

 

短い髪、クリッとした目。

小さい子供がそのまま大きくなったような無邪気な発言で、みんなを楽しませる陽キャ。

流行りに敏感で、クラスの中心的存在で友達も多い。

 

 

「・・。なに?」

 

 

平静を装っても、手のひらに汗をかいている。

なんとなく、めんどくさく嫌なことが起きる予感。

 

「いや、あのさ。こっちこっち。」

 

渡瀬さんは教室から廊下へと私を呼び寄せた。

動かない私に「大事な話だから!」と、苛立ちを隠せない大声。

 

 

「ここで話せない話ってなによ!!」

 

うつむいたまま叫んだ声は、自分でも驚くくらい大きな声だった。

渡瀬さんの興味津々な目が、仮面のようにいやらしく笑ってた事にイラついた。

 

 

「ふぅ」と聞えよがしなため息をついた渡瀬さんが、ヤレヤレとばかりに話し始める。

 

「おととい。土曜日の台風の日。名古屋の栄。」

 

 

渡瀬さんはキーワードのように言葉をまき散らす。

さも「拾って」と言わんばかりに。

 

そして、教室の自分の席にうつ向いて座る山口さんを指さした。

 

 

「日曜の朝、山口さんと朝吹さんが名古屋のホテルから出てくるとこ見た人がいるの。」

 

「だからなに?」

 

 

誰も言葉を発しない、刺すような沈黙。

クラス全員が私たちに注目しているのが分かる。

 

その好奇な目に逃げ出したくなるけど「逃げちゃダメだ」と自分に言い聞かせた。

 

 

「否定しないのね?」

 

「だって一緒にホテル泊まったから。一緒の部屋で。」

 

 

 

わざわざ「一緒の部屋」などと言う必要はなかった。

 

台風で電車が止まって、店長がホテルの部屋を取ってくれた。

それだけでよかったのに。

 

「えっ!それってぇ。。」と期待以上の収穫に、渡瀬さんは手を細かく震わせて喜びの素振りを見せた。

 

 

 

 

 

「あんた、バカじゃないの!?」

 

 

 

   ああ    

        

         もう臨界点だ。

 

 

 

 

 

 

誰だって選ぶ。

自分の大切なものを。

 

興味のない人にとっては一括りのカテゴリー。

貧弱な想像力を掻き立てる「ネタ」に過ぎない。

 

 

私が山口さんと過ごした夜を、渡瀬さんは勝手に想像して喜んでいる。

 

情報をみんな求めてる。

どこかで拾った穢れたニュースが大好物。

かといって、「自分だけは不幸に巻き込まれないように」と祈ってる。

 

 

私はあの朝の山口さんの厳かな寝顔を思い出していた。

彼女を汚すことだけは許せない。

 

 

「渡瀬さんはっきり聞けば?私たちが何してたか興味あるんでしょ?」

 

「なによ、その言い方!ホテルから出てきたのを見たって聞いたから確かめたかっただけじゃない?」

 

「それにしては随分ゲスい顔してるよ。それに、私じゃなくて山口さんになんで聞かないの?」

 

「それは。。。」

 

「彼女がレズビアンだって噂あるから怖いんでしょ?関わりたくないんでしょ?あなたに山口さんのなにがわかるの!?」

 

 

言い争う私たちの背中で、机を思い切り叩く音が聞こえた。

 

私たちの口論に、山口さんは突然立ち上がり、黙って私の手を引いて教室から連れ出した。

 

 

 

 

その横顔は明らかに怒っていた。

ぎゅっと握られた手首が痛くて、やっぱ弓道部のエースだったんだなと思った。

 

階段を駆け上がり辿り着いた踊り場、彼女は急に立ち止まると私の方を振り返る。

その目にはこぼれそうな涙が溜まってた。

 

 

「最っっ低ぃ!!」

 

肩を震わせ、ふり絞るような山口さんの声。

 

私はようやく、自分の仕出かしたことを振り返った。

 

 

「ご。ごめん!ごめんなさい!!」

 

「台風で足止めされて泊まった、それだけでよかったじゃん!」

 

 

山口さんの頬をこぼれた涙がつたってた。

 

心臓が痛い。

さっきまで握られていた手首とリンクするみたくジンジンと。

 

 

 

 

自分がどうでもいいなんて思わない、もう思えない。

それ以上に、山口さんが愚弄されることが許せなかった。

 

二人でビール飲んで他愛ない話をしただけの夜。

これから先、自分を変える夜が幾つあっても、私は山口さんと過ごした台風の夜を忘れることはないだろう。

 

 

知られたくなかった。

でも、言わなくちゃならない。

 

隠してばかりの仮面を外す時が来た。

 

 

 

「ゴメン。。私ね、。。山口さんが・・・。」

 

言いかけた私を山口さんが制した。

 

 

 

「わかってる。わかってるよ。だって、・・わかっちゃうんだもん私。」

 

 

 

 

そうだ。

 

 

 

彼女は「モノの気持ち」さえ読んでしまう能力がある。

 

 

 

「朝吹さんって顔にすぐ出るね」

 

店長もいつも笑ってネタにしてた。

そんな間抜けな私の気持ちなんか、とっくに、簡単にわかっていただろう。

 

 

「。。謝らなくていいから償ってよ。」

 

「あ。。ごめん。渡瀬さんにもちゃんと謝るね。」

 

「そうじゃない!そんなことどうでもいいの!」

 

「?」

 

「・・。キス。。したよね。私、眠れなくて起きてたんだから。。」

 

 

 

 

山口さんの頬が赤い。

うつむいて、手で顔をあおいでいる。

 

多分、私はそれ以上に真っ赤っかだろう。

 

 

ふり絞るように言えた返事。

 

「ごめん」

 

それだけだった。

 

 

 

私の返事に、下向いたまま「うんうん」と2回頷いた山口さんが顔を上げた。

 

 

「今度の日曜、バイトを休んで私に付き合ってよ。それで許してあげる。」

 

 

授業が始まるチャイムが鳴る。

いまさら教室には戻れない。

 

 

 

 

 

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気まずさが飽和してるタクシーの車内。

バンパーも出遅れる横殴りの雨。

 

膝に手を置いて、煙る窓の外を見ている山口さんの横顔。

 

 

大雨で帰れなくなったのは山口さんも同じで、さすがにほっとけなくて店長に相談した。

店長はホテルをシングルからツインに変えて、店の前にタクシーを呼んでくれた。

 

雨音でかき消されて、何を言ってるか分からないカーラジオ。

 

 

「あの!。。ホテル代払うから。」

 

ラジオの声じゃなかった。

山口さんが私に向き直って言った声。

 

 

「・・。店長が払ってるからいいよ。」

 

私はドアに肘をついたまま、ぶっきらぼうに窓の外をみて答えた。

 

 

 

 

チェックインを済ませて部屋に入る。

予想通りの殺風景な部屋。

苛立つ私を感じている山口さんは、申し訳なさそうに部屋の隅っこに荷物を置いた。

 

 

「別にベッド二つあるんだから、荷物そんなとこ置かなくてもよかない?」

 

「あ・・。あ、そうだね。」

 

 

ヤレヤレとばかりに私はベッドに腰かけると、改めて彼女に聞いた。

 

 

「今日・・・。こないだのインスタ見て来たの?」

 

「・・うん。。仮面の人に会いたくて。」

 

「なにそれ、怖いんだけど。。あの仮面でなんで私なの?」

 

「・・・。似てたから。朝吹さんに。」

 

 

似てた?

どういうこと?

 

耳も目も鼻も口も髪も、あのマスクじゃ私の顔が見える部分はどこもない。

 

 

意味がわからず黙り込んだ。

テレビでもつけようとリモコンを手にした私に、山口さんは小さく笑って言った。

 

 

「笑ってたから。」

 

「は?・・そりゃ笑った顔の仮面だもん。」

 

「そうじゃなくて、朝吹さん笑ってたでしょ?仮面の中で。」

 

 

知られたくないから

 

その為の仮面だった

 

なのになぜ?

 

 

自分のカバンをベッドに置くと、膝に手を置いて座りなおした山口さん。

 

雨に濡れた髪が頬に張り付いていた。

そして、真剣なまなざしを私に向けた。

 

 

「実はね、。。人じゃなくてもね、モノの気持ちが分かっちゃうんだ、私。。。」

 

 

 

「森羅万象に神が宿る」って知ってる?

 

山口さんは唱えるような声で話し始める。

 

 

人だけじゃなく全ての物に心であり精霊が宿る。

彼女は幼い頃から、それが見えるのだと話す。

 

意識をそこに向けると、自然に物体の声が聞こえてくるんだと言う。

 

 

「だから、あの仮面の中に本気で笑ってる朝吹さんが見えたの。」

 

「そんなバカなこと、あるはずないじゃん!」

 

 

山口さんは「そうだよね、信じられないよね。」と答えると、ベッドに置いた私の黄色いトランクをゆっくり指さした。

 

 

「「そろそろ出して、髪がぐちゃぐちゃだよ。」そう言ってる。」

 

 

その言葉に背筋が震えた。

 

 

 

トランクの中には琴葉がいる。

 

私がドールを持っているなど、山口さんが知るはずもない。

 

ホテルのロビーに駆け込んだ時の雨で、トランクはその雫を貼り付けていた。

トランクから琴葉を出すと、その髪はしっとり濡れていた。

悲し気な顔をしていた。

 

 

「ごめんね朝吹さん、気持ち悪いでしょ?私。」

 

彼女は申し訳なさそうに呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

あれは去年。

 

弓道部で優秀な成績を修めていた山口さんが退部した理由。

学校中で噂になったあのニュース。

 

山口さんが放課後の部室で後輩に、無理やりキスをしたという。

顧問の先生に問いただされ、その結果彼女は部活を辞める事となった。

 

「大ごとにしないよう」と通達があっても、刺激を求めてサーチすることに余念がない世代。

 

その時、私はぼんやりと考えていた。

 

 

 

「はたして、それのなにがいけないことなの?」

 

 

 

 

後に、山口さんを嫌った後輩からの嫌がらせだったということが分かった。

 

それでも今更、真相がわかったところで、なに一つ解決しない。

山口さんが弓道部に戻ることもなく、もちろん戻れるはずもなかった。

 

 

 

「誰にでも平等」と唱えるだけで、偏見に満ち溢れているこの世界。

誰も異質なものに触られたくなくて、それでもわかってるふりをする。

 

 

 

「ねぇ、触っていい?」

 

琴葉を抱き上げている私に聞くと、山口さんは琴葉を受け取った。

じっくり琴葉の顔を見つめると、その腕の中に抱きしめた。

 

 

「かわいい。。」

 

 

うれしかった。

その言葉だけで救われる気持ちになった。

 

 

 

自分の中の小さな世界で、知ってほしい大切な気持ち。

 

失くしたくないから。

知られたくないから。

 

だけど、自分を大切にしてないから。

 

 

だから仮面の中でだけ、私は笑うことができた。

 

やっと理解してもらえた。

そんな気持ちだった。

 

 

 

 

ホテルの2軒隣がローソンだった。

大雨の中をダッシュして、私たちは夕飯を買いに出かけた。

 

シャワーは先に山口さんが使い、私はお湯を沸かしてカップ麺を食べた。

 

「夜中に台風は名古屋を通過して、明朝には晴れるでしょう」

テレビが喋ってた。

 

 

バスルームから出てきた山口さんは、ホテルのルームウェア。

その長身のせいか、可笑しいくらい似合っている。

 

自分のベッドに腰かけると、さっきまで震えてたLINEを確認していた。

 

「やば。。お母さん、超怒ってるよ。。」と笑うと、コンビニの袋からおにぎりと缶ビールを取り出した。

 

 

「え?山口さん、お酒飲むの?」

 

驚く私に、山口さんはニヤリと笑った。

 

「ううん。でもせっかくだし、ちょっと楽しみたいじゃん!」

 

 

「あいつレズビアンだ!」と、みんなに遠巻きにされてた同級生。

私は今夜、その子と一緒にホテルに泊まってる。

 

いかがわしさも笑えるくらいない、ぶっちゃけたこの状況。

確かにこんなこと、日常じゃありえないだろう。

 

 

 

外は嵐となって激しさを増していく。

 

なんか密度ある一日だったな。

でも悪いことは、何一つなかった気がする。

 

 

突然、琥珀色のグラスが私の前に差し出された。

金色の液体に白い泡が浮かんだ飲み物。

 

「でも私たち高校生だよ」

 

なんて言うはずもなく、私はそれを受け取った。

 

 

「かんぱーい!」

 

 

私と山口さんはグラスを合わせ、その液体を口にした。

二人して「苦!」だの「不味いね!ヤバいね!」だの言いながら。

 

 

「そういえば朝吹さん、家に連絡しなくていいの?スマホ貸そうか?」

 

「うん大丈夫。だってうち。。」

 

「そうか、。そうだったね。。」

 

 

そんな会話をきっかけに、私たちはお互いのことを話し始めた。

ビールは2口飲んだだけでトイレに捨てた。

 

濡れてた髪を乾かして、サイドテーブルにちょこんと座った琴葉。

いつもよりご機嫌な顔してる。

「ほんとはうちの子になりたい」って言ってるよ」と、山口さんのウソに笑いながら。

 

ロビーにフリードリンクがあると知って、二人で向かった。

サーバーでビールを注ぐ大人たちに交じってオレンジジュースを注ぐ。

私たちは明らかに浮いていた。

 

 

楽しい夜だった。

きっと一生忘れないくらい楽しい夜だった。

 

 

 

 

いつ眠ってしまったんだろう。

目が覚めると窓の外が白々しい。

 

台風は通り過ぎたようで雨はあがっていたけれど、行き遅れた風が街路樹を揺らしていた。

 

 

ベッド横の時計は5時半を指している。

隣のベッドでは、枕を抱きしめてしかめっ面で寝てる山口さん。

 

 

「ごめんね。」

 

聞こえないように囁くと、私は彼女の頬にそっとキスをした。

 

 

 

 

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「夕方から夜にかけて、今年最後で最大の台風が伊勢湾を渡って上陸する模様です。」

 

お店のテレビニュースを見て、事務室の窓から外を見下ろした。

 

 

あ!

あれは5Fの歯科技工士のお姉さんだ。

 

横殴りの雨に傘を壊され、このビルに駆け込んでくる。

多分、自慢のお化粧もぐちゃぐちゃで、顔面大変なことになってるんだろうな。

 

 

「朝吹さん、電車止まる前に帰ったほうがいいわよ。」

 

事務室でお弁当を食べてる私に、店長は呆れて言った。

 

 

 

今日は土曜日だけど来客は0。

こんな日に来る人などいるはずもない。

 

バイトとして成り立たない、暇つぶしのような一日。

 

実際今日は、事務室でお店のヴィックを机に並べ、どれが琴葉に似合うか見比べていただけだった。

 

 

机の向こうでスマホをみてた店長が「名鉄運休になるかもだって!もういいわよ早く帰りなさい!」と更に促した。

 

 

帰るにしても、琴葉をどうしよう。。

こんな雨の中、連れて帰るのも危険だし。

 

 

というか、自分だって濡れたくない。

化粧してないにしても、さっきの歯科技工士のお姉さんの惨劇を見たばかり。

 

地下鉄から名鉄に乗り換えて岐阜に着いても、その後またロータリーからバスに乗り換えて・・とか考えるとめんどくさくなって思考が止まる。

 

「琴葉、どうしましょーねぇー?」

 

うだうだとなにをするわけでもなく、私はカウンターで琴葉と遊んでいた。

 

 

 

 

その時、入り口のドアが開いた。

 

 

そこに立っていたお客さん、それは山口ひとみだった。

 

 

 

 

なんで!?

 

私は慌てて背中を向ける。

山口さんは私と気づかず「傘、ここでいいですか?」と聞いてきた。

 

 

多分、入り口脇の傘立ての壺を指しているんだろう。

 

「あ、はい、ど、どうぞ!」

 

そう言うと振り返りもせず、私は事務室に駆け込んだ。

 

 

「?。。どうしたの?」

 

「て、店長、お、お客様です。」

 

「?・・じゃあ接客してよ。」

 

「あ。。私そろそろ帰ろうかと・・。。あ!?」

 

 

だめだ!

帰るにしても、店内を横断しなくちゃいけない。

 

まごまごと戸惑ってる私を見て、店長は「お知り合い?顔見せたくないなら仮面して店出ればいいじゃない。。。」と代わりに渋々店に出た。

 

 

でもなんで山口さんが?

 

よりによってこんな日に?

 

こないだのSNSの画像。

まさか、アレを見て来たっていうの?

 

 

雨音が激しさを増している。

しばらくすると、店長が事務室に戻って来た。

 

 

「店長、お客さんは?」

 

「今帰ったわ。知り合いなの?なんかあなたのファンだって言ってたわよ。」

 

「ファン?」

 

「「仮面の店員さん、今日いないんですか?」って言ってたわよ。」

 

 

あの仮面が私と気づいたかのように聞いてきたあの時。

 

知られた?

バレてる?

 

それとも、単純にドールの店員を見たかっただけ?

 

 

考え込む私に店長が言った。

 

「なんか事情あると思って呼ばなかったけど。。それよりどうするの?もうすぐ名鉄運休だって。もう間に合わないんじゃない?」

 

「・・。どうしよう。。。そうだ!店長のうち、ここの近くですよね。。」

 

「ダメよ、それだけはダメ!!私こう見えても男よ!もっとちゃんと考えなさい!!」

 

 

店長は「はぁ」と聞こえるようにため息をつくと、スマホを操作してる。

そして、その画面を私の目の前に突きつけた。

 

「栄の駅の近くのビジネスホテル。予約したからタクシーでここへ行きなさい。タクシー代も宿泊費も給料天引きよ、もう!」

 

「ありがとう店長!」

 

「ホテルのチェックインまでまだ時間があるから、もうちょっと手伝って。もう外の看板しまってくれない?」。

 

 

 

店の外は嵐。

 

降り込んできた雨で、階段室までずぶ濡れ。

1Fにたどり着くだけで、スウェットの肩が冷たい。

 

大通りを車が走ると、歩道に波が押し寄せる。

 

着替えも何もないし濡れたくない。

 

看板のパネルをしまうだけが、今日の一番の仕事。

その引き波を見計らい、外に飛び出したその時だった。

 

 

「あの。。朝吹さん?」

 

 

まさかと思い、その声に振り返る。

 

 

 

隣のビルの庇の下。

そこで雨宿りしていた山口ひとみだった。

 

 

 

 

 

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私がビクトリアで働くことになったのは、去年の夏休み明けだった。

 

 

 

 

コロナ渦も落ち着いて、学校がスタートした2年生の7月。

授業中に貧血で倒れ、昔からの生理不順で教室で嘔吐した私。

 

医務室から病院へ、その診断は「自律神経失調症」だった。

 

 

優しそうな女医さんにストレスの原因とかを聞かれたけど、確信がなかったので「わかりません」とだけ答えた。

家に帰ると母に「どうだった?」と聞かれたけど、心配かけたくなかったから「疲れだってさ」と、適当な答えをした。

 

 

「なぜわたしが?どうしたのよ、わたし!」

 

呪文のように呟いた。

その呪いのせいなのか、鏡に映る自分が大嫌いになった。

 

 

 

何もしない夏休みが終わって2学期が始まって、それでもどうしてもどうしても学校に行きたくなくて、気がつけば私は駅にいた。

なにも考えず、名古屋までの切符を買って電車に乗った。

 

 

地下鉄を乗り継いで、大須の「GU」で今買える適当な服と大きめのビニールバッグを買ってトイレで着替えた。

お腹が空いて、大通り沿いの「すき屋」で牛丼の並を食べた。

 

お財布には辛うじて帰りの電車賃だけが残っていた。

 

食べ終わってぼんやり目をやった「すき屋」の窓越し、大通りの向こう。

ビルの3Fに貼られたいたずらそうな目をした女の子のパネル。

 

 

「アイドルかな?」と思ったその子は、人間ではなくお人形だった。

パネルには「ドールショップ ビクトリア」と書かれていた。

 

 

 

それは学校が終わる時間までの暇つぶし。

 

お店には店長らしきおじさんがひとり、カウンターで鼻歌を歌ってた。

店には小さな音量でボーカロイドの歌。

特に声をかけられる様子もないので、私はのんびりぼんやりと店内を歩いた。

 

 

笑ってる子

 

甘えたがってる子

 

不思議がってる子

 

眠たそうな子

 

 

いろんな表情のお人形。

「あなたはだあれ?」と尋ねるようなその小さな視線。

 

「これいいな」っていう服も数着あった。

だけどサイズが合うはずもない、全てお人形の服だから。

 

そして店の一角には、首のない人形のボディや空っぽの頭、目、手。

バラバラになった人体のパーツは、中学の頃にうっかり見てしまったホラー映画を思い出させた。

 

「やっぱ不気味。。。」

 

そう思って帰ろうとした時、レジカウンターの後ろに飾られていた青いドレスのお人形と目が合った。

 

 

それが琴葉だった。

 

 

 

私はどれくらい見つめていたんだろう?

宇宙のように深い、その子の青い瞳を。

 

 

私の様子を見ていた店長がその子を下すと、カウンターの前に置いた。

 

 

「かわいい子でしょ?私が組み立てたの。」

 

「組み立てたって、作ったってことですか?」

 

「ヘッド、いわゆる頭だけね。顔のパーツを作って目とか填め込んだりするの。」

 

「お洋服もかわいい。。。」

 

「これも私が縫ったの、すごいでしょ!昨日やっと出来てね今日がお披露目。」

 

「へぇ。。。名前は?」

 

「うーん、それがまだ考え中なのよ。なんかいい名前ないぃ?」

 

 

私はお人形を見つめて考える。

センスのない私には、もちろん良い名前など浮かばない。

 

 

「急に言われても困っちゃうよね。また今度来た時までに宿題にしましょ!」

 

「。。でも、それまでに売れちゃいません?」

 

「だいじょうぶ!この子を売るつもりはないから。」

 

 

その言葉に、私は不思議なくらい安心していた。

 

 

その後も私はその子に会うために店に通った。

私はお人形に「琴葉」と名付け、店長も公認の名前となった。

 

何も買わないお客も迷惑だろうと悩んだりもした。

だけど実際、メーカーのドール自体の値段も驚くほど高く、おもちゃを買うのとは訳が違うのだ。

 

 

 

 

 

 

ある夜、夢をみた。

 

琴葉が走り回って遊んでいる夢だった。

 

その場所は私の部屋。

ひとしきりはしゃいで疲れたのか、月明かりのもれた窓辺に彼女はちょこんと腰かけて、穏やかな笑みを浮かべて長良川を見ていた。

吹き込んだ風に彼女の栗色の髪が揺れて、同時にレースのカーテンが揺れて琴葉を覆い隠した。

 

 

次の瞬間、琴葉の姿が消えた。

 

そして私は、夢から醒めた。

 

 

慌てて窓を開けて下を見た。

彼女が窓から落ちてしまったんじゃないかと。

 

もちろんそこには玄関の庇があるだけで、ようやく私は「あれは夢なんだ」とぼんやり理解する。

 

時計は見なかったけど、夜明けが近い空の色。

 

なのに私は部屋を飛び出して、玄関わきの植え込みを探した。

どこかに琴葉の手や目玉が転がってるんじゃないかと。

 

 

「あれは夢なんだ」

 

小さな声で呟くと、涙があふれた。

 

 

「きっとわたし、病気だ。。。」

 

 

居るはずのない人形の体を、夢だとわかっていながら探してた自分が怖かった。

 

救いようのない自分の行動を振り返る。

いたたまれなくなって家を飛び出した。

 

 

橋のたもとのバス停に、ちょうど朝一番のバスがやって来た。

終点の駅に着くと、電車に乗って名古屋へ着いた。

 

駅の時計は7時半を指していて、今頃みんな登校時間。

11時の開店まで3時間半もあるのに、ビクトリアのドアの前で膝を抱えて座っていた。

 

 

 

 

「。。それで、学校をサボったと。。」

 

出社してきた店長は、当然私を見て驚いた。

それでも「話は中で聞くわ」と、お店の事務室に迎えてくれた。

 

角が割れてはがれた合板の事務机、紙コップの温かいお茶が差し出される。

泣いたせいなのか喉が渇いていた私は、それを一口飲むと今朝の夢の話をした。

 

 

店長もヤバイ子だときっと思うはず。

 

「もうどうでもいいや」という投げやりな気持ち半分。

もう半分はどこかで理解してほしいという気持ちだったのかもしれない。

 

 

「琴葉を譲ってくれませんか!」

 

無理に決まってるのをわかっていながら、私は事務机に頭を伏せた。

明らかに困った顔をしてた店長が、聞こえるように「はぁ」とため息をついた。

 

 

「・・・。それじゃあさ、取引しない?」

 

店長はそう言うと、おもむろに着ていたジャケットを脱ぎ始めた。

厚い胸板のポロシャツ姿、中年男性からの「取引」という言葉に、私は想像した。

 

美形じゃなくても可愛くなくても、私には「女子高生」というブランドがぶら下がっている。

 

そう、一夜我慢するだけ。

 

そんなワンナイで琴葉を私の物にできるのなら。

まともの頭じゃない私は、そこまで考えていた。

 

 

「土日でいいからうちでバイトしてみない?バイト代前貸しの形で。」

 

「え?」

 

「私もこの子いないのは寂しいから、バイトに一緒に連れてくること。どうかしら?」

 

 

顔が赤らむのが自分でも分かる。

淫らな想像をしていた自分が恥ずかしくなり、手汗をスカートで拭いた。

 

「どうしたの?」

 

「いや、あの。。わたしてっきり。。。」

 

 

店長は不思議そうに私の顔を覗き込むと「いやねぇー!あなたそんなこと考えてたの!?」と、お店に響き渡るくらいの声で爆笑した。

 

 

「で?。。どうする?琴葉はかなり高いわよ?長期バイトよ?」

 

 

私の返事はとっくに決まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

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お店近くのファミマで、菓子パンと紙パックの野菜ジュースを買った。

バイトの日、事務室での朝食のローテーション。


大通り沿いの雑居ビルの3F。
カバンにぶら下げたカギで部屋を開ける。


「おはよう、みんな。」


ショーウインドーや壁掛けに、ずらりと並ぶのはお人形。

 

大きい子もいれば手のひらに乗る小さな子も様々。

陳列棚にはドレスやヴィック、手やアイやヘッドなど様々なパーツ。


ここはドールショップ「ビクトリア」。

 

 

メーカーの物から作家さんの委託品、お人形の家具まで、ドールにまつわる様々なものが手に入るセレクトショップ。
 

そしてここが、私が深く息の出来るバイトの場所。


琴葉をレジカウンターに座らせた。

お家へ帰ってきたような、ほっとした表情になる。


先週と変わりないか陳列棚をチェックする。
店の突き当りのケースの中、優菜ちゃんがいない。

 

お店一番の寂しがり屋さんドール。
胸につけてた私が作ったミニブーケだけが、そこにいた名残りのように棚にポツンと残ってる。

 


今週の伝票をチェックすると、木曜日に売れたことが分かる。

 

「優菜」という名前は、私が勝手につけた名前。

この店の子は全員、私のつけた名前がある。
「いい人にもらわれたなら」と考えはするが、知らない場所で違う名前をつけられてると考えるのはやはり寂しい。


「あれ?朝吹さんもう居るの?まだ1時間半も前だよ。あら、琴葉ちゃんもおはよー!」


元気よく入ってきたのは仙田店長。

大学時代はラグビー部だったという自慢の体格を持っている。


正真正銘、スポーツクラブやジムではなくドールショップの店長、38歳の角刈り独身。

見た目はそんなだが、言葉遣いや所作は完全なるオネエである。


「店長、優菜ちゃんは?」

「。。あぁ、前から来てたお客さんよ、30くらいの髪の長い女性の」


心当たりがある。
4体目のドールを探してたあの人だ。

私はほっと胸をなでおろす。

それを見ていた店長が笑った。

「朝吹さんはほんとドール好きなんだね。」

「え?」

「変な人に買われてないか心配だったんでしょ?」

「・・そんなに顔に出ましたか?」


悟られることはとても気持ち悪い。
更にそれが外れていても、したり顔で分かったふりをする人がどれほど多いことか。

 

実際、接客は向いていないと自分でも思う。

目を見て話す人が特に苦手だ。



穏やかでない私の顔を見てた店長が「そうだ!」とパンと手を叩いた。

「朝吹さんにもってこいのアイテムが入荷したの!」


アイテム?
なんだろう?


店長が事務所から抱えてきた段ボール箱。
ドール用品にしては大きい箱。
クッション材の中から出てきたもの、それは仮面だった。


「フィメールマスクっていうの。ドール好きな人には自分がドールになりたいって思って買う人も多いんだって。」


そういえば、お店でも売っている。

厚手のストッキングだが、膝の部分にドールと同じ関節が描かれている。

ちょっと前まで、地雷系の子にいくつか売れたっけ。


夜店で並ぶお面と作りはほぼ同じ。

被るのではなく正面から被せるもの。


素材は薄いゴム製だろうか、目は瞳の黒目が無く穴が開いている。
後ろはヴィックで後頭部が隠れる仕組みになっていて、広げてみると剥いだ顔面のようでなんとも薄気味悪い。。

「朝吹さん、ちょっとかぶってみたら?」


いたずらっぽい笑顔で店長が促した。

「え?でもなんか、・・ちょっと怖くないですか?」

「外れなくなっちゃうってやつ?やだー!」

「いや、。。さすがにそれはないと思うけど。。」

「それに一応つけ方とか覚えとかなきゃお客さんに説明できないでしょ。さ、座って!実験台で。」


ガタガタとスタンバイされた事務椅子に腰かける。


仮面の裏面の黒い布地は、これから深海に潜るような不気味さがある。

深く息を吸って覚悟を決めると、私はそれを顔にかぶせた。


マスクの下から呼吸はできるが、やはり多少息苦しい。

 

新品のゴムの匂いなのか、息苦しさに軽い眩暈がした。


仮面は顎も覆うように出来ていて、真下から覗かれない限り多分継ぎ目は分からない。



「大丈夫?苦しくない?」


髪を触られる感触。

店長がヴィックをつけているのが分かる。


視界は予想通り狭い。

誰か補助がいなければ、階段とかは昇り降りできないだろう。

「できた!割といいじゃん!ううん、ふつうに可愛いじゃん!!」


私の前に姿見が運ばれる。
広げた時の不気味な無機質さはなく、狭い私の視界の中に見知らぬ女の子が座ってた。

 

 

「キレイになりたい」じゃなくて、ただ自分に不満を抱くのは、おそらく女の子ならではの「流行り病」。

 

 

メイクが好きな友達もいて、「遊び」と言いながらやってもらった事もある。

施され鏡に映った「自分」は期待外れで、「遊び」じゃなくてかなり「期待」してた自分が恥ずかしかった。


この仮面は変身できる。

中の表情など分からない自分に。

 

完全に私じゃない女の子に。

 

それが誰から見ても「ニセモノ」だとしても。

 



「。。。店長。」

「ん?なぁに。」

「・・。これ、私が買ってもいいですか?」

「え!本気?」

「はい、それで。。できればこれでお店に立ってはだめですか?」

 

 

すらすらとそう言えた自分に驚いた。

 

もちろん店長も戸惑って、私を諭すように言った。

 

「あ、、あのね。マスクもいろんなタイプあるから、。そうだ!カタログ見てみる?」

 

「いえ。。これがいいです。」

 

 

私は仮面になった自分の顔を撫でた。

自分の指の感触を頬に感じて、「あぁ、これは私なんだ」と確かめるように。

 

 

琴葉に近づけた気がした。


琴葉は憧れだったと気がついた。







「はいじゃあ撮るよ~。笑ってぇ~!」




仮面は表情を変えない。

いつでも笑顔だ。

 

だけど私は仮面の中で、本気で笑っていた。





「ドールのいるドールショップ、ビクトリア!」。

 

 

 

お店のインスタにアップされた画像。

 

この日撮った一枚が、山口ひとみに見つかったあの一枚だった。

 

 

 

 

 

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大倉山の輪郭が縁どられる夜明け。

 

朝5時半のヘッドライトが、バス停で待つ私を照らした。

小型トランクとメンズリュックサック。

ちょっと重装備な荷物。

 

 

4両の赤い私鉄、陸橋を揺らす音が町を起こす朝。

駅前には歴史に名を遺す将軍様の銅像。

 

 

ここは穏やかな岐阜のとある町。

大きな川が町を横断していて、6月になると長い竿持った釣り人で川べりが埋まる。

 

 

私の家はその川沿いで旅館を経営している。

「大人気」とまではいかなくても料理には定評があり、連休となれば部屋が全て埋まる。

忙しい両親だったが、一人っ子の私は人並み以上の愛情をいただき、おかげで何不自由なく私は育った。

 

 

都会でも田舎でもないこの町をキライなわけじゃない。

 

ただ、言い知れぬ未来への不安は当たり前にある17歳。

自分が何者なのか、そんな不安も当たり前にある17歳。

 

根拠のない不安を忘れさせてくれる場所が、私のバイト先だった。

 

 

 

今日は土曜日、バイトの日。

大きく息を吸える大切な日。

 

駅から名古屋まで40分

早朝の赤い電車の対面式のシート、当然車内はガラ空き。

 

向かいの席にリュックサックを放ると、膝に置いた黄色のトランク。

このトランクだけは乱暴に扱えない私の宝物。

 

 

お店は11時開店。

こんなに早く向かったところで暇を持て余すだけ。

 

なのにいつも私は早起きをして、この始発の電車を選ぶ。

バイトしてるのを誰にも知られたくないのが、その理由のひとつ。

 

 

県を跨ぐ橋、流れる風景。

河川敷にまばらな赤い彩りを見つけた。

 

きっと彼岸花だ。

車内に誰もいないのを確かめると、私はトランクをそっと開けた。

 

 

トランクの中身は身長50cm強の球体関節人形。

 

栗色の長い髪と青い瞳、ピンクのブラウスにひざ丈のスカート。

世界のすべてが不思議で仕方ないようなあどけない表情。

 

彼女の名前は琴葉。

彼女を抱き上げると、窓の外に顔を向ける。

 

「見えた琴葉?秋のお花だよ。」

 

 

時間は全然ある。

名古屋に着いたら矢場町の公園に行ってみよう。

多分、湖岸に彼岸花が咲いているはず。

 

 

 

 

名古屋から地下鉄で矢場町へ。

公園はちょうど秋桜が満開で、薄紫の彩りを誇らしげに放っていた。

 

中学校の卒業記念にお父さんからもらったデジカメをカバンから取り出す。

 

すれ違う犬の散歩のおばさんが私に会釈をする。

マスクの下で小さく「おはようございます」と呟くと、朝の風景にカメラを向ける。

おばさんが行き過ぎるのを見計らい、いそいそとトランクから琴葉を出した。

 

 

「ごめんね、窮屈だったよね。」

 

秋桜の傍らに琴葉をそっと立たせてみた。

 

琴葉の瞳に朝の陽ざし。

今日は機嫌がいいみたい。

晴れの土曜日も久しぶりだしね、いつもより笑ってる。

 

 

朝早く町を出るもう一つの理由は、こうしてゆっくり琴葉と遊びたいから。

 

 

予想通り、池のほとりに彼岸花が咲いていた。

赤い群れに囲まれ、異端とされたように白い彼岸花も申し訳なさそうに混ざっている。

 

ドレスを汚さないよう朝露を振ると、その花の群れの中にそっと琴葉を座らせた。

 

 

異端な白い彼岸花に似ている。

「ドール好き」と知られたくない私がいる。

好きなものを好きと、正直になるのはなんて難しいんだろう。

 

 

琴葉は私の命。

彼女の存在が私の全て。

でも、「見て、うちのこ可愛いでしょ」とみんなに紹介できるほど私のメンタルは強くない。

 

おかしな人と思われたくない気持ちが勝る。

それがもどかしくて情けなく、特に琴葉に申し訳なくも考えたりする。

 

 

蓮の葉が水面を覆う池を背景に、ファインダーの中の花とドール。

今日のドレスは正解だった、それだけで嬉しい。

 

白い頬が朝の光を吸い込んで輝いていた。

長い栗色の髪を、ちょうどいい風がなびかせてくれた。

 

 

 

 

 

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知られたくないから、私は発信しない。

 

そんな私は多分、すっからかんのカラッポな人間だ。

 

 

 

「私はこういう人間です」とか。

「私の友達はこんなに素敵なの」とか。

きっとみんな、自分を知ってほしいんだろうな。

 

 

   「面白い人」 

           「親切な人」

                      「オシャレな人」 

                                「勇気のある人」

 

 

 

誰かにカテゴライズしてもらえば、それが自分の「価値」に変わる。

「なんにもない自分」じゃなくなるのかも。

 

 

 

十六夜の月が大きかった。

長良川に反射した明るい夜。

 

 

「琴葉は今日も可愛いね」

 

彼女のレジンアイの青い瞳が、深い宇宙を映していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

3日続いた雨も上がり、夏の気配はすっかり消えた10月の空。

セミの声はいつしか消えて、ほのかな香りを漂わせる赤い花が花壇で咲いている。

 

4時限目のチャイムが鳴る。

今日のお弁当の場所は、グラウンドの脇のベンチがいいかな。

 

 

特に親友がいるわけでもない。

かといって、仲間外れにされているわけでもない私。

 

誘われればみんなでお昼ご飯食べて、新作アニメの話で盛り上がったりもするけど、今日は誰も声をかけてこない。

別にそれが嫌なわけでもない。

むしろ一人が気楽な時もあるからちょうどいい。

 

 

「朝吹さん、あのさ・・ちょっといい?」

 

その声に顔を上げる。

クラスメイトの山口ひとみだった。

 

 

切れ長の狐のような目に、薄い唇。

165cmと長身で、ボーイッシュといえば聞こえは良いが悪く言えば幸薄そうな顔をしてる。

 

彼女が右手に握りしめているスマホを見て、お弁当のお誘いじゃない事がわかる。

彼女の要件に、うすうすの心当たりはある。

 

 

「これさ・・朝吹さん?」

 

差し出されたスマホの画面の中には、にっこり笑った赤い髪の女の子。

両手を重ねてハートのマークを作っておどけてる。

 

 

でも実際は女の子ではないのかもしれない。

 

その顔はフルフェイスの仮面。

ぱっちりした目も鼻も、開いたままの口も耳も、肌は全てマスクで覆われている。

 

 

「。。は?なんで私?」

 

 

わざと不機嫌そうに言ってみる。

朝食抜いての午前の授業だったから、早くお弁当を広げたい。

 

 

「ん、違ってたらゴメン。インスタで見つけてさ、なんていうか・・えと、なんとなく。。」

 

山口さんは言いにくそうな顔をしてる。

 

 

「だいたい私、SNSやってないもん。」

 

「あ、そうなの?」

 

「ってかスマホ持ってないし。もういい?」

 

 

山口ひとみは少し納得いかない顔を見せて小さく2回頷いた。

 

 

 

去年まで弓道部で結果を残していた山口ひとみ。

皆から明るく慕われる活発さがあった。

 

去年部活を辞めた彼女は、あまり人と話さなくなった。

それまでのショートカットから一変、髪を伸ばして目線を隠すように前髪を下すようになった。

 

それだけに私に声をかけてきたのは意外で、私は少し驚いていた。

お弁当箱を持ってグラウンド脇へ向かう廊下で、ふと私は少し後悔する。

 

 

「私のどこがその仮面に似てるっていうの?」

 

 

それだけ聞いておけばよかった。

 

知られたくない私は、自分の詰めの甘さを反省した。

 

 

 

 

 

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「到着まであと5分です。」

 

 

機械の声が機内に流れ、クレムトたちは着陸準備に。

 

慌ただしくなる機内。

テーブル上のホログラフに映し出されたのは外の映像。

 

 

旋回するVESSEL。

 

白い近代的な建物が規則正しく建て並ぶ町。

区画された黒色の道には、バスが走っていた。

 

 

 

ここがパラディソ。。。

 

セレクシオのみが暮らすことを許された街。

私たちの多くが羨み憧れる街。

 

 

 

そんな大きな街をすべて覆う鳥かごのような巨大なドーム

下界を完全に遮断するようにパラディソは包まれていた。

 

 

「もうすぐパラディソよ。」

 

シーガルが指で示す。

 

 

そのドームの天辺、そこだけが出入口。

私たちを乗せたVESSELは、上空から吸い込まれるようにパラディソへ侵入した。

 

 

 

「ようこそパラディソへ、、と、言いたいところだが、今の君にはセレクシオだというチップがない。少し調べさせてもらうがいいかな?」

 

 

 

・・・。チップ?

 

その意味が分からないまま、クリムトの言葉に私は頷いた。

 

 

 

 

 

過去の戦争によってまき散らされた毒、ウイルス、放射能。

それに耐えうることの出来る資質を持った者、それがセレクシオ。

 

 

私は幼少期からわかっていた。

自分がセレクシオだということを。

 

自分だけはマスクなしで普通に息ができた。

皆が恐れるものを食べても平気だった。

そればかりか、毒に侵された海で泳ぐこともできた。

 

 

それでも滅びた世界で暮らしたい理由。

それはスージーやケイトが一緒に居たかったから。

 

 

私は自分の正しさを確かめる。

パラディソへ来たことが、なにかの運命のように感じて。

 

だけど、私には一つ疑問があった。

 

 

「、、。どうして、私がセレクシオだとわかったんですか?」

 

 

クリムトはシーガルに目配せをした。

シーガルはゆっくりと私の横の椅子に腰かけた。

 

 

「あなたを探していたの。私たちは。」

 

「・・?探していた?どういうこと?」

 

「戦争によって、この世界が滅びたことは知ってる?」

 

「はい。。。」

 

「戦争から残った人類が、生き残るためにその後どうしたかは知ってる?」

 

 

私は首を振った。

 

 

運転席のロンドが難解な言葉で通信している。

VESSELはドームに吸い込まれ、着陸態勢に入ったようだ。

 

 

シーガルがディスプレイに触れて、上空からの景色に変わる。

 

 

緑の森が広がっている。

小さな川が生い茂る木々の脇を流れている。

 

広大な緑の上に、点々とする黄色い色を見つけた。

 

生まれてはじめて見る色。

あれは、きっと。。。花だ。

 

花はVESSELの帰りを待っているように、風に揺れていた。

 

 

テーブルのディスプレイには、私の見たことのない様々な世界が広がっていた。

その光景を指さしたシーガル。

 

 

「これはね、全てあなたのお母さんが作ったものなの。」

 

 

思いがけない言葉に驚く私に、シーガルは話を続けた。

 

 

「かつての人間の科学力、特に医学は計り知れぬものだったの。戦争から生き残った人間は助かるためにその力を使ったの。」

 

「・・・ならば。。助かったんじゃ?」

 

 

 

「だけど逆に人間は、その力を化学兵器として戦争でも使ったの。本来なら自然が浄化してくれるはずのものを自ら壊した。戦争が終わって

治せないものを無理に治そうと沢山の薬を投与した。確証のない話に促され、我先にと不確かなワクチンを接種して。その結果、人間はこの星では生きられない体となってしまった。」

 

 

私はディスプレイの景色を指さした。

 

 

「じゃあ、・・これは過去のもの?」

 

「いいえ違うわ。これはあなたのお母さんが作り出した森よ。未完成だったものを私たちで育てたの。」

 

 

 

 

私の母はここで森を育てていたという。

戦争によって破壊された世界、人間の力で壊したものは人間では治せないことを知り、自然治癒の研究をしていた。

 

 

しかし、戦争の傷跡は浅くはなかった。

 

誰もが母を変人扱いしていたが、救いようなく次々と増える死者。

ありあわせで不確かな医学、未開発のまま接種されるワクチン。

それはまるで、自分の首を絞めるように。

 

 

「彼女、いいえ、博士は深海の水がまだ侵されていないことに気づいたの。だけどもう彼女には時間がなかった。」

 

「セレクシオの寿命・・ですか?」

 

「ええ。そこで博士は次の世代に委ねたの。遠い未来になってもいいから、人が再び暮らせる星にするため。その実験場、それがパラディソよ。」

 

「戦争によって壊すのは一瞬。だけど、それを元通りにするには計り知れぬ時間が必要。。。」

 

 

 

私は深海のサオラを思い出していた。

戦争の最中、夢もすべて奪われ失われ、自ら命を絶った「にんげん」の頃のサオラ。

 

「たかがピアノごときで」と、誰もが言ったであろう。

 

でもサオラには「ピアノ」は唯一ともいえる「救い」だったはず。

ただ食を満たして安眠を求めるのが「生きる」ではないはず。

 

 

パプアンも同じく、彼女の「生きる」は「野球」という球技であって、それは彼女の希望であり「生きる」だったはず。

私がスージーやケイトを心の拠り所、居なくてはならない存在だったと同じように。

 

 

「博士は自分の娘にコルパタと名付けた。そして私たちに託したの。」

 

「でも、・・。私は、何一つ聞いてない。スージーも・・・」

 

 

私は気づいて、言葉を途切らせた。

昨日の、お別れのスージーの言葉を思い出した。

 

 

「あなたのお母さんから私は託されたの。大人になったあなたに決めさせてと。」

 

 

 

スージーは知っていた。

私をセレクシオだということも。

 

 

「博士は言っていたわ。12年経って、もし連絡があるようなら迎えに行ってと。」

 

「だけど、私がどこにいるかは・・。」

 

「私たちセレクシオはチップが埋め込まれているの。そのチップにも寿命があって、それがほぼ私たちの寿命。博士があなたにチップを埋め込まなかったのは、きっとあなたに選ばせるつもりだったんじゃないかしら?」

 

「チップ?選ばせる・・。って、なにを?」

 

「セレクシオとして生きるか、普通の人として生きるかを。。。かしら?」

 

 

 

VESSELは森に囲まれた建物に静かに着陸した。

 

それを確認したシーガルが、机の上にそっと置いたもの。

それは私のスマホだった。

 

 

「あなたのチップは今、海底に沈んでいるわ。」

 

 

私は気づく。

あの日、私が沈めた髪飾り。

母からの形見だった「桜」の花の髪飾り。

 

あれが私のチップだ。

 

 

VESSELの扉が開く。

喉を鼻を通る空気が違う。

 

どこか懐かしく、涼しく爽やかな緑の匂い。

 

 

ここがパラディソ。。。。

 

私のお母さんが作った場所。

その衝動が私を揺さぶった。

 

 

 

「シーガルさん!ここに「桜」という花はありますか?」

 

 

降りる荷物を肩にしたシーガルは、振り向いて笑った。

 

 

 

「あなたの目の前の樹がそうよ。博士が一番大切にしていた樹よ。」

 

 

 

 

 

 

春が来ると、きっとこの樹には花が咲く。

私はここでそれを目にするのだろう。

 

 

深海にはこの世界を救うカギがある。

お母さんは、私に託したのかもしれない。

 

単純にそれを知りたい、そう思った。

そして、サクラに会える日が来るのかもしれない。

 

そう思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今日が多分、スージーと過ごす最後の夜。

 

明日はきっと、迎えの飛行船が来る。

私はセレクシオとしてパラディソへ。

 

再びここへ戻って来れたとしても、その時スージーはもういないだろう。

言わなきゃいけないことのあらすじを、ずっと頭の中で組み立てたはずなのに、私はどんな顔をして話したらいいのか分からない。

 

 

 

ひび割れたテーブルの角を撫でた。

 

ずっと使い続けてた古い家具と部屋。

その全てを忘れないように見回した。

 

テーブルの上には野草のスープと干した小魚の皿。

いつもと変わらない質素な夕食。

 

 

「そうだ、コルパタ。もう一品、今日は作ってみたの。」

 

 

スージーがキッチンから運ぶ皿には、溶いた粉を焼いたであろう手のひら程の食物。

 

 

「・・。これは?」

 

「「オヤキ」って言うんだって。コルパタ。あなたのお母さんがよく作ってたのを真似してみたの。」

 

「私のお母さんが?」

 

 

スージーはエプロンのポケットから紙を取り出した。

端は破れ、ところどころ黄ばんだ古い一枚の便箋。

 

 

「今までありがとう、コルパタ。」

 

全て見透かしたスージーの目が優しく笑っていた。

 

 

 

その便箋は母からの手紙。

母は日本人で自らがセレクシオであることを知っていた。

 

セレクシオとして残された命が短いことを知り、私を産んだ。

 

 

 

 

「・・。スージーは。。。知ってたの?私が・・。」

 

「ごめんね、コルパタ。もっと早くあなたを解放してあげれば・・」

 

「違う!私はスージーと一緒にいることが幸せだったの!」

 

 

スージーの痩せた細い腕。

その腕が私の頭を撫でた。

 

 

泣いている私の涙を拾う指。

 

その顔が近づく。

いつの間にか目尻に刻まれた多くのしわ。

 

私の頭をギュッと胸に抱いて、優しく語り掛ける声。

 

 

「あなたのお母さんから私は託されたの。大人になったあなたに決めさせてと。」

 

「でも、ほんとは私。。。」

 

「いいのよ、わかってる。私は自分が長くない事も。そしてあなたが見たい世界を持ってることも。」

 

 

私はサクラを、サオラをパプアンを思い出していた。

 

 

私だけができる事。

これから救えるはずの未来。

 

私に命を繋いだ母が、私に託した事。

 

 

「行ってらっしゃい、コルパタ。あなたが採ってくるエビや貝がこれから食べられないのは残念だけどね。」

 

 

 

こんな決断を迫られるなら、私は大人になんてなりたくなかった。

私はスージーの胸の中で、泣きながら思い切り息を吸った。

 

 

 

 

 

 

ずっと今まで私を包んでくれた優しい匂いの中、私は目を閉じて祈った。

 

 

 

どうか大切なこの人が苦しみや痛みに襲われることなく、静かに穏やかに終わりを迎えますようにと。

 

 

 

 

 

 

 

翌朝の海岸は降りしきる雨。

荒い波が砂を蹴散らす中。レインコートのケイトは壊れそうな傘にしがみついていた。

 

 

「ケイト、危ないよ。それに。。ありがとう。」

 

「コルパタ・・・。行かないっていう選択は?」

 

「ないわ。だってもう私、大人だもん。」

 

 

 

モーターの音が空に鳴って、立ち込めた雲を割いて現れたVESSEL。

大きな機体は風に煽られることなく、濡れた砂浜に着陸した。

 

 

扉が開いて降りてきたのは、大げさなまでの防護スーツを着た一人。

それがシーガルだと、しばらく気づかなかった。

 

表情は分からない、彼女は垂れこめた雲を見上げ、機内アナウンスの声。

 

 

「コルパタ。今日は私たちには毒素が強すぎる。急いで機内へ。」

 

 

促されて歩く私の服の袖を引っ張る感触。

ケイトが私の手を握っていた。

 

私はその手を握り返す。

 

 

「ケイト、スージーをお願いね。それに、・・きっと迎えに来るから。」

 

 

ケイトは私の言葉に小さくうなずくとその手を放し、扉の前で待つシーガルに叫んだ。

 

 

「コルパタを、・・コルパタをお願いします!」

 

 

その言葉にシーガルが頷いた。

 

 

さよなら、毒の世界。

 

不便で何の困難も躱せなかった世界。

でも、この世界でも私の幸せは確かにあった。

 

 

私はシーガルと並んでその世界を、私の唯一の友達を見つめた。

扉は静かに閉じられ、もう私は戻れないことを知って静かに泣いた。

 

 

浮かび上がる機体の感覚を感じる。

 

 

「部屋に案内するわ。」

 

この前のVESSELとは違う室内。

通路を歩くシーガルが、あきらめたように話してくれた。

 

 

「結論から言うと、あなたの通信機器は全く作動しなかったわ。何一つデータは取れなかった。」

 

「・・。返してもらえますか?」

 

「あなたしか使えないんじゃ仕方ないんじゃない?」

 

 

シーガルは手にしたバッグの中からスマホを私に手渡した。

 

 

「科学とか物理。そういう類じゃないのは私も理解したわ。」

 

「シーガルさんは信じますか?命が行き着く場所があると言ったら。」

 

 

 

通された部屋は運転席、クレムトとロンドが待っていた。

クレムトはシーガルに2,3言葉を交わし、ロンドは黙って操縦桿を握っている。

 

 

ディスプレイには私の暮らした町。

 

自分の家がどこにあるのかもわからない。

ただ、この画像のどこかにケイトもスージーもいる。

 

私は小さく祈った。

 

 

 

「もう戻れないよ。いいんだね?」

 

 

クレムトの最後の確認のような言葉に私はコクリと頷いた。

 

 

「パラディソ。。「楽園」という意味だが、君にとって「楽園」となるのかは。。。」

 

 

 

 

 

 

 

その世界はかつて季節があって、その季節ごとにいろんな花が咲いて。

 

厳しい冬を超えたご褒美のように咲く花があって。

 

 

 

サクラ・・・・

 

 

町がどんどん遠ざかる。

人が壊した朽ち果てた瓦礫の町。

 

だけど、そこに生きる命はあって、彩る花のような喜びがどこかで必ず咲いている。

 

 

 

 

 

 

 

 

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